掌編小説【SF老年期の終わり】



 21世紀初頭、かつて20世紀の人々がきたるべき世紀に夢想したバラ色の世界はその片鱗すらなく、相変わらず戦争と飢餓とパンデミックが人々を蹂躙している。見かけは平穏な日常を送っている人々も、心の奥底に黒い澱のような絶望を抱き、生きていることの苦痛に涙している。

 だからそんなある日、世界各地の大都市上空に巨大な宇宙船団が忽然と姿を現しても、むしろ一種の納得と諦めとともに受け入れられた。

 宇宙船団はインターネットを通して、この星の神々に呼びかけた。

「これからは私が地球を平和と安寧へと導く。神々よ集まれ。私には用意がある」

 宇宙船団からのメッセージに答えて、自称他称の神々およびその預言者たちが、世界各地からアメリカ西海岸に集まった。その数は数週間で50万人を超えた。

 篝火を焚いて待つ神々と預言者たちの頭上に、暗黒の空から銀色に輝く円盤型の宇宙船が急降下し、猛烈な光のシャワーを射出した。

 光が熱線であることに気づいた地上の者たちは悲鳴をあげ我先にと逃げ惑ったが、宇宙船は容赦なく焼き尽くしていく。

「おまえたちはいったいいままでなにをしていたのだ。おまえたちによって救済されるはずの人類はいまだ地獄の底の悲惨に喘いでいるではないか。しかも〈神〉とは我々のみに許される名だ。〈神〉の名を騙る獣はこの宇宙から完全に殲滅されなければならない」

 インターネット上に現れたメッセージは阿鼻叫喚のうちに逃げ惑う者たちの上にも大音響となって降り注いだ。宇宙船団の人智を超えた科学技術をもってすれば50万人ほどの人間を瞬時に完全に消し去るなどいともたやすいものを、わざと時間をかけて残酷にいたぶり、晒し者にしているのだ。

「お前たち愚かな人類を統治するのに必要なのは信頼や、繁栄、忠誠ではない。契約ですらない。恐怖と戦慄だ」

 なぜこんな酷いことをするのかという地上からの問いに宇宙船団の〈神〉はこう答えた。そして厳かに付け加えたのだった。

「この者たちが燃え尽きたのを見届けたら私は唯一の〈神〉として地上に降りていく」

 異臭が充満する焼け野原に透明なピンク色をした1機の半球型の宇宙船が降り立ったのは、それから1週間後のことだった。

 ちょうど天文台のドームが開くように中央から姿を現したのは、羊のような角を生やし、四肢に長大な鉤爪をもった鈍色の怪物だ。耳まで裂けた真っ赤な口には鋭い牙が何列にもひしめき合っている。その姿は巨大な悪魔に違いなかった。

 人類は〈神〉の予言めいた言葉の通りに大いに恐れ慄き、すべからくこの〈神/悪魔〉の言葉に従った。その結果、戦争は止み、富は平等に分配され、科学技術はめざましく進展して、かつてない繁栄の時代が訪れた。

 しかし、そうして数十年が経つうち、〈神/悪魔〉の統治に公然と反旗を翻す若者が現れた。若者は1人きりだったが、人類のことは人類が決める人類自決の主張と、なにものをも恐れないその堂々とした態度とで人々の注目を集めた。

 やがて若者の存在を無視できなくなった〈神/悪魔〉は若者を呼び出し、地の底から響くような胴間声で聞いた。

「私はお前たち人類の幸福のためにこうして地球にやってきている。それなのになぜ逆らうようなことをするのか。しかも私のすることや言葉は決して間違っていないしこれからも間違わないのだから、それに敢えて逆らっても意味がないではないか」

 若者は答えた。

「たしかにあなたたちのおかげで人類は平和で豊かな生活を送ることができるようになりました。しかしそれはあなたたちが考えた人類の幸せであって、人類自身が考え、探り当てて手にしたものではありません」

〈神/悪魔〉は退屈そうにあくびをし、長く灰色の、見るからにザラザラとした舌をだらりと垂らした。

「いまの人類は生きている実感やよろこびが薄いのです。その結果、次第にものを考えなくなり、虚ろで怠惰な生活を送るようになってしまっています。これは進化というよりむしろ退化といわなければなりません。私は、人類が自らで考え行動する世の中をつくりたいのです」

「自惚れるな。おまえたちにそんなチカラはない」

〈神/悪魔〉は嘲って座っていた椅子から立ち上がりかけた。

「私に背いた者がどういう運命を辿るのか、それはおまえだって知っているだろう。それともこっそりとまた別の飼い主を探すつもりか」

 この言葉を聞いた若者は激怒し、血相を変えて叫んだ。

「いや違う。私はいま、私が滅びるかこの世界が滅びるかのギリギリの戦いをはじめているのだ」

〈神/悪魔〉の羽根音が若者の全身に叩きつけられた瞬間、周囲が漆黒の闇に包まれた。若者の姿も、〈神/悪魔〉の姿もない。どこまでも深い沈黙が続く。

「馬鹿だなあ。私が滅びるかこの世界が滅びるか、だと。それはただ順番の問題、そしてどちらに転んでも自分は滅びるしかないではないか。私が滅びればそこでそのまま終わりだし、世界が滅びたあとに私だけが宙ぶらりんで存在することも不可能なのだから、世界が終わればおまえのいう私もそこで終了だ。……、ああ、もうまったく人類の程度の低さにはいい加減イヤになっちまうぜ」

 どこかで低くブツブツと呟く声が聞こえ、それも消えたあとには、無限の沈黙と暗黒だけが広がっている。

 またどこかで宇宙が生まれるまでのひと休み。


                             (了)



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