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旅立ち⑦|会いに来た


父との昼食も終わる頃、母から連絡が入る。

こちらに向かっていた、地方に住む末弟が、14時頃に最寄り駅に到着するということだった。

時間的にもちょうど良かったため、私たちはモールを出て末弟をピックし、3人で自宅へ戻った。


私の親兄弟の中で唯一、息子の生前に会うことが叶わなかった末弟。

「たくさん貢ぎます!(笑)」

と冗談を言いながらも、甥の誕生を心から祝い、元気になって会うことを楽しみにしてくれていた。


そんな末弟が、黙って手を合わせる姿を見て、

(会わせてやりたかったな…)

と、私も息子の父として、そして兄として、やるせない気持ちになる。


そんな中、今度は “長弟” が自宅へ。

隣の県に住む、私の母方の祖母が、明日の火葬に向け都内に前泊する予定で、弟たちに車で迎えに行ってもらうことになっていた。

長弟は連日、末弟は長時間の飛行機の後…
2人とも疲労がある中で引き受けてくれたことに、本当に頭が上がらない。


そして、弟たちを見送った後、入れ替わるようにして来客が...

午前中に連絡が来ていた “叔父” である。


てっきり、この日は都内で仕事なのだと思っていたが、なんと “名古屋” にいたとのこと。

そんな中で、わざわざ仕事を調整し、手を合わせに来てくれたのだ。


いつもは陽気な叔父が、憂いを帯びた顔で息子に手を合わせる…

そして、少しの間を空けてから、静かにこう言った。


「会いに来たんやな…」


“会いに来た” … その言葉が私たち夫婦の心に響く…


そう、息子は、私たちに会いに来たのだ。

改めて、家族に言われると純粋に嬉しいし、本当に救われる思いだった。


そこから、叔父と1時間ほど時間を共有する中で、北海道に住む、父方の祖母とも電話をした。

春先に、自らが生死を彷徨い、奇跡的な生還を果たした分、“助からなかった曾孫” への想いが溢れ、号泣する祖母…

生きて会いたかっただろうし、今すぐこちらにも来たかっただろう。

退院後まもないため、それが出来ずに悔やんでいたが、私たち夫婦にとっては、想いを馳せてくれるだけでありがたかった。

叔父にも、祖母にも、本当に感謝しかない。
そして、何より息子も喜んでいることだろう。


叔父の帰宅後は、ゆっくり時間を過ごしつつ、合間合間で先ほど購入してきた棺を組み立てたりと、明日に向けての準備を進める。

そして、陽も落ち始めた頃、弟たちが祖母を連れて戻ってきた。


「大変だったわね…」

祖母は、家にあがるや否や、妻にそっと声をかける。


だが、私たちの顔を見て、少しホッとしていたようだった。

どうやら、私たちが “喋れないほど落ち込んでいる” と思っていたらしい。


一言二言、私たちと言葉を交わした後、すぐに「曾孫」のところへと駆け寄る祖母。

そして、初めて見る「曾孫」を前に、こう言った…


「まぁ~ 可愛い♡」


正直、親である私たちから見ても、息子の肉体はボロボロであり、見るも無残な姿だ。

だが、そんな姿を前にしても、祖母は本心から「可愛い」と言ってくれたのだ…


妻は、息子の “母として” 本当に嬉しかったようで、目には涙を浮かべている。

そして、私もその光景に込み上げてきてしまう...


祖母も、曾孫に会うことを心から楽しみに、そして “生きがい” にしていたが、息子の生前に会うことは叶わなかった。

きっと祖母にも、色々な想いがあっただろう。

だが、それを胸にそっとしまい込み、「曾孫との対面」という “今この瞬間の幸せ” を噛み締めているようだった。


長旅の疲労もあり、僅かな時間とはなったが、わざわざ会いに来てくれたことが本当に嬉しかった。

もちろん、“曾孫の亡骸を見る曾祖母” という光景に、切なさや虚しさがないわけではないし、“生きて会わせたかった” という気持ちも拭えない。

だが、幸せそうな “ひいばあば” の顔が見ることが出来て、私も少しばかり報われたというか、穏やかな気持ちになった。


旅立ちからまだ24時間も経っていない中、末弟、叔父、そして祖母と、多くの家族が息子に会いに来てくれた。

また、時間的に合わず、“お気持ち” だけ頂いた家族や友人もおり、改めて、息子は愛されていたのだと実感する。


そしてそれは、私たちにとっても心の支えとなった。

本当に皆には感謝しかない…



つづく



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