「僕ひょっとしてデミロマンティック」僕だけ納得できる文章を書いてみた。
デミロマンティックという言葉を知ることになった。調べるほど、自分に近い。なおいま47歳。
僕は、100人に1人くらいしか恋愛対象にしないタイプで、そういうタイプのことをそういう場合もあるらしいです。
かわいいと思う気持ちは理解できるけど、自分の恋愛対象はそれ以外で選んでいる。
軽いデートくらいなら、できるけど、その最中に、これは恋愛対象じゃないなと思っていることが、多々あった。(10代20代から最近まであった)。
「デミロマンティック」とは、LGBTみたいな性的少数派の一種らしい。日本の人口の15%?(文献が忘却の彼方なので、間違えてたらすいません)。
わかりやすい説明として、「壮大な恋愛の結婚」じゃないと結婚しないタイプのことのようだ。のこりの85%の結婚はそうじゃないパターンと書いてあった。
以下は、10代20代はよまない方がいいだろう。なぜなら、若いほどこの傾向が高く、違うパターンを受け入れられないと思うから。
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デミロマンティックとおもわしき僕は、運命をどこかに感じる相手しか、恋愛対象にしていなかった(過去も現在も)。ただし、軽いお付き合いはできるし、女性を遠くに置きたいというわけではない。
直観に従うと、裕福な国ほど、この割合が高いように思う。ここでの、貧困の定義は、WHOのいうあれ。おいしい食事にありつけるかどうか、というレベルではなくて、食事に好き嫌いの概念をそもそも持たない国を貧困と定義している。
知識を比重とかんがえるよう人が多い国では、自分の存在の一部として相手を受け入れる、つまり、いわゆる「運命」に従っている気がする。また、日本の音楽や映画にでてくる恋愛は、デミロマンティックのパターンが多いと思う。
異性からは不思議な存在に見えるのか知らないけど、期待していないアプローチをうけることが多い。しかし、本人にとっては、邪魔でしかない。運命がそこにないから。これが一番の苦悩だった。(もう関係のない年齢ですね)
これを、セクシャルマイノリティーの一種と、とらえるのは妥当だと思う。理由は、10代から40代までずっと変わらない僕がいるから。また、それ以外の人との間で、どちらが、進んでるとか遅れてるという概念では言い表せないものだとも思うから。そうではないマジョリティには理解されにくいからである。
このバトルは中学生どうしがよく繰り広げている。若いうちはデミロマンティックの人口のほうが多い気がする。人見知りだといわれることもあった。そして、デミロマンティックの人ほど、恋愛に興味がなくなる年齢がなかなか来ない気がする。たとえば、キャバレーや飲み屋にいき、若い女性に、「本当の恋愛というのはね」と説教いうおじさん達もだいたいそうじゃないだろうか。そうじゃない人にとっては、本当ノータッチが美徳な話ですからね。
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最後まで読ませてしまってすいません。('◇')ゞ
自分の恋愛観をひっくり返そうとする人が身近にいるので、それは無意味ですよ、という願いを込めてかいた文章です。
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