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副汐健宇の戯曲易珍道中⑧〜木皿泉『Q10』〜

 いつも、こちらに指を運んで頂き、誠にありがとうございます!
 この、何の役に立っているんだか分からない、否、これからは役に立たないものこそ役に立つんだ!といった、まさに土の時代から風の時代への象徴???な、当シリーズ、性懲りも無く、また身勝手に進めさせて頂く次第です。

今回、取り上げさせて頂く作品は・・・

木皿泉 『Q10 シナリオBOOK』(双葉社)

今から12年前の、
2010年10月16日〜2010年12月11日、毎週土曜日21時に、日本テレビ系列で放映されていたドラマ『Q10』です。

主演は、当時、アイドルグループAKB48の絶対的エースとして君臨していた、前田敦子氏、そして、当時、新進俳優の先頭を高らかに突っ走っていた、佐藤健氏・・・。

脚本は、”木皿 泉(きざら いずみ)”。和泉務氏と妻鹿年季子氏の、夫婦脚本家による共同執筆です。お二人で登場人物その他の設定を考え、後は妻鹿氏がお一人で執筆して行き、妻鹿氏が行き詰まると、和泉氏が膨大な知識や経験を元にアイデアを捻り出し場面を展開させて行く、というスタンスのようです。(安定のWikipedia参照💦)

木皿氏は、こうして、当ドラマの他にも、『すいか』(出演:小林聡美 ともさかりえ)や『野ブタ。をプロデュース』(いずれも日本テレビ。出演:堀北真希 山下智久 亀梨和也)等、何気ないセリフが心に響く名作を生み出しています。特に『野ブタ。〜』は、山下氏と亀梨氏のユニット”修二と彰”も派生させる等、明確な認知度も獲得しています。

そうして作り上げられた当ドラマの世界観は、テレビドラマという枠では図り切れない程壮大な世界観を誇ってはいますが、一方で、そこに織り込まれているテーマ自体は、日常に根差した普遍的なもので、陰と陽では無いですが、そうした大と小のコントラストが、当ドラマを唯一無二なものにしていると断じても過言では無い筈です。

・・・ここで、相変わらず私的な事情を語らせて頂きますと、私は、当ドラマ、特に最終話のクライマックスを想うだけで、胸が自然と疼き、涙腺が緩む程の郷愁のような感情を覚えてしまうのです。
放映直前、30歳を迎える直前だった私は、思い切って有名観光地ともなっている某電波塔の清掃部門を管轄する会社に転職をしていました。しかし、その根拠は長くなってしまうので省きますが、この転職は失敗だったのかも知れない、と、淡く思い始めた時期だったのです。(自分でちゃんと占え!というお叱りはしっかり受け止めます。読みが未熟過ぎました💦💦💦)
 そして、その会社の本部が、日本テレビタワーのある汐留付近にあったのでした。
なので、どうしても、当ドラマと向き合う度に、センチメンタリズムが否応無く引き起こされて仕方無いのです・・・。戻れないかもしれない、いや、まだ戻れる・・・そんな揺れの狭間に、このドラマが鉄塔のように屹立していました。また、放映時期が、年末(10月期〜12月期クール)というのも、その郷愁に拍車をかけたように思っています。

・・・もう一つ、本作で印象に残っているのは、本作の番宣CMのBGMが、はじめはかの有名な「DAYDREAM BELIEVER」でした。それだけでもワクワク胸が弾んだのですが、実際の主題歌は、高橋優氏の「ほんとのきもち」という曲で、一瞬、デイドリームじゃないのかよとガッカリしたのですが、すぐにこの曲の”見えないものを追いかけてもがいて、やがてたどり着いた”といった感覚をくすぐるメロディーにやられて、すぐに大好きになりました。主題歌を含めて、名作と思える数少ない日本のドラマの一つと、勝手に盛り上がっている私です。


・・・今までは、個人的に印象的に残った戯曲(脚本)の一つ一つを無理やり易の六十四卦に身勝手に愚直に当てはめる、というスタンスを取っていましたが、今回は、敢えて、しがない一人の40代のオッサンが背伸びして書いたドラマ評論、という形式を基本的に取らせて頂き、最後の最後に、『Q10』を一言で言い当てる、易の卦爻を紹介させて頂こうと思います。
ちなみに、もちろん、当記事を書く上で、『Q10』の脚本は何度も読み込みましたが、未だに当ドラマを一言で言い当てる事の出来る六十四卦、爻は見えていません。
それを、”易経の敗北”といささか乱雑に捉えてしまう方もいらっしゃるかも知れません。確かに、壮大な世界観、粒立った珠玉のような数々のセリフに、悪戯に六十四卦を差し挟む余地は無いと狼狽したのは確かです。しかし、それは一つ一つ、に当てはめるのが相応しくないというだけで、最後に、これだ!という六十四卦をそっと添わせる事で、当ドラマの魅力はもっともっと浮き彫りになるという確信を持ったのも紛れも無い事実です。その事実が無ければ、私は当ドラマを取り上げる事無く、目を背けて、違う戯曲を探していたに違い無いのですから・・・。

