副汐健宇のFortune Wheel④〜私はミーハー〜
こちらに指を運んで頂き、誠にありがとうございます!
あの伝説のアイドルグループ・光GENJI(1987年8月19日デビュー)と、じっくり時間を掛けて国民的アイドルグループになったSMAP
(1991年9月9日デビュー)の間に挟まれて1990年8月22日にデビューした6人組アイドルグループ、忍者の正木慎也さんにTwitterを1年以上前からフォローされている奇跡を今更噛み締めている、曲がりなりにも東洋占術家を名乗っております、副汐 健宇(フクシオ ケンウ)です。
ちなみに、真剣に、忍者の4枚目のシングル「秘・美・子」は、日本の男性アイドル史に残る超名曲だと身勝手に思っていますので、是非、一度聴いてみて下さい。YouTubeで検索すれば出て来ます。
♬姫魔性 秘・美・子〜
特に、憧れの女性への叶わぬ片想いに悩む方々が、その女性に想いを馳せながら聴きますと、何か得体の知れない宇宙と繋がった感覚を覚え、存分に高揚出来る筈です!
もっと言いますと、忍者でなく、メンバーが2人減って、4人になって四銃士(よんじゅうし)という名義でリリースした、「DO YOUR BEST」という曲も・・・
と、止まらなくなりそうなので、ここらへんで止めておきます(またの機会に?)
アイドルソングにハマる暇があったら、東洋占術家を名乗る者として、中国の古典を嗜むへきだ!という声が今にも飛んで来そうですが・・・
そうなのです。私、正直申し上げまして、
ミーハー、なのです!!!!
先日、姓名判断の安斎先生に姓名鑑定して頂いたエピソードを紹介させて頂きましたが、その時に、私の適職を質問したところ、
「健は、(安斎先生は親しみを込めてこう呼んで下さいました)内に籠る傾向があるから、その分、文章を書く仕事は良いよ。」
・・・その一点も手伝って、私は、ある分野の門を身勝手に叩いていました。
港区赤坂にある、シナリオ作家協会・・・
そう、かつて私は、脚本家志望だったのです。
私が思春期を過ごした90年代は、ちょうど、あの野島伸司氏脚本ドラマが日本のドラマ界を鮮やかに席巻していた頃です。
一介の教師と謎めいた女生徒との純愛を描き切った「高校教師」(TBS:1993年1月)に始まり、「この世の果て」(フジテレビ:1994年1月)、「人間・失格」(TBS:1994年7月)、そして、私の敬愛する、いしだ壱成さんが主演を務められた、青春の葛藤を描ききった「未成年」(TBS:1995年10月)、同じく壱成さんが主演を務められた、知的障がい者の未来は光に満ちているかと問うた、胸に響く群像劇「聖者の行進」(TBS:1998年1月)
・・・今、コンプライアンスがぬりかべのように張っている地上波では決して放送出来ない描写を捕らえたものばかりかも知れませんが、私の中に、今でも数々のセリフやシーンと共に残っている不朽の名作ばかりです。
・・・・「私もああいったドラマを描きたい」
と、単純に思ったのでした。
それらの名作が生まれる背景には、学生時代、浴びるように映画を見たり、数々の小説や漫画に触れていたりされていた、そういった土台があってこそ、の事、という当たり前の事実を、全く知ろうともせず・・・
(実際、野島氏は、学生時代、授業をエスケープして映画を見まくった、と某雑誌のインタビューで答えられています。)
私は、映画が好きで好きでたまらないといった映画少年では決して無く
(当時、夢中になって何度も見た映画なんて、「ドラえもん のび太の鉄人兵団」くらいです。ガンダムのような近未来型ロボットに平然と”ラッコちゃん”と名付けようとする、しずかちゃんの可憐さに未だにキュンキュンしちゃいます♥)
また、他の、演劇や落語や漫画が特別好きだった、という事でも全くなく・・・
#「ベルセルク」は2巻で挫折したぜベイベー
ただ、ちょっとドラマを見ただけで書けるなんて思ってしまったのです。シェイクスピアもイプセンも全く知らず💦映画「ゴッド・ファザー」もロクに見た事も無い、ドストエフスキーも真っ青な私・・・シナリオ協会では、課題としてシナリオを毎週提出するのですが・・・そんなミーハー・オブ・ミーハーな男の、ペラペラなありきたりな何者でもない少年が自分探しをするような話なんて、映画や演劇などのエンターテイメントを秒単位で浴びて来られた、様々な現場で百戦錬磨されて来られた、プロの脚本家である講師の方々の胸を打つ筈も無く、また、他の生徒の方々も、皆、映画や演劇、舞台が好きで好きでたまらない! という方々ばかりで・・・
ただ、別の意味で、私の存在は、胸を打っていたかも知れません。
いわゆる、「反面教師」(2003)として・・・・
何かになりたい、その分野を極めたい、その道で飯を食いたい、と思うのなら、ミーハーから脱却して、傍観者の立場から抜けて、その対象を深く愛し抜いて全身全霊でその中に分け入って行く姿勢と覚悟が必要なのだ!!!
と、当たり前の事を痛感したのでした。
自分の中の「好き」は何か?・・・そこで、どこか、周囲の目を気にして、避けていた、いや、避けなければならないと思っていた、「占い」に、腰を据えて目を向け始めるのでした・・・
ただし、それでも、シナリオや戯曲の、ト書きがあってセリフがあって、というような、あのフォーマットにはどうしても惹かれてしまい、脚本家志望な自分を振り切り切る(?)には、何年もかかっていて、今でもどこかくすぶってしまっている自分もいるのですが・・・・
真剣なお悩みを抱えてご相談に来る方々にはご迷惑な話かも知れませんが、四柱推命における命式、周易や断易の時の立卦を、どこか、戯曲的に読む事で、無謀に脚本家を志望している自身を、あやすように優しくたしなめている部分もあるように思っています。
もちろん、お悩みに寄り添う、という意識は大前提にして。
※戯曲的に読む、とは、決してフィクションとして捉えるという意味では無く、そのセリフやト書き(干支や立卦)の背後にある景色を捕らえる、一辺倒では無く、多角的な視点で捕らえる、という事です。
次回は、某占い学校に通い始めた自身を振り返ってみたいと思っています。
身勝手に自己紹介が延々と続きますが、行く行くは、四柱推命や周易を絡めたコラム的なものを本格的に書いて行けたらと思いますので、もう少し、自己紹介にお付き合い頂けたらと思います。今後とも、何卒宜しくお願い致します。
追伸:安斎先生には、「占い師というお仕事にも興味あります」と伝えました。先生は、「占い師は末はカラス、と言われている。余りオススメ出来ない」と言われました・・・こうなったら、ツー言われたらカーカー響くような占い師を目指します!!!
令和二年 十一月十五日
副汐健宇
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