周易で勝手に人物占をしてみた〜『愛という名のもとに』の杉本課長〜
皆様、いつもこちらに指を運んで頂き、誠にありがとうございます!
つい1年半くらい前まで、「どんだけ〜」を、IKKOさんでは無く、柳原可奈子さんの1発ギャグだと思っていた、曲りなりにも東洋占術家の、副汐 健宇(フクシオ ケンウ)、源氏名です。
#IKKOさんも1発ギャグのつもりなのか問題
今まで、いささかぶっ飛んだ知性無き自己紹介でさり気なくお茶を濁して来ましたが・・・
今回から、趣向を変えて行きたいと思っています。
曲がりなりにも脚本家志望だった私が、かつて感銘を受けたドラマから気になっていた登場人物を抜き出し、勝手に”卜占の神様”と謳われている(?)周易でどういう人物かを占おう、という企画を始めてしまいます。
(作品中に生年月日が分かる描写があれば、その生年月日を元に、命式で占う、という事もしてみたく思います。こちらの企画が企画倒れで終わらなければ、の話ですが・・・)
記念すべき(?)第1回目の今回は、
1992年1月〜3月期に、フジテレビ毎週木曜夜10時に放送されていた
『愛という名のもとに』
を取り上げさせて頂きたく思います。
大学時代、同じボート部で青春を謳歌していた男女が社会の壁に直面する、という青春群像劇という形態を借りながらも、あらゆる面でセンセーショナルだったようなこの作品。放送当時、鼻水垂らしていた小学校5年生で、リアルタイムでは見ていなかった私でも、新聞での当ドラマに対する度重なる投書等を通して、何か不穏さが漂っているドラマだという印象は受けていました。それから月日が経ち夕方の再放送を見て、その不穏は確信に変わりました。
記憶に残っている事の一つに、当ドラマは、最終回だけ10分くらい放送時間が拡大されました。現在はドラマの放送拡大等当たり前となっていますが、当時は非常に珍しく、テレビ欄等で何故か異常に騒がれていた記憶があります。(当ドラマが初めての試みだったように思います。)その騒がれ方も、それまでの不穏さによって生まれた事のように思えてなりません。
何といっても、中野英雄氏演じる、倉田篤、通称”チョロ”の自殺、というのがその不穏さを明確に決定付けたように思います。ネットの普及していない当時は、新聞の投稿欄を通して、内容に対する批判、非難めいたものが非常に渦巻いていたと記憶しています。一つの議論として白熱していて、ますます放送をリアルタイムでのぞき見たいという不謹慎さを覚えた事も認めます。
篤は、金融関係の営業の仕事をしていたのですが、持ち前の優しさ、愛情深さから、顧客から高いお金を取って行くという業務に前のめりになり切れず、その為、要領が悪く営業成績も全く伸びない状態が続き、直属の上司である、加藤善博氏演じる杉本課長に、今でいう強烈なパワハラを受けます。篤は、杉本課長と飲みに行った(無理やり付き合わされた)帰り、路上で無理やり土下座をさせられ、そこで絶望に打ちひしがれている時に、ルビー・モレノ氏演じるパブに勤める女性にハンカチを差し出され救いを覚え、そこから彼女のパブに通い詰め、彼女を真剣に愛し始め、挙句の果てに、営業で得た大金を、故郷でお金に困っている彼女に差し出してしまう。しかし、彼女は他の客にもそういう手法でお金を取っていると知り、絶望し、また、着服を杉本課長にも知られ、「俺の前を2度と”チョロチョロ”すんな」と攻められた挙句、篤は「俺はチョロじゃねえ!」と杉本課長の頭を誤って血で染めてしまい、絶望で街をさまよい歩き、大学時代のボート部の部室で・・・
という一連の筋書きです。
杉本課長が篤にした事は、今では、「パワハラ」の名のもとに明確に線引きされ、もしも、篤が2020年を生きていてくれたら・・・と思うとやり切れず、一方で、当時はそれが当たり前のような状態だった(当時、金融業の関係者から、金融業のイメージを下げるなと批判が来たようですが)という寒気も覚え、非常に戦慄している思いです。
当ドラマは、後に社会や恋愛、人間の暗部に切り込んだ作品を多く展開する事になる野島伸司氏の脚本で、氏は後に、当ドラマを通して、センセーショナルがドラマの中で通じるかテストをして、後に再びセンセーショナルな話題を引き起こす事になる『高校教師』(1993・TBS)への布石とした、というような事をおっしゃっています。
なので、ある種極端な悪人として、杉本課長は分かりやすく君臨している訳ですが、当ドラマでは、杉本課長の背景がなかなか見えて来ないのです。結婚はしているのか、家族構成はどうなっていて、どのような両親のもとに育ったのか、穏やかな愛情に包まれて育ったのか、もしくは、満足な愛情を得られなかったのか・・・