『Q10』にあらすじを、大まかに、実に大まかに紹介させて頂きます。
  ※ネタバレ注意

タイトルの”Q10”とは、”キュート”と読みます。Q10とは、ロボットの名前で、前田敦子氏が演じています。そして、心臓の手術を受けた過去から、どこか生きる事に投げやりになっている、深井平太という男子高生を、佐藤健氏が演じています。平太は、ひょんなキッカケで、女子高生ロボットのQ10に出会い、教育係のような役割を教師達から無理に与えられ、渋々Q10にあらゆる人間の感情を教えていくうちに、彼の中に不思議な感情が芽生えて行く・・・

全9話。1話1話、平太のモノローグで始まり、平太のモノローグで終わります。ここで比べるのはおかしいという指摘を覚悟で忖度無く申しますと、個人的には1993年の名作ドラマ『高校教師』(TBS 脚本:野島伸司)で、主演の羽村隆夫を演じた真田広之氏のモノローグにも匹敵する程の、詩的なレトリックが存分に含まれた、深いセリフの数々が紡がれています。


■第1話
12ページより引用

#1 夕暮れの繁華街
   女の子が打ち捨てられたようにうずくまっている。
   季節はずれの服装にリュック。
   誰かに蹴っ飛ばされるが、反応なく、ガクンと体が崩れる。
平太「(モノローグ)例えば、この地球上に、自分より大切に思える人なんて、本当にいるんだろうか?」

#3 教室
   帰り支度の生徒達。
平太「(モノローグ)例えば、俺の人生を変えてしまうような―――」

13ページより引用

#7 道  
   夕暮れの道を歩く平太。
   立ち止まって、遠くの鉄塔を見る。
平太「(モノローグ)夜中に、ひとり何度も問う。オレじゃなくてもよかったんじゃないか」


■第2話
125ページより引用

平太「(モノローグ)オレ達は、キラキラしたものをつかむのに、いつも必死で―――」

―省略―

#60 スタジオ
平太「(モノローグ)もし、そいつを一瞬だけでもつかまえることができたなら」

―省略―

126ページより引用

#61 学校・教室
平太「(モノローグ)また、どうでもいい教室に戻ってゆけるのに」

―省略―

・・・と、淡々と、その中で詩的な哀愁を持って綴られて来ます。

Q10を演じる前田敦子氏は、先程も記しましたが、当時、国民的アイドルグループの称号を欲しいままにしていたAKB48の絶対的エースでした。なので、Q10のロボット的な動き、語りだったりを限りなくデフォルメした、Q10のキャラクター性を前面に押し出したストーリー展開で進んでも誰も文句は言わなかった筈です。それに連動した、Q10のフィギュア(?)等のキャラクターグッズを連動して売り上げる、という戦略だって建てられた筈なのです。
しかし、そうはなりませんでした。女子高生ロボットである、Q10のキャラクターの過度な押し出しは控えめに、あくまでもそれを取り巻く、平太を始めとした人間の心理の機微、葛藤に重きが置かれ、もっと言ってしまえば、Q10は彼等の心理を映す鏡のような役割を果たしていたに過ぎないのです。もう結論を述べてしまうと、Q10は、”フカイヘイタ”に会う為に、2010年から70年後、つまり、2080年の未来からやって来たロボットなのでした。通常なら、そういったSFチックな設定や、過度な未来世界の紹介、そしてやはりロボットのキャラクターが前面に押し出される筈なのですが、昭和を彩った名曲「戦争を知らない子供たち」やザ・スパイダースの「さらば恋人」等を挟みながら、非常に濃厚な文学性を持って、日常を生きる普遍性ばかりに意識を置かれているのです。SF設定は、その心理を際立たせる為のほんのスパイス程度に過ぎないのでした。これは偶然では無く、明確な意図があってのように思います。学校の教師達も、平太以外の生徒達も、Q10を、Q10がロボットであるという事を、比較的スンナリと受け止めます。驚愕して警察を呼んで云々・・・といった、そういった展開には主題は無い、我々はストーリーの奴隷では無いという矜持を見て取れるのです。
 木皿氏を始めとした製作スタッフの皆様も去る事ながら、それに乗った、特に主演の前田氏にも敬意を表したいです。通常、トップアイドルでしたら、もっと私を前面に出して欲しい、私にとっておいしいシーンをもっと多用して欲しい、と思うに違い無いのですから。

■第2話
117〜118ページより引用

※Q10と平太のクラスメイト、ロックバンドでギターを担当している、山本民子(演:蓮佛美沙子)が、憧れのバンドの先輩、チャカと歩いている。

#49 突堤
    海を見ている民子とチャカ。
    チャカ、民子を引き寄せようとすると、民子、突き放す。
チャカ「!」
民子「チャカが好きなの、私じゃないよね」
チャカ「―――」
民子「白いワンピースとか、細いヒールの靴とか、肩んとこでクリンとした髪の毛とか、ちっちゃくてかわいいバッグとか―――」
チャカ「(笑って)何、言ってるの?」
民子「私、実は人間じゃないんだ」
チャカ「え?」
   民子、いきなり海に飛び込む。
チャカ「!」
民子「(泳ぎながら)わたし、人魚姫だったのッ! わたし、無理してたの。チャカ、こっちに来れる?」
チャカ「(見てるだけ)」
民子「来れないよね。だって、生きてる場所が違うんだもんね(と言って沈む)」
チャカ「!」
   でも、チャカ、飛び込まない。人も呼ばない。
   後ずさりして逃げてゆく。
✖     ✖      ✖
   海から上がってくる民子。
   サンダルやら、上着やら、身を飾っていたものをごみ箱に打ち捨て
   る。     
   ポケットから何やら小さな物を見つける。
   握った手を開くとピック。
民子「―――私が生きてゆける場所」
   ピックを握りしめる。

