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学ぶということ
何かを学ぶとは、それ自体が目的ではない。
それは方法だ。
学んだことを使って幸せな人生を送ること。
生きやすく生きること。
自分らしく生きること。
これが目的だ。
そのために、学んだことを活用していくのだ。
決して、学ぶことが目的になってはいけない。
今日、息子が高校のオープンスクールに行き、私も参加してきた。
最後の方に授業体験のようなものがあり、息子は数学を選択し、私も教室の後ろで体験してきた。
そしたらですね、数学で素因数分解というのをやったんです。
数学は好きでしたが、今はほとんどやっていないのですっかり忘れていた素因数分解。
お恥ずかしながら、素数って何?状態でしたよ…。
それで、高校の先生が、せっかくだからと、高校での解き方などを交えて教えてました。
そこで、「実は高校に行くと難しくなると思いがちだけど、こうこうこういうやり方があるんだよ」という、知恵を得てやっていくことで逆に簡単に解くことが出来る様になるんだよ、的なことをおっしゃっていたんです。
私、それを聞いてパッカーン‼️
そうか。
知識を得る。
知識を深める。
学ぶとは、こういうことかと思った。
学年が上がれば、難しくなると思っていたけど、実は簡単に解くために知識を得ているんだ。
小学校に入り、中学校へ行き、高校生へと進学する。
その過程で問題が難しくなる。
それは、人生でもそうですよね。
何か問題があって、それをクリアしたら、また新たな問題が…みたいな、進級するみたいなことってあるじゃないですか。
そうやって成長していくみたいな。
知識を得て来ると、だんだん問題が難しくなって来る。
すると、時々嫌になって、投げやりになることもある。
ああ!もう嫌だ!こんなんだったら知らない方が良かった!
学ばない方が楽だった‼️って。
そう思ってしまうこともある。
学ぶことをしない人はたいていこんな感じで中途半端にやめてしまう。
私も中途半端女。
けど、先を考えたらたくさんの知識を得るということは、たくさんのヒントを持つということだ。
だから、問題を解くのもどのヒントを使えばいいのか、選択肢が増え、どうすれば簡単に早く正解に辿り着けるかの考えができる。
だから、人は何かを学びたくなる。
学んで、生きるヒントを得たいんだ。
人生で行き詰まった時や生きにくさを感じた時、セミナーを受けて勉強したくなる。
YouTubeなどでヒントになるようなものを探すこともある。
それを友達が「勉強熱心だね」「行動力があるね」などと言ってくることがある。
けど、私はこの「勉強熱心」とか「行動力」とかいわれるのがあまり好きではない。
なんで好きじゃないのかわからなかった。
けど、やっとわかった。
学んでる最中はまだ何も目的を果たせてないからだ。
それは方法であって、目的じゃないから。
山登りする時に地図を持ってるからといって褒める人はいない。
「勉強熱心だね」
「行動力あるね」
なんてことは言わない。
だってそれは、無事山頂へ行くための方法(道具)の1つだから。
地図を手に入れることが目的ではないから。
山登りしてから褒めて。
山頂に着いてから褒めて。
って思ってたんだな、私。
最後にもう一度