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まさかのワタシがモラハラをシテマシタ。

「あなたのやってることって、モラハラと一緒だよね?」


コーチングの先生が唐突に言ったセリフに、私は一瞬言葉を疑った。

恥ずかしながら、自分はモラハラをする人間とは、かけ離れた人間だと思ってたからだ。
「はっ?!…私がモラハラ…??」
そんな事言われるとは思っても見なかった。

ことの展開はこう。
私は両親に対して、
「私の全てを受け入れてくれなかった。」
「親ならば子供の気持ちを察して、ふんだんの愛情を与えるのが当たり前だ。」
と、思っていた。


親であれば、子供を完全に理解しようとすること、受け入れること、愛することは当たり前のようにするべきものなんだと。
それが親だと。


そして、自分と一体化するほど、わたしの全てを知ってほしい、感じてほしい、溶け込んでほしいと思っていた。
本当に愛しているならば、それくらい子供のことを分かるのが親だと思っていた。
因みにそれはパートナーに対しても求めていたものだった。

それを、コーチングの先生に言ったら上記の言葉を言われてしまったわけだ。


「もし自分が他の人から、こう感じてほしい、こうしてほしいと、気持ちをおしつけられたらどうよ?」
と聞かれ、

「ハイ、、、嫌です」というしかなかった(笑)


自分が感じていたことは、自分で受け入れ、癒すことも必要かもしれないが、
それとは別に、親であっても別の人間なんだと思い知らされた瞬間だった。

そこで、「あぁ…そうか…全てを分かってもらうのは無理なんだな。」という気持ちも湧き、
分かってくれない!と駄々をこねるのもできなくなるほどの、諦めの感情を感じた。


ずっと近しい人間ほど、分かってほしい、わたしの思う通りに動いてほしいという気持ちがあった。
でも、どんなに近くても別の人間なんだ。
いい意味で。
他の人との癒着が剥がれつつあるのかもしれない。

わたしは自分が「被害者」の一択だと思っていたけど、「加害者」でもあったのかもしれないな。

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