民子は自身を”人魚姫”と言っていますが、唐突な展開では無く、このシーンの直前、民子が持っているピックを見たQ10は、ピックを、魚のウロコと勘違いして、民子を”人魚姫”と指差します。戸惑う民子と平太を他所に、
民子に、「ニンゲンのオトコのヒトにコイにオチたのデスか?」(90ページより引用)と聞いています。民子は、それに感化されたのです。Q10が今後、周囲を軽やかに変えて行く事が端的に伝わる良質なシーンだと思います。自身の身を文学的な捨て身で投げ出して、思いを素直にぶつけて行く、という手法は、伝説のフジテレビ月9ドラマ『101回目のプロポーズ』(1991年7月〜9月 脚本:野島伸司)の、武田鉄矢氏演じる星野達郎が、捨て身で道路に身を投げトラックに轢かれそうになりながら、浅野温子氏演じる矢吹薫に思いを打ち明ける伝説の
      「僕は死にましぇん!!!!!」
に通ずる、匹敵する名シーンだと思います。

・・・と、周囲に感化を与えるQ10ですが、Q10自身もまた、己の存在に迷います。

■第5話
255〜257ページより引用

※理科教師の柳栗子(演:薬師丸ひろ子)とQ10。

#25 理科準備室
    柳、仕事に没頭している。その横にQ10。
柳「(仕事をしながら)ポーカーフェイス、ヤなの?」
Q10「(コックリ)」
柳「どーして? そのままでも充分かわいいよ」
Q10「人を元気にできませんダヨ?」
柳「(見る)人を元気にしたいんだ?」
Q10「ぱふ」
柳「って言われてもなぁ―――あッ、できるかも? (何やらアチコチ探し出す。嬉しい)できるかもよ」

#26 鉄塔の下
    座っている平太とQ10。
Q10「平太は悩んでる」
平太「(ちょっと、うっとおしい)まぁね」
Q10「そういう時は、一緒に落ち込むんダヨ」
平太「(つぶやき)一緒にって―――ロボットじゃ―――」
  Q10、紙袋から何やら出してくる。
Q10「キュート、落ち込みます(漫画で額にシャーとなる斜線のシールを貼りつけ、肩をガックリ落とす)」
平太「!」
Q10「落ち込み、足りませんか?」
   『ガ〜ン』という立体の文字を肩に取り付ける。
Q10「(『ガ〜ン』をゆらしながら)が〜ん」
平太「―――」
Q10「が〜ん」
平太「(何だかおかしくて笑ってしまう)」
Q10「(見る)元気でましたか?」
平太「(笑ってる)うん」

・・・と、ゆったりと仄かな笑顔をQ10に貰いながら、平太は急速にQ10に魅かれて行く訳です・・・。

 
265〜266ページより引用

※給食費も払えない程、お金に困窮している藤丘誠(演:柄本時生)と柳の会話。

#42 学校校内
    自販機や、下駄箱に貼られた貧乏シール。
    色々な所に貼られている。

#43 廊下
    柳と藤丘。
柳「(残ったシールを数えながら)あと、どこに貼ろうかな」
藤丘「先生は、貧乏は怖くないんですか?」
柳「―――ねぇ、貧乏なんて、このシールみたいなもんだって思えないかな?」
藤丘「―――」
柳「藤丘君は、今、いっぱいコレ、貼っつけてるだけ。でも、そんなの、その気になれば剥がせるのよ」
藤丘「―――」
柳「私は、それ知ってるから、シールつけたままでも、全然ヘーキ」
藤丘「―――」
柳「私は自分を信じてる」
藤丘「―――」

まさに、木皿節というような、日常性の中から丁寧に取り出された粒立った名ゼリフ、名シーンですが、またしても私個人の心理に引き寄せて恐縮ですが、曲がりなりにも東洋占術家として、鑑定業務を行っている時でも、クライアントの方を、日干が丁だからどうか、とか、出た卦がどうか、大運がどうか、等・・・占いは全般的に人知れずこうした”シール貼り”の要素を多分に含んでいる所作であり、その事が忌み嫌われる原因の一つでもあるとは思うのですが。何か占い師への戒めとして、皮肉にも輝けるシーンでしょう。シールを剥がせるのは、貼られたあなた自身です、と論じて、素直にそれを受け入れてもらえるような、風通しの良い鑑定を心がけたいものです。
”人見知り”という、自分の額に身勝手に貼った使い古されたシールを剥がしながら・・・・・・。

