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加害者に利益をもたらすわたし達

わたしのnoteへ頻繁に登場する
幼なじみの友達二人が、二回目の感染者となった

感染経路は不明で、恐らく通勤で感染しただろうと
特定不可能な事情になった
二人とも仕事で疲弊し、遊ぶなんてなかったので
不幸中の幸いだと、口を揃えて言った

この国は、約二十年前から自己責任論が活発で
近年は、被害に遭った方が叩かれやすい
日本人の三大義務である、勤労をしても
まるで、仕事へ行ったあなたが悪いとばかりに

性的被害を受けてもそうだ
加害者には性欲がない前提で語っているのか
どこの幻を見て言っているのか
暴力はなんであろうと、ダメだと法律にあるのに

そう「ない」を前提にしているから
被害者が叩かれやすいんだ

変化はない、事件はない、悪意はない
…なぜ「ない」んだろう

だけど裏では、陰謀だけは「ある」
わたしが考えるのは、都市伝説が大好きな人が
陰謀は真である証明するのに、被害者は叩かれ
作為的に起きた事象に、備えのないあなたが悪い
…位置づけしているように感じる

後づけを理屈のために犠牲になる人々
加害者の利益に繋がるのに

被害者を自己責任と個人に帰結し、糾弾することで加害者に寛容な要因を生み出している

自己責任というのは
自分の責任の所在を、自らが手を挙げるもので
他人が介在しないものだと思った

だけど、実際は政治や支持母体を守るために
目眩しのように、被害者を犠牲にすることで
原状回復や被害の原因を突き止めるのを阻止し
最終的には、うやむやして被害者が泣き寝入り

自己責任や陰謀は、どちらかというと
わたし達、変化を嫌う者が支持し信用している

自戒を込めて…

こうやって、泣いている人を排除し
懸命に、脆弱な和を保とうとする
わたし達、変化を嫌う者が死なない限り
悪は蔓延し
被害者が本当に報われる日は来ないと思っている