宮城県女川町の記憶
街全体の87.7%が被災したと言われている、宮城県の東部に位置する女川(おながわ)町。
2011.3.11に起きた東日本大震災の被災地の中でも、最も被災率の高いエリアがここである。
女川駅を降りると、いたるところに当時から今までの復興の様子が記録され展示されている。
「伝承の鐘」は、震災前、駅前広場に4つあったうちの1つで、鐘瓦礫の中から奇跡的に無傷で見つかったものだそうだ。
女川町は、復興までの期間がかなり早かったと聞いた。
被災者ではない僕の想像をはるかに超えた行動力と悲しみを背負い、ここで毎日生きていたこと想像するだけで、一歩あるくたびに重みを感じる。
海に向かって歩くと、旧女川交番と書かれた交番跡地が見える。
ここには震災の被害跡がそのまま残っており、崩壊した建物を見ているとさまざまな光景を想像する。
そして、この交番の横にはこう書かれていた。
僕もが見た"今"は、「普段通りお昼ごはんが食べられて、普段通り散歩ができるそんな街になっていますよ」と伝えたい。
女川駅には、ゆぽっぽという温泉施設が併設されている。
電車の本数が多くないため、温泉に入ってで電車を待つことにした。
改札のワキから建物に入り、500円(2025/1現在)を支払い2階へと上がる。
広い浴槽と小さめの浴槽があり、湯温は41度と冷えた体を温めてくれた。地元の方がパラパラと入り、「よっ」と挨拶を交わして湯に浸かっていた。
館内には広い休憩所もあり、震災後、情報伝達に使われた手作りの新聞や営業再開時の看板も飾られていた。
電車が来る3分前に、切符を買ってホームへ。
車窓から見える海は、とてもおだやかだった。