275〜276ページより引用

※Q10をロボットだと知っても真剣に想い、平太にQ10を譲って貰おうとしたが、平太に拒絶され、激高して平太を学校の屋上から突き落としてしまった、クラスメイトの中尾順(演:細田よしひこ)と平太の会話。平太はQ10に受け止められて無事だった。

#58 鹿浜橋高校・理科準備室
    平太と中尾。
    ビーカーの湯を沸かす音だけが聞こえる。

―省略―
    平太、ビーカーの湯で紅茶を淹れる。
平太「この部屋でキュート見つけた」
中尾「!」
平太「まだスイッチ入ってない状態で、そこに座ってた」
中尾「(座ってた所を、ぼおっと見ている)」
平太「たまたま、オレが先に見つけただけなんだよ。だから、中尾の気持ちわかるよ。だって、そんなの不公平だもんな」
中尾「―――」
平太「不公平ってイヤだよな。何でオレだけって、自分の中に恨みばっかり積もっていって―――」
中尾「―――深井は、どうしてたの?」
平太「ん?」
中尾「だから、病気。自分のせいじゃないのに。いろんなこと恨まなかったの?」
平太「恨んだよ―――でも、恨んでも、いいことなんか一つもなかった。っていうか、ひどくなるばっかりでさ。だから、この世は不公平だ。それでいいんだ。って思うようにした―――そしたら、そんな目に遭ってるのはオレだけじゃないって気づいた。そうやって、オレは、恨みとか嫉妬とか、ろくでもないモノを、ちょっとづつ小さく折りたたんでいったんだと思う」
中尾「―――」
平太「ちっちゃくはなるけど、なくならない。きっとオレのどこかに、あるんだと思う(中尾を見る)」
中尾「―――」
平太「同じだよ。オレとお前。同じなんだよ」
中尾「―――」

・・・上記のシーンも、占術家としての私の矜持の重さを試されているような気がしてなりません。私の鑑定が、与えられた運命、運勢を冷静に客観的に受け止め、不公平に対する恨みや嫉妬を折りたたむ役割をしっかり果たせているか、運勢を受け取り、そこから自発的に生きよう、と思えるような伝え方をしっかり出来ているか、私自身が折りたたんで来たものとしっかり向き合いながら、六十四卦と寄り添って考えて行きたいです。

278〜279ページより引用

#63 回想
    屋上の平太と中尾。
中尾「平太は、人間の命とロボットと、どっちが大事なんだよ」
平太「キュートだ」

#64 深井家・平太の部屋
    ベッドの平太
平太「(モノローグ)小さくたたんで、しまっていたはずのモノが、少し開いた気がした」

■第6話
327〜328ページより引用

#58 鉄塔の下
    夕暮れ。
    平太とQ10、座っている。
Q10「私にしてほしいこと、ありますか?」
平太「え? ―――いや、って言われてもなぁ―――まぁ、オレが望むのは、キュートがこの先、泣いたりしないってことかな」
Q10「ぱふ」
   Q10、耳からポンッとつぼのようなものを出す。
平太「!」
   透明な容器の中に、透明の液体。
Q10「(容器を渡す)」
平太「?」
Q10「私の涙です」
平太「え? コレ、涙なの?」
Q10「これで、私は、もう泣きません」
平太「いや、だって―――一生泣かないってこと?」
Q10「一生です」

―省略―

   平太の手の中に二五〇年分のQ10の涙。
平太「(モノローグ)涙を抜いた後、キュートのどこかに、ぽっかりできた空洞のことを思った」

・・・”空洞”という言葉を見るだけで、脊髄反射的に、

       山雷頤(さんらいい)
          ☶
          ☳
を連想し、無理に当てはめてしまおうという悪癖が私の中に備わっています。そんな私の空洞に私自身、失望を覚えますが💦 しかし、冒頭にも申しました通り、この壮大な設定の中に普遍的な日常の機微を織り込んだドラマを六十四卦一つで鮮やかに言い当てようとしますと、山雷頤は、ややふさわしくないように思います。山雷頤を巡る物語では、『Q10』はありません。また一つ身勝手に種明かしをさせて頂きますが、Q10のスイッチは、奥歯にあります。なので、スイッチを抜きたい、入れて欲しい時、Q10は大きく口を開けます。なので、大きく口を開けて食物を取り込もうとする卦である山雷頤は当てはまるように思いますが、主題はお口の中には無く、また、もう一つの山雷頤の側面、”正面衝突”の要素もありません。また、平太は空洞を想いながらも、それをラストシーンには克服します。その意味で、山雷頤は、今回は敢えて見送らせて頂く次第です。

#60 病院・久保の病室
※久保武彦(演:池松壮亮)は、平太の親友。

勉強している久保
平太「(モノローグ)キュートは、その空洞を抱えて生きてゆく」

平太とQ10は、人間とロボット、という関係性は、鉄塔の鉄のように変わりませんが、一方で、順調に、情のようなものを通い合わせていました。しかし、そんな微笑ましい関係性に拗らせたメスのようなものを走らせる、一人の少女が現れます。今まで引きこもりだった、富士野月子(演:福田麻由子)です。

■第7話
337ページより引用

#6 教室
平太「―――」
   月子、立ち上がって近づいてくる。
月子「(平太に)私、今日から毎日、学校来ることにしたから」
平太「―――そう」
月子「深井君に、毎日会いたいから」

・・・月子は、本当に平太を愛しているのでしょうか? なので、Q10を邪魔に感じて、横入りをするつもりなのでしょうか?

