13年目にやっと気付いたエネルギーバンパイア、言葉の暴力
こんにちは。
ほっこりんりんです。
前回は、下の子がずっと悩んでいるのに、その心の闇に気づいてあげれなくて
自分の無力さに途方に暮れてしまった話を書かせていただきました。
それから、よくよ〜く観察してみると、確かに息子は愛を欲しがっていたのだなあ、と感じました。
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ある時、夫が息子のことで、学校側にすごい勢いで怒鳴ったことが、きっかけだったのか、
学校の先生に、
「お母さん、息子さん娘さんが、学校に行き辛いのは、お父さんが原因ですよ、
あの怒鳴り方は、失礼ですが異常ですし、
お子さん、学校を休むことや他のことをお父さんに話せないんでしょ?
しかも、お父さん、お姉ちゃんだけに優しくて、たー君には、いじわるをするって言うじゃないですか?
一種の言葉の暴力ですよ。
僕は思うんですけど、お父さんが変わらないかぎり、息子さん、娘さんの学校への行き辛さっていうのは、変わらないと思いますよ。」
と言われた。
まあ、先生の言うとおり、親の子供への影響力は大いにあると思う。
だいたい、家庭が平和なところの子供は、学校でも楽しく過ごせる確率は大きいものだ。
それは、私が小さい頃体感しているから、十分に分かっている。
だけどなあ、「じゃあ、旦那さん、新しい人に交代!」と言って変えれるもんじゃないしなあ。・・・
私は、そんなことを何度も心の中でブツブツと唱えるこが何日もあった。
たー君(私の子供)が、エンエンと車の中で泣いたり、3つ上の姉とけんかをした時に
「お前のせいで、僕は、いつもいつも苦しい思いをしているんだ!
お前のために学校を変わったから、僕はこんなに辛い思いをしているんだ!
パパは、僕ばっかり責める!」
などど、言って、暴れるようになって、ようやく私は、息子が寂しい思いをしていることに気付いた。
そりゃあ、そうだろうなあ。
夫が息子にかける言葉は、なぜか知らないけど攻撃的で、
「お前は、バーカ、バーカ
お前は、オカマか?
本当に、ダサいなあ。」
とか、とても小学生に投げかける言葉とは思えない言葉をほぼ毎日連発するのだ。
夫は、テレビ番組のお笑い芸人が大好きで、それを見てよく笑うから、半分そのノリも入っているようだが、テレビを遮断している私には、到底受け付けないノリだ、毎回主人の吐くセリフにうんざりしていた。
だけど、
「そんないいかたするもんじゃないよ」と意見を言おうものなら、
今度は私を徹底的に遮断して、今まで以上に無視しまくるのは、分かっているからいつもほっといていた。
そして、その一方で娘には、とても丁寧に優しく話かける、まあ、それも異常といえば、異常で、娘を受け入れるというよりも、一方的に夫が娘に話す、という形なのだけど、娘は賢いから夫のそういう性格を分かっていて、ただ、素直にうんうんと大人しくうなずいているだけだから、夫は気分がいいのだろう、
逆に息子は、自分の意見を主張するタイプだし、まあ、まだ小さいから判断もできないのだけど、それが夫の気にさわるようで、夫も息子に対抗するのだ。
だから、息子が夫に話しかけると、夫は機嫌悪く
「うるさいなあ、お前はだまっとけ!!」と怒鳴る。
昔は、私もおどおどして、主人の機嫌を伺って子供にもロボットになるように無意識で思っていたが、私自身が自分で自立しようと思えはじめてからは、自分の精神が安定してきたせいか、
(ああ、主人も怖いんだなあ、だから、自分を認めてもらえないと攻撃的になるんだなあ、
だから、権力や見た目に左右されるのだなあ、見栄を張ったり、体裁を気にするのだなあ、自己防衛かあ)
と思えるようになった。
それとともに、夫は「エネルギーバンパイア」であるとも思った。
「エネルギーーバンパイア」というのは、ターゲットを痛めつけて落ち込ませる人のことを言う。
”「エネルギーバンパイア」は、とても賢く、カッコよくて、人あたりもいい人が多い、でもターっゲットには、徹底的に辛くあたる、そんな人からは、はなれた方がいいと言われている。
夫は、優秀で、仕事もできるし賢い、大人しくついていけば、まあ生きるのに困らない安定した豊かな生活ができる、周りの知らない人から見たら、
「まあ、ステキなご主人ねえ」と思われるだろう。
だけど、その一方で敵だと感じた相手には、徹底的に攻撃をする、
私も昔は、徹底的に無視をされ、そばによるとイライラされ、暴言を吐かれ、
「お前みたいな、ババアに話しているんじゃない!
