MY クラブミュージック HISTORY 其の肆 後編
思っていた以上に其の肆が長くなりそうだったので分けさせていただきました。
前編では試験・就活期間の音楽との出会いを綴りました。
今回は学生卒業〜新社会人編です。
その前に、卒業〜新生活(初一人暮らし)開始する辺りでハマっていた曲を紹介します。
上の曲は、シュールで冷たい空気感ながらしっかりとしたポップさのあるナンバー。辛い期間を乗り越えて燃え尽き症候群になり、最後の学生生活が終わりを迎える空虚で切ない1ヶ月間を思い出す。
下については、「またお前か、山口一郎、、、。」という感覚(誰目線)。地元から出て1人で新しい街に来た時のどこか寂しい感覚に対して、「いつかは思い出になる筈さ」という歌詞が重なる。今聴いても右も左もわからない新社会人だった頃の自分が頭に蘇る。また、前編で紹介したfuture funk 同様、これまた80年代歌謡のサウンドと美術をオマージュしており、「ポップスの最前線である山口一郎の中でもリバイバルブーム来てんのか、、、。」と思った。
それでは本題に入ります。
はじめてのくらぶ。そしてHIPHOP入門
まずは、人生最初のクラブに行った時の記憶が鮮明に呼び起こされるこの曲から。
新社会人1年目。色々と訳があり、俺の同僚は年齢がかなり近めの歳上ばかりでした。同僚は皆んな気さくで社交性があり、かなり馴染みやすい雰囲気の職場だった。そんな中、その同僚達の中で1番歳上のお兄さん2人から、ある日の夜LINE電話がかかってきた。「よう、すごい速さ!突然だけど、今からクラブ行かねーー!?」2人とも途轍もない陽キャである。
音楽好きとはいえど、それまでクラブと言う概念には微塵も触れる事のないコミュニティで育ってきたため、かなり戸惑った。しかし、物は試し。其の壱の記事冒頭でも触れましたが、そこはレゲェ中心の箱だった。これが僕の人生における2度のクラブ経験の内の最初の1回目である。
なんでも同じ職場の先輩職員の1人がダンサーをやっているというので、誘ってもらえたらしい。もう、物凄かった。そこには本当に映画やドラマやアニメで観たような風景が広がっていた。
慣れないなりに楽しんでいた自分の元に、件のダンサーをやっている先輩職員(🚺)がプレートの上に乗っかったテキーラのショット3人分を運んできて
「いえあー!楽しんでるー!!?」と来てくれた。
もう、まさにって感じだ。オーラが違う。良い思い出。
クラブ内の雰囲気が佳境に入ってきた頃、10-FEETのドラマーみたいなDJがこの曲のmixをチョイス。
もう皆んな大合唱。やっぱりワイスピの力ってすげえ。この頃はまだワイスピシリーズ履修していなかったんですが、専門学校の頃のHIPHOP・EDM好きな友達がこの曲にハマっていたので何となくは知ってた。
その10-FEETのドラマーみたいなDJはステージから降りた後に仲の良い客と呑んでおり、何故か絡まれるタイミングが。
「よう!!楽しんでるか!!お前名前なんて言うの!?!?〇〇〇!?〇〇〇か!おう、〇〇〇!!呑め呑め!!!ガハハハ!!!」
、、かなり恐かったが悪い人じゃなかったし、これも良き思い出。
帰りは一緒に来たお兄さん同僚とタクシーで帰宅。それも夜中ずっとその箱にいたので朝帰り。
上のtofubeats教授とVaVaの曲を聴くと、あの時のタクシーの中から眺めた早朝の街(地方都市)の景色と匂いを思い出す。
この曲をきっかけに、VaVaちゃんを知りました。
余談ですが、どうやら其の參で紹介したtofubeats教授の「ふめつのこころ」のアンサーソングらしい。
気さくで社交性のある明るい同期達のお陰で、専門学校最初の頃みたいに孤立する事なく人間関係を築けていましたが、新社会人としては「0点」て感じの仕事ぶりであり、毎日クタクタになってた。
酒を呑みながらひたすら好きな曲を爆唱したり、昔ハマっていた曲で思い出に浸ったりしてた休日の前日を繰り返す中で、こんなチャンネルに出会った。
新進気鋭のアーティストを主にSNSを中心として紹介する音楽配信サービス。
当時のTohji←やLEXといった現在HIPHOPというジャンルによってポップスのフィールドすらも軽々と踏み越えてきているラッパー達にいち早くフォーカスを当てていた。そして俺はこのチャンネルを通じて彼との出会いを果たす。
この曲を聴いた時、彼が一瞬で新しい音楽を創っている事を理解した。
インディーロックやノイズで見られる粗いギターサウンドに、生ドラムではなく(恐らく)808系の機材によるビート。明らかにHIPHOPとROCKを同時に、なんの違和感もなく調和させており、これから先絶対に名を馳せると確信していた。
この能動的だけどどこか焦燥感に満ちた世界観は、当時新社会人として必死に日々を過ごしていた俺には刺さりまくっていた。