さかのぼります。

■第4話
222ページより引用
※進路希望用紙の提出。進路に迷っている平太。

#51 鹿浜橋高校・教室
    外は暗くなってる。
    平太と月子だけが残っている。
平太「もう、考えたって結論なんか出ないって、永遠に終わらないよ、こんなの」
月子「永遠なんてないよ」
平太「(見る)」
月子「この世界に永遠はない。いずれ宇宙は終わる」
平太「宇宙って、終わりがあるの?」
月子「宇宙には暗黒物質が23%、暗黒エネルギーが73%」
平太「何だよ、それ。ほとんど暗黒じゃん」
月子「私達が物質と呼んでる物はわずかに4%。残念なことに、時間とともに暗黒エネルギーは増えていくの」
平太「増えるとどーなるの?」
月子「物質が引き裂かれる」
平太「引き裂かれる?」
月子「全ての分子が引き裂かれて、素粒子になってしまう」
平太「素粒子? ―――どういうこと?」
月子「机、黒板、窓―――」

#52 校内
月子「(声)廊下、中庭、運動場、芝生、花、雲―――」

#53 教室
    平太と月子。
月子「私、あなた―――今は暗黒エネルギーの量がちょうどよくて、たまたまこうやって形になっているだけなのよ。暗黒エネルギーが増えると、こんなふうにまとまった形でいられない。引き裂かれて小さな小さな素粒子になってしまうの」
平太「その暗黒ナントカが増えると、つまり地球がチリみたいになってしまうってこと?」
月子「その前に、太陽系が崩れてゆくんじゃないかな。外にある惑星から順に、次々と軌道から飛び出していって―――」
平太「太陽も?」
月子「もちろん、太陽も引き裂かれる」
平太「そんなぁ」
月子「まぁ、一千億年ほど先の話だけどね」
平太「ああ―――(でも、ちょっとショック)」
月子「二〇一六年に、このことが証明されて、二〇二五年に、国語の教科書から永遠という言葉が消される―――そして、私達は永遠というコトバを失う」

・・・2016年に、一千億年ほど先に太陽が引き裂かれるという概念は証明されていません。なので、単なるフィクションだと一刀両断する方が大多数でしょう。しかし、このシーン、実際にドラマとしても見ましたが、淡々とした説明のシーンでありながら、そこはかとない迫力に魅せられてしまったのです。電力逼迫が謳われる程の異常な程の暑さにくるまれた昨今の世界を見ますと、暗黒エネルギー、というものではないとしても、何らかの地形のバランスが崩れている、とは漠然と想像出来るように思います。なので、上記のシーンは、無根拠で突拍子も無い概念、とはどうしても思えないのです。

・・・そんな鬼気迫る程の概念への信頼に採り憑かれた、富士野月子の正体とは・・・

■第7話
371ページより引用

#63 使われていない船
    夜。
    月子がいる。
    月子、Q10を隠している物を取りのぞく。
月子「(現れたQ10を見下ろしている)」
    月子の電話が鳴る。
月子「(出る)はい―――え? そーですか。じゃあ、Q10(キュー・イチ・ゼロ)は回収ですか? わかりました。明日から撤収準備始めます(切る)」
   月子、持参した電池パックみたいなものでQ10を充電してやる。
   月子、しゃがんで、Q10を見る。
月子「任務は終わりだってよ。帰るよ」

・・・上記から分かる通り、月子はQ10の恋のライバル等では無く、彼女こそ、Q10を2010年の平太の元に送り込んだ張本人だったのです。

■第8話
392ページより引用

#22 使われていない部屋
    平太と月子。
平太「―――本当は富士野月子じゃないんだろ?」
月子「うん、違うよ」
平太「富士野月子って、誰の名前なんだよ」
月子「それはね、Q10(キュー・イチ・ゼロ)につけるはずだった名前」
平太「!」
月子「キュートが、富士野月子になるはずだったの」
平太「―――」

394ページより引用

#25 イメージ
    教室。
    メガネをかけた陰気な感じのおどおどしたキュートが富士野月子と
    して登校してきている。鞄から教科書を出したりしている。(ぎこ
    ちないが、Q10より人間的である)
月子「(声)無口で、人付き合いの悪い富士野月子としてね」

#26 使われていない部屋
    平太と月子。
月子「手違いはあったけど、結局は、こちらの思う通り教室に入りこめたわけだから、このまま、任務を継続することにした」
平太「―――」
月子「でも、メンテナンスとか情報収集が思うように出来ないから、私が富士野月子として乗り込まざるを得なかった。わかってもらえたかな?」
平太「―――何のためなんだよ―――何のためにロボットをここに送りこまなきゃなんなかったんだ?」
月子「ここに、あなたがいたからよ」
平太「!」
月子「Q10(キュー・イチ・ゼロ)は、フカイヘイタに会うために、未来からやって来たロボットなの(行く)」

