コンピュータとはチートである「収穫加速の法則」
コンピュータは高度なことをやり遂げるのは得意だと思う。
しかし、コンピュータを操作する人間がそうなのではないと思っている。
自分がそうだからだ。
たとえば、今日、足し算をおこなうことを、コンピュータにプログラミングする。明日は、掛け算ができるだろう。割り算もいつかできるかもしれない。
つまり、毎日すべての作業を完遂する能力がなくても、日数をかけてコンピュータ言語に置き換えていけば、1秒で計算するということが、僕ごときにもできてしまうのだ。
わかりやすい別の話をしよう。コンピュータミュージックというものがあるだろう。そのサウンドプログラミングでも同じことが言える。ピアノしか弾けない人でも、脳内でプレイ出来ていれば、それをアプリにデータとして入力してゆけば、バイオリンとハープとパーカッションのアンサンブルをつくることができるのはありがたい。
同時に3つの楽器を演奏することは生身の人間にはできない。しかしコンピュータが介入することで完成するアンサンブルを聞かせることができる。
つまり、僕のようなスペックの低い人間でも、コンピュータ言語をマスターすれば、あたかも高度なことができるかのように、成し遂げることが出来てしまうのだ。
ちなみに、コンピュータの歴史を「収穫加速の法則」として提唱しているRaymondKurzweil博士は、大学時代に、友達のスティービーワンダーのこんな小言をかなえるマシンを作成している。
「僕ピアノしかひけないけど、トランペットの音でも演奏してみたい。」
のちの、電子キーボードのことである。
ほかにも、文字を直接よめない全盲の友達のために、手紙を読み上げるシステムを作ったらしい。
いまでもそうかわからないけれど、Googleの技術責任者というポジションも近年つとめていたそうだ。英文翻訳、画像認識、音声の文章化、文章の音声化。など、収穫加速させることが、コンピュータでは可能になっている。