15年ぶりの「立川流三人の会」(その2)〜立川談志十三回忌の年に
(承前)
立川談春が始めたのは「宮戸川」。帰宅が遅くなり、締め出しをくった半七とお花。叔父の家に入れてももらおうと向かう半七にお花が便乗しようとする。そして。。。。お花半七の馴れ初めのくだりである。
談春は、昼の部で演じた「文七元結」のような人情噺のイメージがある。昨年末には「これからの芝浜」と題し、立川談志も追いかけた「芝浜」を大きく変えて演じた。なお、それに関して「文藝春秋」四月号に談春が書いている(巻頭随筆)。
人情噺もよいのだが、「宮戸川」のようなネタを演ると、談春の上手さが際立つ。お花・半七・叔父叔母の演じ分けが素晴らしく、江戸の落語の良さを感じさせてくれる。
続いて上がった、立川志の輔。自身も登場する談志の思い出を語った談春に対して、「よく覚えてるね」と評した上で、二つ目の頃の思い出を語った。自分としては良い出来だと思ったところ、師匠の談志から「お前はあの噺で何が言いたかったんだ」と評された。志の輔は途方にくれた。なぜなら、「何も言おうと考えていなかった」から。
その後、その言葉を胸にしながら、落語家のキャリアを積んだ。新作落語を否定していた師匠を意識しつつ、自分の落語を作って行った。談志は晩年、志の輔の落語会に足を運び、客席に座って聞いた。志の輔の新作落語を認めたのだ。落語家が他の演者を客席から聴くことは、よほどのことがないと行わない。
前半で帰ったろうと思った志の輔が、中入り後「お気づきになった方いらっしゃると思いますが、今日は師匠が来ていました」と話すと、「ここにいるぞ!」と。最後まで聴いてくれた。
ある日、師匠宅を訪問し、談志の娘、弓子さんや奥様がと話していた。弓子さんは、「私、志の輔さんの新作『バールのようなもの』が好き」、奥様 は「私は夫婦の話『ハンドタオル』」。すると、奥から談志が「俺は『親の〜なんとか』がいいと思う」とコメントした。
さらに、弓子さんが「でももっと面白いと思うのは。。。。」と演目名は言わずに入ったのが、「みどりの窓口」。そこで客席の一部からは拍手が起こった。私も相当な数の高座を観ているが、演目に入った時に拍手が起こったのはこの日が初めてである。
「みどりの窓口」は、様々な客に対応するJR職員を描いた、鉄板ネタ。何回聞いても大笑いする。今回も同様だったが、冒頭の「何が言いたかったのか」が気になった。それを踏まえて聞いていると、笑いだけではない、奥の深い話であることに気づく。
中入りをはさみ、トリとして登場した立川志らく。さっと、本題「文七元結」に入った。何年か前になるが、私は志らくの独演会に数度行った。噺はもちろん上手く、テンポは軽快である。三人全員が憧れる、古今亭志ん朝のリズムにもっとも近いのは志らくのように思う。ただ、私には軽すぎ、彼の高座からは遠のいた。
結構な「文七元結」だった。談春が志ん朝的なアプローチとするならば、志らくは落語的なアプローチである。腕は良いのだが博打で身を持ち崩した、本所だるま横丁の左官屋長兵衛。家計は火の車で、見かねた一人娘のお久は、自ら吉原の妓楼「佐野槌」に身を売ろうとする。長兵衛は「佐野槌」の出入りの職人、その腕を知っている女将はある申し出をする。。。。。
志らくの演じる長兵衛は“軽い“、私には一瞬談志師匠が長兵衛を演じているようにも思えた。その“軽さ“が、ややもすると無理のある展開に、ある種の説得力を与えた。
志らくは談春より年上だが、入門は談春が上(ただし、真打昇進は志らくが先)。談春はあくまでも先輩として話すし、そのキャラクターから、高田先生のいじりの対象になる。冒頭登場した途端、談春は志らくに「お前、このパッチワークみたいな着物なんとかしろよ」と。
そして何よりも、志らく自身が、三人の中における“落語家“としての自分の立ち位置を理解しているだろう。志らくの中には期するところがあったのではないか。
そうした状況での「文七」、流石だと思った。三人の中で、立川談志を最も表現しているのが志らくだとも感じた。終演後のトークでは、中入りの最中に、志らく「やっぱり『死神』じゃダメ?」と言っていたそうだ。志の輔は「だーめ」と反応した。
貴重な三人の会、家元談志は恐らく喜んでいるだろう。少し早いが、素晴らしい十三回忌の供養になったと思う
*高田先生の記事はこちら(ジャンケンの順番はちょっと私の記憶と違う)