・・・何で自分に会うためなのか、平太は更に月子に詰め寄ります。月子は、Q10の奥歯のリセットボタンを押したら教えてあげても良いと条件を出します。

396ページより引用

―省略―

※理科準備室

   平太、出てゆこうとする。
   Q10、平太の手をつかむ。
平太「!」
Q10「キュートの帰る家は、深井平太です」

・・・Q10と別れたくない平太は当然それを拒絶します。しかし・・・

■第9話
438ページより引用

※道。平太が帰って来ると、月子が立っている。

月子「ね、リセットボタン、押してくれないかな」
平太「―――いやだ」
月子「このままキュートを置いておくと、世界は大きく変わってしまう」
平太「―――」
月子「深井君のせいで、二つの文明が滅びて、一つの言語が消滅する」
平太「!」
月子「そんなこと言ったってピンとこないよねぇ。今、地球のどこかで、九億人の人が飢えている。今こうしている間にも戦争や紛争で人が死んでいってる。でも、深井君には関係ない話だもんね」
平太「―――」
月子「今日も、どこかに、大切な人を失って、もう涙さえ出ない人もいる。でも見えなかったら、そんなの、ないのと同じなんだもんね(立って行く)」
平太「―――もし、押さなかったら」
月子「(立ち止まる)」
平太「人が死ぬの?」
月子「五六〇万人(行く)」
平太「!」

・・・令和4年現在のロシアとウクライナの状況を思えば、胸をえぐる、耳が痛い言葉として自分に刺さって来ています。”見えないは無いと同じ”、それは、運勢や運気を扱う占い然り、”想像する力”というものを鍛えなければならない、そうしないと救えないものもある、という事を、ストーリーの展開も去る事ながら、端的に示された名シーンのように思えます。

430ページより引用
#18 理科準備室
    柳と月子。


―省略―
月子「もしQ10(キュー・イチ・ゼロ)を連れて帰らなければ、大変なことになります」
柳「大変なこと?」
月子「世界が、とても大きく歪んでしまう」

446ページより引用
#36 鹿浜橋高校・理科準備室
    平太と柳。
平太「本当なのかな―――五六〇万人死ぬって言われても」
柳「私は、月子さんの言うこと、本当なんじゃないかなと、思う」
平太「五六〇万人?」
柳「数字のことはよくわからないけど、本来なかった物があるっていうのは、バランスが崩れるんじゃないかしら」


・・・未来から見たら、過去を操作すれば、世界の流れは大きく書き換えられる事になり、深い歪みが生じるに違いないでしょう。
曲がりなりにも”占い”に携わる者として、ここで、”占う事の意味””運命鑑定をして凶を避ける事の意味”を探らずにはいられません。
私の占術の師匠が良くおっしゃっているのは、”凶を避ける事こそ凶”。凶が転じて吉になったり、あの時の不幸があったから、今の充実がある!となったり・・・陰陽よろしく、吉だけでなく、凶を取り込む事も人生において重要な要素のようです。

閑話休題

本作は、未来から来た少女(月子)が出現する。”未来”は、決まっているという前提で物語が進みます。未来が決まっている。付き合う女性の存在も決まっている。死期もあらかじめ決まっている。それを知った者は、果たして自発的に、充実を胸に刻んで”今”を生きて行けるのでしょうか・・・。
本作は、そういった哲学への答えには及んでいません。しかし、何か示唆的なモノを孕んでいるように思えてならないのです。

446〜447ページより引用
平太「―――最悪のことが起こるってこと?」
柳「うん―――でも、それは深井君とは関係のないところで起こるんじゃないかな」
平太「そんなのヘンだよ。オレのせいなら、オレがひどい目に遭うべきなんじゃない?」
柳「世界は、そんなふうに公平に出来てないのよ。だから、なんだか複雑になっちゃって、最悪のことが起こるんじゃない?」
平太「―――」
柳「これ、キュートの歯から出てきた(紙片を見せる)」
平太「え? 何ですか? これ」
柳「八八歳のあなたからの手紙」

―省略―

平太「えー?(読む)十八歳のオレに言いたい」
柳「そう、そこ」
平太「キュートを愛したように、世界を愛せよ(柳を見る)」
柳「―――だって」
平太「(紙片を見る)」

八八歳の自分が、十八歳の自分に語りかける。未来は決まっているのか、運命はあるのか、そういった哲学性は風に飛ばされ、
”未来の自分から今の自分に語りかける”・・・未来から逆算して今の自分を見つめてみると・・・本作の隠されたテーマがおぼろげながら見えて来るようです。

453ページより引用
#45 鹿浜橋高校・教室
    入ってくる平太とQ10.
    久しぶりのQ10登校に声をかける生徒達。
    それを見ている平太。
平太「(モノローグ)キュートを成り立たせているものを愛する」

