アスペルガー自閉症・・・そんな言葉に負けないで!!
こんにちは。
ほっこりんりんです。
小児精神科の病院で、先生に淡々と
「あなたのお子さんは、自閉症ですね、でもここでは治療法とかないですよ。
病名をつけて、薬を処方するだけです。
それしかできません。
治すとかうちではしていませんよ」
と言われました。
でも、私は、心の中で思いました。
そんな夢も希望もないことを言って、「自閉症」というレッテルを貼って私の大切な子をラベリングしないで!!
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離婚・・・という危機を逃れて、やっぱり家があるっていいなあ、と布団に
くるまりながら私は思った。
帰る家があって、
屋根があって、
あったかい部屋があって、
お布団があって、
美味しいものが食べれて、
あったかいお風呂に入れる・・・
そして、私の天使のぬいぐるみがいる(あっ! そっち系の人ねって思われました?)
ん〜!最高!!
人間て、この基本的な部分が大事大事・・・
そんなことをじ〜っと噛み締めていた。
そういえば、自己啓発で、「意識をしたものが増える」という言葉を聞いていたのを思い出した。
感謝をすれば、感謝することが増えて、不満を言えば不満が増えるのだよ〜って、
あなたの解釈の仕方がそのまま現実となっているんだよ〜って。
それを聞いた時は、「え〜、毎日一緒にいる主人にこんなに見下されて、そんな感謝とかできないよ〜。理不尽だなあ」
と思っていたのだけど、
しばらくたってから私は、一生懸命に感謝できること、
例えば、住む家があること、
毎日ご飯が食べれること、
かわいい子供が2人いること、
両親が健康で生きていてくれること、
夫が毎日、働いて生活を支えてくれること、
携帯やテレビがあること、
五体満足で生まれてきたこと、
何よりも今ここにこうして生きていること、
などなど思いつく限りにことを何度も何度も紙に書き出してみることを毎日続けた。
でも、「私の感情」って、いうこと効かなくて、また主人に対するイライラの感情が出てきて、
あ〜、やっぱり感謝できな〜い!!
いいなあ、生まれながらに明るい家庭に生まれた人は〜、いいなあ、私も愛のある人に愛されたいなあ〜
な〜んて思ってよく落ち込んでいた。
そんな日を淡々と繰り返しながら、目の前のやるべきことを毎日こなしていた。
一方、娘の学校への行ったり行かなかったりする日が続いていた。
学校の先生から、
「お母さん、一度病院に行って専門的な意見をもらってきてください。私たちでは、扱いが難しいので」
と言われたので、私たち2人はその手の病院に行った。
つまり、「小児精神科」だ。
病院の先生は、事務的に
「自閉症ですね、ここでは、治療できません」と言って軽く話を済ませただけだった。
私は、
「娘の症状は治るんですか?」と先生に聞くと、
先生は、イライラしながら、
「だから、、! うちでは、治療しないし、そもそも治らないですよ!!
というか、私は、お母さんみたいなタイプ嫌いです」と
語気をあらく、意味の分からないことを言われた。
そんなこと権威ある医者に言われたら、弱者の私は、黙るしかなく、黙って
「ありがとうございました」とだけ言って
病院を後にした。
娘は、
「傷ついた、2度とこの病院には行きたくない。ますます人が怖くなった」
と言った。
(そりゃそうだ、なんて変な場所に行ってしまったのだろう)
私は、症状を治してくれるという期待を持っていっただけに、それと真逆の対応をされて余計に落ち込んだ。
娘に
「怖がらせて、ごめんね」
と言って、体をさすってあげることしかできなかった。
その病院で言われた病名は
「アスペルガー自閉症」というものだった。
なんか名前だけ堂々として、何の解決にもならないなあ〜とそんなことを思った。
逆に病院に行ったことで、繊細な娘の気持ちをさらに傷つけたのではないかと心配した。
ただ最近は、お友達と学校が終わって遊んでいるようだから、とりあえず安心はしていた。
だけど、娘が
「みきちゃんが、なんかいじわるをする」
「私は、安心して学校で過ごせない」
「今日は、まきちゃんが、笑いながら私の顔に泥を塗ってきた。
嫌だったけど、私は、話す人がいなくなるのが怖くて、嫌と言えなかった」
などと毎日泣きながら私に訴えるようになっていた。
私も当時は、娘の気持ちを組んでやれなかったし、学校は行って当たり前、行くことが当然、逆に行かない人の気持ちが分からない!