何が杉本課長をそうさせたか、という描写が・・・(当ドラマは群像劇で他の人物の問題も多く描いていたので、そこまで手が回らないという事は理解していても)無いに等しいので、
おせっかいに加えておせっかいな事は千も承知で・・・
ズバリ、杉本課長はどういう人物なのか、家族構成は見えなくても、どういった心理で仕事に携わっていたのか・・・
周易で、占ってみました。
(こんな下らない事に神聖な周易を使うな、という罵声が聞こえて来そうですが、立卦から、どういう人物像が沸き上がって来るか、という練習にはなり得る、とせめて付け加えさせて頂く所存です。)
(結果) 火風鼎(かふうてい) 二爻
☲
☴
鼎(かなえ)、とは、物を煮込む為に使う、生物や固い物を入れる為の鍋のようなものを表します。卦の形が、鼎を横から見た様に似ていて、一番下の初爻は鼎の足に、五爻は鼎の耳の部分に当たる、と言われています。
上の卦(外卦)は☲、火で、下の卦(内卦)は☴、木で、やはり薪(木)を燃やして(火)煮る、鼎の働きを示しています。
古代中国において鼎は、王者の権威を表す最も貴重なお宝であった、とも言われています。鼎は神を祭り、賢者を養う為の器にもなり得たのです。
火風鼎の二爻(九二とも云ふ)は、
「鼎に実あり。我が仇疾(やま)いあり、我に即(つ)く能(あた)わず。吉なり。」
実は、中身。九二は陽爻なので、充実の意味があります。
二爻は基本的に陰爻でなければならないのに、陽爻であるという事は、二爻で中庸の位置は得ているものの、どこか前のめりなイメージがあります。
また、内卦は、現実面を表すので、現実の中身・・・過程よりも結果、実力勝負、という側面が強い方というイメージは持てます。(かなりこじつけですが汗)
また、鼎は、三本足、三本で支えている、という意味合いから、三人で
、第三者、という視点も加えて良く、第三者の視線が気になる、世間体・・・世間の価値観を無自覚に受け入れてしまう男性とも読めます。
そういった観点から、彼もまた、ハイスピードな世間の川の流れに呑まれるまいと、何か大きなものにしがみつく事しか出来ない、ある種の被害者だったのかも知れません。
また、内卦の一部と外卦の一部を掛け合わせた、互卦が、
沢天夬 (たくてんかい)
☱
☰
なので、どこか感情が決壊しやすい、男性を表す陽爻が下から競り上って来る卦なので、頭に血が昇って激情しやすい、というイメージも読み取れます。
しかし、一人の前途有望な青年を自死に追い込んだ罪は、そんなヤワな理由では、いや、どんな理由でも決して許される事ではありませんが・・・
当ドラマの第1話の再放送を見て、「このドラマは穏やかには見られない、ヤバい!」と決定的に思った衝撃のシーンは、篤の勤める証券会社の昼礼で、杉本課長が営業成績0の篤を皆の前で汚い言葉で罵倒するシーンですが・・・その罵倒の前の一瞬、嵐の前の静けさを伝えるようなやり取りがあります。
杉本課長「倉田(篤)、今日、昼飯何食った?」
篤 「・・・カツ丼です」
杉本課長「ほお・・・カツ丼食って勝つどんってヤツか」
と、この直後、杉本課長の激しい罵倒が繰り広げられる訳ですが・・・
私はこのシーンを少年時代、網膜に焼き付けてから、カツ丼を目にする度、口にする度、あの時の昼休み、篤はどんなお店で、どんな気持ちで、どんなカツ丼を食べていたのか、想いを馳せずにはいられません。もっと言えば、カツ丼を口にする度、あの時、繊細な心を大切に抱えながら、孤独に必死で社会に適合しようともがいて戦っていた、篤そのものを憑依させている時さえあります。きっと、本当に「勝つどん!」と思っていたに違いないのだ、と・・・。それさえも一笑に付され、篤はどれ程辛かったか分かりません・・・。
あの時、チョロが食べていたカツ丼はどんな味がしましたか?
と、サイコロを手にしたら、
易の神様に、罵倒されるでしょうか?
追伸:杉本課長を演じていらした加藤善博氏は、2007年に鬼籍に入られました。この役以外にも、月9ドラマ『DAYS』で老人をいびる工員や、野島伸司氏脚本ドラマ『聖者の行進』で勝つ事しか興味が無いような冷淡な弁護士等を演じられ、その、好感度を気にしない、演技だけを突き詰めるような、真の演技派の俳優だった印象を持っていました。改めましてご冥福をお祈り致します。
令和二年 十二月一日
副汐健宇
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