#46 屋上
    平太とQ10。
    平太、未来からの手紙を見ている。
平太「(モノローグ)それが、キュートを愛するように、世界を愛すること―――」

平太は、Q10のリセットボタンを押す事を決意します。それを月子に明言します。すると、月子は、自身もQ10も、人間の脳の記憶に残らない材質で出来ている事を告げます。リセットから1年くらい経てば、徐々に記憶が消えてゆくので、寂しがる事は無い、と。

454ページより引用
月子「クリスマスの奇跡、ありがとう(行く)」
 ※本作放映時、クリスマスが近い時期でした。
平太「(月子に)忘れるわけないだろうッ―――(自分に)忘れるわけないじゃないか」

約束通り、平太は「また明日」と、Q10のリセットボタンを押します。Q10に関する事をノートに残し、必死に忘れまいとする平太。

462ページより引用
#62 鉄塔の下
    座っている平太。やってくる月子。
平太「まだ帰ってなかったんだ」
月子「今日、帰るの―――最後ぐらい笑ってよ」
平太「無理。しばらく笑えないと思う」
月子「大丈夫。笑って暮らしてゆけるって―――」

・・・そんな平太に、月子は、地球の形をしたカプセルを平太の膝に置きます。

   里子、熱心にノートを見て、くすくす笑っている。
   平太も里子も大学生である。
平太「(笑って)そんなことありえないし―――だから高校時代のオレの妄想だって」
   Q10のことについて事細かに書かれたノート。
里子「たとえ想像でもさ、平太の心の中に、こんなにいたってことは、きっと、本当にいたってことと同じなんじゃないかな」

・・・そう、里子こそ、平太の未来の恋人だったのです。

463ページより引用

平太「(ハッとなる。カプセルが転がり落ちている)」
月子「ね、笑ってたでしょう?」
平太「―――彼女がオレの奥さんになる人?」
月子「そう、死ぬまで一緒にいた人」
平太「―――」
月子「あなたが忘れてしまっても、キュートは、いるって信じ続けてくれた人」

 その直後、ピアニカを吹いた、里子が平太の前に現れます。月子は笑って去って行きます。この、月子がスローモーションで笑みを浮かべて去って行くシーンが、リアルタイムで観ていた私の胸に今も仄かな熱を持って
残っています。涙腺が恥ずかし気も無く緩む程に。

この後の平太のモノローグは、全文引用したい程に、観念に留まる事の無い、力強い美しさに満ちていますが、敢えて一部の引用に止めたいと思います。気になる方は、是非、実際に手に取って(文庫版も出ています)、肉眼で、そこから心に流し込み、愉しんで胸を熱くして頂けたらと思います。

466ページより引用
#68 鉄塔
    平太と里子、少しだけうちとけて話などしている。
    平太、里子の目を盗んで、そばに置いてあるピアニカの鍵盤を押し
    てみる。
平太「(モノローグ)今、隣で妻がお茶を飲みながら言っている。『愛も勇気も平和もこの地球上に、あると思えばきっとあるのよ』と」

#69 屋上
    誰もいない。そこから見える街。
平太「(モノローグ)一八歳のオレに言いたい。キュートを愛したように、世界を愛せよ。今は見えなくても、自分を信じろ」

#70 鉄塔
    空を見ている平太とQ10。
平太「(モノローグ)いつか目の前にお前が信じたものが、カタチをもって現れるその日まで」

・・・大変、前置きが長くなり過ぎました。『Q10』、この限り無い名作ドラマを、一言で言い当てる易の六十四卦があるのか・・・
”あると思えばきっとある”と念じながら、一つの卦を無理に割り当てる事に成功しました。

           巽為風の六四
            (そんいふう)
          
              ☴
              ☴

”巽は、小(すこ)し亨る。往くところあるに利あり。大人(たいじん)を見るに利あり。”

”六四は、悔亡ぶ。田(かり)して三品(さんぴん)を獲(え)たり。”

巽は、風を表します。風は一方向に流れゆくのでは無く、四方八方に、これといった方向を決めずに吹き荒れるものです。また、”伏入”という意味合いも、巽には含まれている。いつの間にか入っていた。いつの間にかそこにいた・・・。

まさに、本作を一発で言い当てる卦に出会えたと自負しています。本作は、今回は、平太とQ10の関係性に重きを置きましたが、他にも、民子と久保の淡い展開や、藤丘と校長(演:小野武彦)の触れ合い。また、今をときめく高畑充希氏演じる、やや面倒くさい女子・河合恵美子と、賀来賢人氏演じる影山聡の恋愛の行方、そして、平太達の担任の小川訪(演:爆笑問題の田中裕二)の柳への片想い、等々、四方八方のドラマが、吹き荒れる、とは行かないまでも、一直線に、そのテーマだけ、というドラマではありません。風のように繊細な揺れやすい心理描写が織り込まれています。
また、伏入、という意味ですが、まさに、Q10です。Q10は、大々的に、何か豪華なロケットで登場した、という事は無く、さり気なく、いつの間にか、”九戸花恋(キュートカレン)”という小川による突貫工事的な名前で生徒として平太のそばにいる事に成功しています。まさに、風の如く・・・何故に、四爻(六四)なのか、という事ですが、六十四卦を天・人・地として見ますと、四爻は、人の位置になります。初爻とした場合、地の位置の為、密かに、人知れず、というイメージがあります。四爻の方が、人間臭い場所の中にさり気なく現れた、という意味合いに合致します。
また、四爻は、兌(☱)の主爻ともなっています。書きませんでしたが、平太は、子供の頃、医師の方に、歯を触らせて欲しいとねだったそうです。歯は、ピアノの鍵盤みたいだから、という理由からでした。