そして、何よりも娘が私のように、不幸な人生を歩むの怖くて、娘が学校に行きたくない・・・という悩みになんで、こんなに学校の先生にも普通以上に協力してもらって、手厚く保護してもらっているのに、なんで、私がほぼ毎日学校に足を運んで、先生に「娘をどうかよろしく」とお願いしているのに、この子はそんなこと言うだろう?とイライラして怒ることもあった。
だけど、娘はとうとう学校に行けなくなってしまった。
ある日を境に、部屋にうずくまってうんともすんとも言わなくなってしまった。
まるで、大きな石の塊みたいに、暗い影を落としてなんにもしゃべらないし、1ミリも動かなかった。
なだめたり、さすったりしたけど、全然動かなかった。
主人とは話し合いができないので、学校の先生に相談に行った。
何回も足を運んだ。
そして、校長先生や心理の先生と話をした結果、学校を変えることにした。
ありがたいことに、近くに「心」のことを専門に扱う公立の学校があるということだった。
主人も娘が学校に行けなくなっているという現状は知っていたので、学校を変えることには、賛成していろいろと手続きをしてくれた。
だけど、思うように手続きがうまく進まなくて、教育委員会から、
「お子さん、学校を変えることに納得言ってないんじゃないですか?
そんなんじゃあ、学校変えれませんよ」
と言われると、主人は、イライラして私に
「あなたが、フラフラした態度でいるから、教育委員会にNoと言われるんだよ!
ちゃんと、説得してくれ!!」
と怒鳴られた。
私は、またシュンとして下を向いて
「ごめんなさい」と言ってそれから一人で、教育委員会の人と話をしに行った。
そんな手続きを10回ぐらい重ねて、やっと学校を変えることができた。
ホッとした。
娘に
「あのね、もう今の学校は行かなくていいよ。
新しい環境に行けるよ。
新しい学校は、優しい心の先生がいるんだって、
多分、楽しく過ごせるよ」
そう言うと、娘は不安そうに、でもかすかに希望を抱いて顔を少し斜め前に上げ、
「そこ、いいとこ?」と聞いた。
(ああ、良かった。少し前に進めたかな?)娘の表情を見て私はかすかに思った。
「うん、大丈夫だよ、きっといいとこ」
そう、娘に言ってあげれた。
(本当にこの子には、普通の子と同じように笑って、青春を過ごして、明るく生きて欲しい)
この思いは、私の小さい頃からの願いだった。
だから、私は主人と不要な争いはしない。
もちろん、感情が高まって、イライラするのだけどそれを前面に押して主張したりしない。
だって、父親と母親がけんかしていたら、子供の心が不安定になることは私が一番よく分かっているから。
どんな形であっても、この2人には罪はないから。
私のもとに生まれてきてくれた娘と息子は、私が全力で守ってあげようと思う。
少しずつそんなふうに思えてこれた。
娘の学校が変わるための条件が、住んでいる家が学校から”指定範囲の距離内”であることが条件だったから、私たち家族は、引越しをしなければならなくなった。
主人は、娘の様子を見て、一大決心をしたのだろう。
”この地に家を建てる”と言ってくれたのだ。
それまでは、転勤族の主人は私に
「転勤先についてきてほしい。
俺は、単身赴任は、辛くて寂しいから」
と言われていたので、私は「うん」と言いながらも、心の中では
(え〜!、でも実家をはなれて引越しするのは、もう辛い、機械のような主人と一緒にいるのは、私もうおかしくなってしまう!神様どうか、このまま両親のいるこの実家で過ごせますように)
と毎回3月の辞令があるたびに、お布団の中で涙をポタポタと流しながら祈っていた。
それだけ、主人との閉鎖的な生活は息が詰まるものだった。
ところが、娘のおかげで
私は、この両親の暮らす地で過ごすことができるようになったのだ!!
なんと奇跡!!
と〜っても嬉しかった。
両親の面倒も見てあげれるし、何よりも私自身とても心が安心した。
ああ〜、神様ありがとう
少しずついろんなことが良くなってきている。
私は、うさぎのようにピョンピョンその場で跳ねながら思った。
新しい学校に行って娘は楽しそうに学校に通ってくれた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
今日もあなたにとってステキな1日となりますように。愛を込めて。