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一番大切な思い出と、人を許すということ

11月・・・10年以上経つが、愛犬が亡くなった。
わかりやすく言うと愛犬なのだが、
私にとって一番大切な存在。

将来、犬と猫を飼おう。
そう思っていた私は、結婚してすぐに、
マンションを買い、犬を迎えた。

彼女は、とても優しい子で、
いつも私を癒してくれた。

彼女は、常に私を見ていて、
私も常に彼女を気にかけていた。
依存関係にあったのだろう。

ただ、それが私たちにとって
楽しい生活だった。

結婚して間もなく、旦那の収入がなくなり、
私は大黒柱になった。

私の愛犬は、持病持ちで。
定期的に病院に通わなければならなかった。
彼女のためにもお金が必要だ。

とにかく、がむしゃらに頑張った。

マンションのローンもあるし、
義理家族・親戚との集会が年に3回、
理不尽な干渉をうけることもあった。

私の父が亡くなった時には何もなく、
義理兄弟の家族への冠婚葬祭には
「⚪︎⚪︎万円包んで送って」等々・・・

私の取り皿だけないとかは、全然普通で、
親戚の集まりも、義務だと思っていた。
これが円満に進む道だろうと思っていた。

最初は、そんな風には考えていなくて、
結婚したら、家族になると思っていた。
根拠のない自信だった。

未だに何が悪かったのか、わからない。
できれば、そう思っていたいが、
数年前に、こうかな? 的な結論を出した。

私は、異性同性関係なく、社交的で、
グループができると、だいたい盛り上げ役だ。

固定概念的には、典型的なO型。
ただ、仕事などに関しては、細かすぎるA型。
白か黒か。0か1かだ。

職場でも、いわゆるお局に嫌われる私。
おそらく可愛げがないのだろう。

意地悪されても、嫌味を言われても、
顔色を変えずに仕事をする。

そして、そんな人たちにも普通に接する。
私の持論は、「仕事を円滑に」なのだが、
それがダメなんだろう。

もうちょっと、悲しんでみるとか、
涙を流してみるとか・・・
つまりマウントをとらせないといけない。

これではないかと・・・思うのだ。

分析はできたが、なかなか難しい。
本当にそうだったとしたら、
正直、面倒臭い。

職場は、どうにでもなるが、
義理家族は別だ。

どうにかしたい、つまりは気に入られたい。
そう思って、私なりに頑張っていた。

そんな中、私の愛犬は亡くなった。

その後の、最初の親戚の集まりで、
「犬、死んでよかったね」と言われた。

旅行に誘われても「犬がいるから」と
断ったことがあった。
「これからは、旅行にいけるね」と続いた。

何が起きてるかわからなかったが、
若い頃の私なら、即座に戦っていただろう。
もしかしたら、胸ぐら掴むくらいは〜

ただ、その時は、丸くおさめたいと
愛想笑いのような苦笑をしていた。
今思うと、すごく後悔している。

嫁とは…こんなに耐えないといけないのか。
その後も数年、私は波風立てないように
耐えに耐えた。

結婚から10年、義理親が
初めて私の名前を呼んでくれた。ようやくだ。
10年かかった・・・

やってきたことは、
間違ってなかったかなと思った。

でもそれからも続く理不尽な干渉に
私は耐えられなくなって、
初めて、本気で旦那を頼った。

「もう、あなたの親族には会いません」
そう言って、旦那に丸投げした。

丸投げと言っても、提案はした。
1.綺麗さっぱり離婚する。
2.離婚はするが、同棲する。

つまりは、私から責任を取り除く提案。
しかし、旦那が選んだのは、
離婚はしない、会わなくていい、だった。

それから、私は、楽ちんになった部分と
責任が取り除けなかった部分への
自己嫌悪に悩み生きていた。

そして、癌になった。

前述したような私の性格、考え方、
自分で言うのもなんだが、
ストレスが原因なら、癌になるでしょっ!!

死ぬのかな・・・と思っていた。
死んだら、あの子の所へ行かなきゃ、
絶対に見つけようと決めていた。

だって、あの子の頼りは、私一人だった。
私にとっても、あの子だけだった。
今でも、一番大切な存在だ。

でも、私は今でも生きている。

最近、旦那に騙されて、義両親に会った。
その後、親族の旅行に参加した。

相変わらずの理不尽さはあるが、
私への配慮があるようになった。
癌になったからだろう。

癌になって良かったのかな?
同情されないと配慮もしてもらえないなんて、
この先、私はどうしていこう。

考えは決まっていない。
それなのに、また旅行の誘いも来ている。

許した方がいいのかもと、よぎる時もある。
でも、私は、許していない。

誰に対しても、どんな時であっても
「死んで良かったね」なんて言葉はないのだ。

少なくとも、私は許さない。
謝ってもらわなくてもいい。
なぜなら、絶対に許さないからだ。

「人をゆるすこと」的な文章を
色々と読んではみたが、
決め手になる文章はなかった。

どうしたら、人を許せるのだろうか。
「許した」と自分で決めればいいのだろう。
そう思っても許さないが大きい。

本当に、私の一存なのだ。
なんせ、対象の人たちは、
許してくれとは思っていない。

私の想いを知らないからだ。
よくある、悪気はない人たち。

11月になると思い出す。
あの子がいなくなった悲しみと
義家族から受けた苦痛。

楽しかった日々を思い返す余裕はなく、
悲しみだけでもかまわない。
あの子のことだけを思い出していたい。


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