プライベートに関しては、当時の自分と同じように服好きでお洒落な同僚とよく遊んでおり、古着で有名な地でを巡って買い物したり、小洒落たカフェやパン屋が並ぶ街によく出かけていた。
この2つ↓は、そんな全力でヤングを楽しんでいた頃の自分をめちゃくちゃ想起させてくれる曲です。
こういった渋谷系の現代的な解釈であるところのポップスにおける、ゆったりとした都会的リズムとラップは前回の記事で紹介したlo-fiで既に耳が慣れていたのでずっと聴いていた。
上の曲は人種やジェンダー、思想に囚われない姿勢を唄っている。SKY-HIなりの HIPHOPという差別と歴史的な関わりを持つ音楽へのアンサーなんだろうと思う。
下の曲は言わずもがな名曲。chelmicoは本当に若者のハートを掴むのが上手い。純粋過ぎず、だけどリアリスト過ぎないverseとfookが可愛らしいし素敵。上述した服好きの友達と好きな服着てカフェに行ったり街を闊歩してたの懐かしいなぁ、、、。
もうあんな派手な格好できねぇ。
この頃のluteは本当に、ファッションや音楽その他エンタメなど若い内しか楽しめない・今しかできない事をしっかりと楽しむ若者達のための音楽をプッシュアップするのにめちゃくちゃ長けていたプロジェクトだったと思う。現状においてJ-POPが多様化するための道筋となったコンテンツの1つだったと思っている。
ここらへんの曲については、まだHIPHOPがポップスのフィールドに侵入してきている感覚なんてなかった。何なら耳への入り心地が良すぎてラップである事もあまり意識していなかったかもしれない。でもやはりここらへんから少しづつ 、HIPHOPという音楽に対する評価が感覚的に変わっていってたんだと思う。
関係の無い話になりますが、丁度この辺にハマってたのが夏くらいの時期で、その夏の終わりに最悪な体験をしてしまいます。
そう、都会に棲む「空虚な人間の集まり」、「烏合の衆」、「勝者のツラ構えをした敗者」、「洗脳集団」マルチ商法の勧誘です。
詳細を書くと長くなるので省きますが、その元サッカー日本代表前園 真聖さんに似た(ごめんなさい)マルチグループの教祖からの勧誘に、
僕はなんとか騙される前に逃げ切る事ができました。前園の言う事は(本当にごめんなさい)全てが空っぽであり、なんだか話を聞けば聞くほど言動や見た目どころか中身まで空っぽに見えてきました。
でも多分、詐欺とおんなじで僕が頭悪そうな見た目だったから誘ってきたんだろうなぁ、、としみじみ思う。実際、誘われるきっかけになった飲み会と称した夢を語り合う(LMFAO)パーティー(行くまでどんなもんなのか知らなかった)には「ガチ」で頭が悪そうなヤツしかいなかった。
和ベースとミニマルサウンド
そんなマルチ商法という卑劣な集団から逃げ切った頃、同時期にこんな感じの日本文化大好き海外トラックメイカーニキ達を見つけます。
↑俺の憤怒(Lars)"を表現してくれている曲です。
いやコレ本当にカッコよくないですか。フロリダ出身のサウンドクリエイターなんですが、最初のイントロなんかはAKIRAや攻殻機動隊のOSTを彷彿とさせるし、何よりこの壮大な和テイストをしっかりとダブステップに変換させるセンスに度肝を抜かれる。
コチラ↑は箏のサウンドをガッツリと組み込んだTrap調の曲。「サムライ」とか「ニンジャ」が好きな外国人ニキが作ってんだろうなきっと(偏見)。
そして和テイストEDMといったら、僕の中で絶対に忘れられないのがstraw hatz↓。
僕は高校時代、和太鼓部に所属しており、コンクールなどで他の高校の箏曲部の演奏を鑑賞する事もありました。箏のメロディー・太鼓のリズム感と HIPHOPやハウスミュージックのビート。この頃は自分の中では原点回帰のような時期だったのかもしれません。下の曲、YouTubeでもかなりの再生回数を叩き出している通り物凄い楽曲。こんなにも美しく北米圏のベースミュージックと日本の民族音楽が調和するなんて。
楽しくも辛い新人1年目が終わって2年目に差し掛かる頃、社会人1年目の色々で完全に疲れ切ってしまった僕の脳内は、あまり激しい音楽を受け入れる事ができるような状態ではなかった。
上述の和テイストを織り交ぜたベースミュージック然り、悠然かつ静謐と素朴さを持ち合わせた音楽を欲するようになる。これも意識はしていなかったと思う。人間の趣味嗜好の変遷って不思議だ。
クラブミュージックとの関連性はかなり薄いですが、この先の嗜好性に影響した楽曲です。
こういう「生活」「無印良品」「オーガニック」みたいな、ホームが白基調のインスタグラマーが好んでそうな曲は、職場の喧騒にヤられて荒廃していた僕の心に余裕や穏やかさを与えてくれました。ちなみにTikTokで一時期意味わからんくらいbuzzってた例のこの曲↓も、「アコースティックのみ」というシンプルな要素においては、僕にとって心を落ち着かせてくれる作品の1つでした。
アーティストの人格然り、相変わらず面白い歌詞とPVではありますが、この空気感は好き。