■第1話
21ページより引用
平太「(モノローグ)この人なら、ひょっとしたら音が出るんじゃないかと思う時がある」

やがて、Q10と出会った平太は震えます。リセットボタンが、”奥歯”にあったからです。

24ページより引用
平太「(モノローグ)ラの音がする女の子に、出会った」

・・・そこから、最終話の、Q10にそっくりな平太の未来の恋人、里子のピアニカ、に繋がる訳ですが・・・

と、何故、歯のエピソードを紹介したかといいますと、兌(☱)は、まさに、金行=歯、を表現するからです。また、巽為風の四爻は、巽(☴)と離(☲)の主爻でもあります。繊細に心理を揺らがせながら(☴)、やがてリセットボタンを押すか、押さないか、板挟み(☲)にあった、という展開からも当てはまります。

・・・”三品を獲たり”とは、
かつて、心臓の手術から(心臓も、六十四卦を身体の位置に当てはめますと、四爻辺りになります!)生きる事に投げやりになっていた平太が、Q10に出会う事によって、『愛も、勇気も、平和も』、きっとある、という想いを獲た。という事になるでしょうか・・・。

先程も申し上げましたが、本作は、”未来はある”という事を前提に進められる物語です。そこで、未来は果たしてあるのか、という議論を差し挟む隙間は今回無いように思えます。主題はそこでは無いです。
”妄想”から”未来を逆算”する。その事で、未来へ前を向いて、地に足をつけて歩いて行ける事の可能性を穏やかに探っているドラマである、と思います。
”妄想”というワードを、気持ち悪い言葉と忌み嫌う方々もいらっしゃるかも知れません。しかし、その妄想が、本当を引き寄せる事もある、もっと人間の想像力を信じてみませんか、という問いかけを、“全Q話”に渡って問いかけているように思えてなりません。

・・・また、本作は、2010年10月〜12月期に放映されていました。
『何があっても、どんな事があっても、愛、勇気、平和は消えない筈、という矜持を持って生きよ』というメッセージも、あの忌まわしい震災を経た今から考えると、漠然と織り込まれていたように思えてなりません。
不謹慎極まりない私の無駄な妄想ではありますが、本心で思った、避けてはいけない、と思い、敢えて書かせて頂きました。

前田敦子氏、佐藤健氏、高畑充希氏、賀来賢人氏、池松壮亮氏、柄本時生氏等、令和四年現在でも、皆様それぞれ第一線で大活躍されていて、とても嬉しいと思うばかりです。(同級生役で、今をときめく岸井ゆきの氏や前田希美氏も出演されてました。)しかも、”ブス会”というサークル的なものを結成し、今でも時々出演者同士お会いしてるとか!本作の一ファンとして、本当に胸がほんのり熱くなり、ハニカミマックスです!!(ハニカミ???是非、本作をご覧下さいませ。)

最後の最後に、最終話で、平太の父親・武広(演:光石研)が、平太に、母親・ほなみ(演:西田尚美)を愛しているかを問われた時の武広のセリフを紹介して、今回は終わりにしたいと思います。
相変わらず長々と読み苦しい中、最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました! 次回から、もっと六十四卦にも寄り添って論じて行きたいと思いますので、今後とも、宜しくお願い致します。

■第9話
451〜452ページより引用
#43 深井家・リビング
 ―省略―
平太「じゃあさ、母ちゃんを愛するように、世界を愛せる?」
武広「っていうか、オレ、それ、もうしてるかも。母ちゃんを愛するごとく、世界を愛しちゃってるよ、オレ的には」
平太「ほんとに? それってさ、どういう意味なの?」
武広「つまりだ。母ちゃんを愛する、ということは母ちゃんが産んだお前らも愛する。ってことは母ちゃんを産んだ母ちゃんと父ちゃんも愛するんだな、オレは。母ちゃんに親切にしてくれた人も愛するし、その親切な人に親切にしてくれた人も愛す」
   台所のほなみ。
武広「母ちゃんに意地悪だった上司も、回りまわって今の母ちゃんの人格を作ってくれたわけだから、これまた愛するべきなんだよ。母ちゃんを成り立たせているモノ全てを愛する。それよ」

ファンタジーに宿る、“見えない力”を隅々まで見渡したい方、DVDもリリースされている筈なので、気になった方は、是非!!!
誰が何と言おうと、キャラクターは、ずっと、生き続けています。

                   令和四年  七月六日
                  (ダライ・ラマ14世のお誕生日)  
        曲がりなりにも東洋占術家   副汐 健宇               

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