俺の前に来るな!”
おいおい、ちゃんとしろよ!」
と見下されていたから、私はリラックスできないし、自分らしくいれないし、いつも下をむいていたし、何よりもご機嫌をうかがわなくてはならなかった。
そして当時、私自身、小さい頃から両親が激しいけんかをしていて、愛情に極端に欠乏していたため、なんでもいい誰かにすがりたかったから、夫のそういう心ない態度が辛いとさえ気づけなかった。
それでもそんなこと、たー君には関係ないし、そんな環境の中に生まれた たー君にとっては、いい迷惑だろう。
それに、夫は、息子に、私と娘が使っている部屋があるのだが、
「ママたちの部屋は、女の子の部屋だから、そこに行っては行けない、入ったら、お○んちん、ちょんぎるぞ!
お前、オカマになりたいのか、なりたければ入っていいぞ」
などと、またびっくりするような言葉をたー君に何度か言うから、たー君は、もう私が使っている部屋に入れなくなってしまった。
いつも扉のところで私を「ママ〜」と呼ぶ。
私は、ター君に「入っていいんだよ、たー君の家だよ」と言うのだが、たー君は、目の前に分厚い壁があるかのように、入り口から入ることができなかった。
だから、たー君は毎日の生活の中で、私に甘える、ということがあまりできなくなっていた。
それも、たー君を寂しい気持ちにさせていたのだろう。
そこに気付いてから、私はなるべく一緒にお風呂に入ったり、お話をしたりスキンシップをする時間を意図的にとるようにした。
まだ、救いなのは、主人はそういう性格の中でも二人の子供に対する愛情は主人なりにあって、クリスマスや誕生日やその他のイベントごとなどは、プレゼント買ってくれたり、電車に乗せて観光地に連れていってくれたり、毎日家族のために淡々と仕事に行ってくれていた。
そこには、本当に感謝している。
だって、サラリーマンという職業は、心理的にも体力的にも弱い私には、とてもできないからだ。
だけど、その一方で主人の態度は極端だった。
まあ、私に触らない、感情の共有もない、自分の用件意外には、話しかけるとイライラする、
子供のことを知ろうとはしない、だから娘が病院で「自閉症スペクトラム」ということを言われたことも、今日何があって、今どんな状況か?ということも知らない、娘が何が好きで、今何に悩んでいるかも知らない、
息子が泣いたことも知らない、昼休みに一人ぼっちで遊んでいることも知らない、私は、そんなことを話すこともできない、
ただ、ぽつんぽつんと言える時に言うことはあるが、みんなみたいに普通の夫婦のような会話はない。
私も昔は、いろいろ腹が立っていたが、ある時から、”私には、みんなのような夫はいない”と思えるようになった。
これは、別にけんかしようとか、対立して夫を負かそうとか、出し抜いてやろう、とかいう気持ちではなく、
私は、今後精神的にも、経済的にも自立して自分と二人の子供、父と母を守りたいと思うようになったせいだと思う。
そこに、今の夫に頼る、という気持ちがこの時から少しずつ薄くなってきていた。
息子のたー君のことは、私の父と母からの愛情をたくさん注いでもらって、学校には、教頭先生を始め、生活指導部の先生に、たー君が、学校で過ごしやすくなれるよう、なんとか、ご協力をお願いしますという話を何回かしに行った。
先生たちは、とても親切で、親身に相談にのってくれた。
今、少しずつ、息子のたー君の現実がいい感じで動き始めている。
どうか、このままター君に明るい未来がきますように。
私は、人工授精のせいか、普通の子より細い骨が分かる体のたー君の、でも純粋で明るい姿を見ながら思った。
最後までお読みいただきありがとうございます。
今日もあなたにとって、ステキな1日でありますように。愛をこめて。