「檸檬」という文学作品があります。何気ない日常や生活の中での、ふとした感情や風景に対する心情を色鮮やかな文体で著わしている作品。
「将来どうなるかわからんし、考えるのもめんどいし、今そこまで充実してないし、仕事も家事もめんどいし相変わらず部屋汚いし。」みたいな、一見上述の「生活」「無印良品」「オーガニック」みたいな小綺麗で几帳面なイメージとは程遠いように思ますが、「でもこの漠然とした憂鬱さを抱えたまま、ゆっくりと過ぎゆく生産性の無い暮らしや日常も大切だよな。」みたいな精神を謳う楽曲に助けられていた。
当時は比較的に街中に住んでいたのだが、上述の精神性が強かったこの頃はただの散歩が趣味になっていた。
サンクラでlo-fiやウェッサイの HIPHOPを掘る中で見つけた、その趣味に彩りを与えてくれる楽曲群を紹介させてもらいます。
"HIPHOP神" 2pacの「All Eyes On Me」remix。煙たいサウンドと小粋なビート、ソウルフルなギターイントロが魅力のGファンク。
Drakeの「in my feeling」ブラスバンドカバー。演奏技術高すぎるし、Drakeのrapをこんなにも絶妙な解釈で管楽器のサウンドに落とし込んでるのはシンプルに凄い。
chelmicoちゃん達の初期のアルバム曲からremix。最高にチルな気分になれるシンセポップサウンド。
「ちょっと散歩がてら昼飯屋でも探しに行きますか。」みたいなノリのフットワークで行う街ブラを、アングラながらこの無駄が削ぎ落とされたミニマルサウンドが彩ってくれていた。
唾奇とSweet William
(RAPミュージックとの和解と因縁の決着)
このアルバムにいつどうやって出会ったか、全然思い出せない。恐らくAppleミュージックのオススメか何かに出てきたのを、名前がカッコいいかなんか適当な理由で通して聴いたのを癖になって聴き続けてきたのがきっかけかもしれない。
Sweet Williamのサンプリングと、唾奇の「リアル」を歌ったラップ。自分のそれまでのhiphop(特にJラップ)に対する先入観みたいなものは、この心地良いサウンドとラップが詰まったアルバムによって完全に変わっていった。
唾奇、日本人なのに背伸びしてUSみたいな過激なリリックを書いたりせず、ちゃんと自分の人生に焦点を当てた「現実(リアル)」を書くところが肩の力を入れすぎず余裕を持ってcoolな事をしてる感じがあってとてもいい。(語彙力)
「街から街」は俺がこのアルバム中で最も好きな曲。
「なるべくして成る あるべく姿で」
→「ラップしてなけりゃクズ No ラップしてるカス
今歌いだす」
この行間を挟んだ韻の繋げ方の妙はめっちゃ美してかっこいいし、例えばこれがアカペラであったとしても踊り出してしまうくらいにはリズムの取り方が素晴らしい。また、この唾奇のラップと、ジャズという自由度の高い音楽のサンプリングが最高にマッチしてる。このアルバム聞きながらの街ブラめっちゃ楽しいんだよな。
あとはこの曲↑かな。うむ。「エモい」てやつだ。
Sweet Williamだけでいうとコレ↑が素晴らしい。
やっぱり彼のサウンドは、割と音楽上級者じゃないと理解するのが難しいジャズという音楽ジャンルを噛み砕いて、ポップスに近づけているところが上手いなぁと思う。
といった風に、サンクラのサンプリング曲やこの2人組との出会いによってhiphopへの価値観が徐々に変わっていき、(先ずはjapaneseから)他のラッパーも聴くようになっていった
"令和の主人公"フレシノとJJJ
Sweet Williamの影響で、hiphopの中でも特にサンプリングがカッコいい曲を好きになりがちだった。彼以外にcoolなサンプリングを行うラッパーといえばやっぱり俺の中でこの2人しかいない。
個人的にJラップ界隈の中でリリックもビートもサンプリングも、全てにおいてかっこいい。唾奇と同じく自分の Lifeに焦点を当てつつも、しっかりとマッチョイズム的精神を忘れない漢らしさ。
あとはやっぱりこの2人の代表曲といえばコレ↓だろう。
現代のjapaneseラップを代表するといっても過言ではない名曲。あらゆる面において神がかってるっっ!
恥ずかしながら、今でもこの頃のフレシノの髪型を参考にしてセットする事がある。
上記の「special radio」とこの曲、当時は業務で社用車を運転する事が多く、この2曲を社用車で流してドラマの主人公みたいな気持ちで出発してた。
彼らの「自分の物語」をリリックに書き起こしてめちゃくちゃかっこいいサウンドとビートに乗せた曲は、彼らの人生とは関係のない僕らのようなファンにも向上心を与えてくれる素晴らしいクリエイティブだと思う。
と、ここまでで其の肆は終わり。
自分的には長い間偏見を持っていたhiphop・RAPというジャンルに対しての価値観が完全に切り替わった時期だった。
そして次回