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【自己紹介】子ども時代の小さな奇跡たち
「小さいころは神様がいて 不思議に夢をかなえてくれた」
そのとおりだった。
たとえば横断歩道。
渡ろうとするそのタイミングで青信号に変わることが多かった。
小さい頃の私は、人が渡ろうとすると信号が青に変わってくれる仕組みだと思っていたくらいだ。
「なんで私が渡ろうとするのが分かるんだろう。誰がどこから見てるんだろう。」
なんとなく世の中が自分を中心に回っているような感覚を、よく覚えている。
「まっくろくろすけ でておいで でないと目玉を ほじくるぞ」
私はとても怖がりで、神経質な子どもだった。
夜寝る時は、母と手をつないでいないと眠れなかったり、
おねしょなどしたことがないのに、眠る前には何度もトイレに行ったり。
そのくせ、妙に哲学じみたところがあった。
たとえば寝る前に、布団の中で「死」について考えを巡らせていた。
あることに気づいてしまった時の感覚は、今でも忘れられない。
それは
「人は生まれてきた以上は絶対に死ぬんだ。私もいつか絶対死なないといけないんだ。」
という気づき。
当然といえば当然なのだが、その時はパニックにも近い死への恐怖心を感じた。
生まれてきてしまったことへの絶望があった。
なんか、暗い子どもだ・・
「悲しみと怒りにひそむ まことの心を知るは 森の精 もののけ達だけ」
これを書くと気味悪がられるかもしれないが
小さい頃、寝る時にいつも太鼓の音が聞こえていた。聞こえるような気がしていたのかもしれない。
見たことがあるわけではないのに、その音が聞こえてくる方向に神社があるのだと信じていた。
そして、毎晩そこでお祭りをしていると思っていた。
そう信じていたのだが、ある時ふと本当にそうなのかな?と思って
「ねぇ、近くの神社って毎日お祭りしてる?」と母に聞いた日があった。
その時の母の反応は覚えていないのだが、さぞかしぎょっとしたことだろう。
もし幼い娘がそんなことを聞いてきたら、私ならその夜は眠れない気がする。
「やさしい気持ちで目覚めた朝は 大人になっても奇跡は起こるよ」
うちにはテレビゲームも無かったので、机の下みたいな狭い所で本を読んだり、空想や妄想に浸る時間が多かった。
そういえば、自分で作ったオリジナルのゲームを一人で楽しんでいた。
「今がさっきになったゲーム」だ。
時間っておもしろいな。
「今」という瞬間をどんなにつかまえようとしても、それを思っている間に「さっき」になってしまう。
それに気づいてから、暇なときは自分の中でそのゲームをしていた。
たぶん、つまらない授業中も(笑)
私は、目に見えることが全てではないと考える人間だ。
たとえ科学的に証明できないことであっても、まだ証明されていないだけなのではないかとも考える。
ある人には見えて、ある人には見えない事があったとしても
「そういうこともあるだろう。」と思う。
真実は、人の数だけある。
いろんな考え方や価値観を受け入れた時、まだ知らなかった新しい自分に出会うという奇跡が起きると信じている。