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『僕のいた時間』と親友のこと

2013年春に放映された『ラスト♡シンデレラ』で、春馬くんにはグッとハートをつかまれていましたが、その半年後に始まった『僕のいた時間』は、育児奮闘中の私にはテーマが重すぎて、「なにか難病のドラマだな。セクシーな春馬くんは見れそうにないな」とスルーしてしまっていました。

2020年の夏、春馬くんが去ったあの日から春馬くんの作品を可能な限り見ようと決めて調べるうちに、『僕のいた時間』の紹介にたどり着きました。

筋肉が徐々に衰えて呼吸困難に陥り、最終的には人工呼吸器をつけないと死に至ってしまうALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵された主人公の物語。

この主人公の難病ってALSだったの?

私には、すぐに心に浮かんだ人がいました。私の一番古くからの親友のこと。2017年、ALSを発症したRちゃんのこと。

Rちゃんのことを書きます。Rちゃんは、私の小学校からの親友。高校からは学校別々だったし、高校卒業してからは、大学やら就職やらで別々の地にに住むことが多く距離的には離れている方が長いです。それでも、ずっと途切れずに続いていた一番古くからの親友。

2017年のGW、地元に帰省してランチした時、「脳梗塞になり、左手と左足がうまく動かなくなったんだ」と左足を引きずりながら歩いていたRちゃん。その時は、もちろんそのまま信じていましたから、「それ以上悪くならなきゃいいね。リハビリで少しでもよくなるといいね。」と言って別れました。

年末に、「帰省したよ~!明日会える?」ってLINEしたら、しばらくして「今、実は入院しているから会えない」と返事がきました。びっくりして「どこに?お見舞いに行くよ!」って送ったら、しばらくして「うまくしゃべれないし、痩せちゃったからびっくりするよ。」と返信。

えっ!?脳梗塞また再発しちゃったの?!いてもたってもいられず、半ばゴリ押しで、50キロ離れた大きな病院へ会いに行きました。

病室で再会したRちゃんは、半分くらいに痩せていてぽろぽろ涙をこぼしながら「ふとん・・・干したら・・・転んで・・・」それだけ言うのが精一杯でした。病院のベッドのフレームに固定したスマホ。少しだけ動く右手で、LINEの返信してくれたんだ・・・。私は、わけがわからなくて何がどうなっているのかわからなくて、泣きながらRちゃんの手を握り、「うん、うん・・」とうなずくことしかできませんでした。

帰宅後すぐにRちゃんのお母さんとRちゃんの旦那さんに電話して、Rちゃんが10万人に数人のALSであることがわかったのです。ほかの誰にもそのことは秘密にしていたようでした。

そのすぐあと右手も動かなくなり、3月には自分で呼吸することが困難になり、Rちゃんは人工呼吸器をつけました。

そこから2年の間、私が時々帰省した時にお見舞いに行き、Rちゃんの旦那さんを介しての会話が唯一の交流でした。視線入力PCはまだ導入されておらず、「そういうものも使っていきたいんだけど、急激に病気が進行してしまったから、訓練する時間がなかったんだよね・・・」と旦那さんが言っていました。なので、一方的に手紙を送ったり、カードを送ったり、お見舞いに行って話しまくったり・・・一方的な私からの交流が続くこと2年。

コロナの緊急事態宣言で自粛中の2020年5月半ば、私のスマホに一通のメールが届きました。「Rだよ~(^o^)」というタイトルで。視線入力PCで、メールが打てるようになったこと。今日は30度もありとても暑いこと。2年の沈黙を破り、あの、いつも明るいRちゃんの軽い口調で送られてきたメールに、声を上げて泣きました。

今では時々メールを送り合うことができるようになりました。春馬くんが去ってしまった時、Rちゃん「三浦春馬くんのALSのドラマのこと覚えていて、症状が似ていたから、私ももしかして・・・って思ったんだよね」とメールに書いていました。

観よう、そう決心しました。春馬くんとRちゃんへの敬意を込めて。

第一話のオープニング。電動車いすに乗り、雨の人混みの中を進む春馬くん。なにかにぶつかりそのまま転倒し、車いすから投げ出される春馬くん。抱えていた思い出のワインの瓶が転がる・・・。

のっけからかなりキツいものがありました。

この始まりは、悲しい結末を意味しているの?私、最後まで観られるかしら・・・

不安を抱えながら、観始めました。

最初から最後まで、ほとんど泣きどおしで観ることになりました。

春馬くん演じる拓人を襲うALSの症状、拓人の恐怖と絶望、葛藤。それらすべてがRちゃんに重ね合わせ、ずっと泣きどおしで観ました。

Rちゃんとは遠く離れた地域に住んでいるので、どのような経過を辿って現在に至っているのか、わたしは知る由もありません。

でもおそらく、拓人のように、徐々に体が動かなくなり、食べられなくなり、呼吸できなくなり、人工呼吸器をつけるに至ったのだと思います。

その中で、人工呼吸器をつけるかどうかの葛藤はあったのだろうか。旦那さんやお嬢さんの気持ち、Rちゃんの気持ち。どうしても拓人や恵や、その周囲の人たちにオーバーラップして辛くなりました。

ドラマの中では、病状が進んでいっても、拓人はできなくなることではなく、できることに目を向け、前向きな気持ちで「今を生きる」ことと決めます。拓人の前向きに生きる姿に周囲の人も影響され、だんだん変わっていきます。

「希望」が残るドラマでした。

でも、Rちゃんはどうなんだろう?

そう思っていたところに、Rちゃんからメールが来ました。
なにかの話の流れで、Rちゃんのお父さんが癌で亡くなったのが53歳だったということに触れ、

「53歳って若いなあって、自分が年近くなって改めて思うよ。私もお父さんの分まで長生きして奇跡起こすぞー^^」

と軽く明るい文で書いてあったのです。驚きでした。

健康に暮らしている私たちから見れば絶望の中にいてもおかしくない状況で、こんなに明るい希望の言葉をRちゃんからもらえるとは思ってもいませんでした。

なんか‥‥私‥。ひとの気持ちをわかったような気になって、でも、それも憶測にしか過ぎないんだ。その人の本当の気持ちは、実のところ、その人本人にしかわからないのに、勝手に想像して、勝手に苦しむことになんの意味があるのか‥。

なんと表現したらいいかわかりませんが、ひとの気持ちに寄り添うことは、大切なことではあります。でも、勝手な憶測で、自分を擦り減らすまで苦しむのって、なんか違うのかも‥。

少しだけ、春馬くんがいなくなったことについても、そう思えるような気がしたのでした。


こちらは、純粋に『僕のいた時間』のドラマレビューです。
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