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旅立ち⑩|滂沱の涙


担当者より案内され、息子と共に移動する私たち。


先ほどまで、私と父がいた炉前にて「納めの式」が始まる。

家族が見守る中、“最期のお別れ” として、私たち2人で息子に想いを伝えていく…


「じゃあね、凰理…」

「ちゃんと天国に行くんだよ」
「ゆっくり休むんだよ」
「手紙も読んでね」

と、涙を流しながらも、絶え間なく声をかける妻…


しかし、私は声が出せなかった…

横にいる “愛ある強き母親” とは違い、父親の私は身体が震え、ぐちゃぐちゃな感情を抑えるのに必死だった。


目の前の肉体の中に、息子の魂はない…

そして、“早く火葬してあげたい…” と思っていたのにも関わらず、いざ最期になると息子の肉体すら惜しい…

やり場のない感情が私の脳内を駆け巡り、“本当に最期なんだ” という現実が私に襲い掛かる。


「うぅ…」

これほど、嗚咽を漏らした瞬間はないだろう…


だが、本当に最期… 愛する我が子の “門出” だ。

狂うほどに苦しかったが、妻に遅れて声を絞り出していく…


「凰理… ありがとう…」
「愛してるよ…」

「また、家族やろうね…」


その後も、一心に想いを伝える私たち…

だが、時は待ってくれない… ついに定刻を迎えることとなった。


「凰理… じゃあね…」


と、滂沱の涙を流しながら棺の蓋を閉じ、夫婦2人で「最期のつとめ」を果たす…


そして、家族の哀哭が響き渡る中、息子の棺はゆっくりと火葬炉に入っていき、やがて扉は閉じられた。


最期は家族に見守られながら、愛する息子は旅立ったのだ…



そしてその後、閉じられた扉を前に「焼香」をすることに。

喪主である私たちが手を合わせた後、続いて家族が行うのを見守るが、私の親兄弟、義母も皆、ずっと涙が止まらない。


しかしながら、焼香も終えた後も、人一倍涙していたのが、私の “祖母” だった。

祖母は、あまり涙を見せない人だ。
20年近く前に、夫(私の祖父)を亡くした時でさえも、涙を見せたのはほんの一瞬だけであった。


だが、今回は違った… “何かが外れたかのように” 号泣し、

「どうしてこんな小さい子が…」
「代わってあげたい…」

と、曾孫の早すぎる旅立ちに、感情が抑えられないでいた。


そして、火葬場が悲しみに包まれている中、静かに担当者からこの後の流れを案内される。

火葬終了の目安は “約1時間後” であり、それまでの間は待合所で待機となるとのことだった。


そして、喪失の余韻を引きずりながら、重い足取りで待合所へ向かう家族たち…

しかし、私と妻はその場に留まった。


夫婦2人で… いや、親子「3人」で会話をしたかったのだ。


「凰理、よく頑張ったな…」
「ゆっくり出来てるかな…」

「家族みんなに愛されて幸せだな…」


たった今、目の前で息子の肉体が火葬されている…
だが、どことなく息子と一緒に、この光景を見ているような気がした。


きっと、息子は私たちのそばにいたのだろう。

そして、そんな「静かなる息子とのひととき」は私たちを “清々しい気持ち” へと変えていく…


 “肉体は滅びても、私たちとずっとつながっている” 


その想いを胸に、私たちも少し遅れて待合所へと向かった。



つづく




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