2023.11.28(1週間ぶり日記)

んん。一週間ぶりか。最初こそ毎日書いていたものの、もうこのペースが当たり前になってる。まあでもこれで続いているというのが大事なのでいいかと思う。一ヶ月ばかり禁煙や禁酒、禁ラーメンを続けていたのを、この三日間ですべて開放したのもあり、そういうゆるめ方が大事なのかもという気分になっている。

とはいえあまり間をあけると書くことがたまりすぎて訳がわかんなくなってしまいよくない。なんか、禁酒破りをしたり、ギター買ったり(これは先週書いたけれど)高円寺で遊びまわったり、Threadsで友達増えたりして、なにがなんだか。

…と、まで昨日書いた。いま、コインランドリーが仕上がるのを待つために喫茶店にいる。古い商店をリノベーションした、いかにも世田谷らしいいかした若者がいつも集まって入りづらい店。なんというのか、俺の中にそういう人への淡い嫉妬、淡くもないか、濃くもない、というか昔みたいな強烈さはないが、ものの判断に間違いなく影響している、があるのは否定できないことだ。中学のころサッカー部に対して抱いていた感情の延長かもしれない。それよりは対象が上等になっているにしても。

threadsでこの子いいこと言うなあと思ったアカウントをフォローしたら従兄弟の友人だった。しかも彼らのサークルの子が作っている映画のサントラに参加したことからおれのことを知っていてくれてもいた。それはなんか素直に嬉しかった。あれも、現状その辺のブルース界隈で集められるメンバーでできることをやったというだけで、おれが今やろうとしてることではないのだけれど、といいたかったがはじめて話す相手にくどくど言っても意味がわからないのでやめた。

嫌いなものが一致するというのは好きなものが一致すること以上に芯に響くところがある。というか、好きなものが一致することはまあよくあることだ、たとえば「ブルースが好きです」みたいな相手と話すことはままあるけど、話していくとああ、そういうのね、となるのが大半であって、そういう相手に「でもあんなんは許せなくないすか」と言葉を継ぐと困惑されるようなことが多い。「好きなもの」という枠は広いし、角が立たないからコミュニケーションとしてはとっつきやすいのだけど、実際自分の好みや考えにちゃんと共鳴できているわけではない場合が多い。それよりむしろ、「あんな吹奏楽あがりの丸の内サディスティックいまだに大好きみてえなクソダサジャズサークル野郎なんかさ」と言って「そうですよね」となってくれた方がおれの狭いストライクゾーンには刺さる……こんなこと言ってると、また怒られそうだ。

師匠とリモート飲みを久しぶりにして、Eddie C. CampbellのMagic Samのカバーをコピーしてました、とリフを弾いて見せたらとても喜んでくれて嬉しかった。この2,3年くらい彼に習っていて、やっと「聴いたまま」の感じを出せるようになってきたのだと思う。ブルース界隈のレベルもさまざまだが「聴いたまま」をやれる人はいない。みんなやり方がわかんないからだが、それ以前に聴こえていないからでもある。聴こえていないのにやって、自分の「やり方」を編み出して、それに濁らされている人がほとんどだ。まあそれならまだマシな方で、その50倍くらいの人がそもそもちゃんとやる気すらない。ただのおじさんとおばさんの社交場としてセッションに来て、ワイワイやって満足そうに帰っていく。もうそういうことに怒るのも疲れたので、セッションに行くことはやめているが。

こんなんは今更のことだから書いてもしゃあないんだけどな。ええと。

自己表現とかスタイルみたいな言葉があって、みんなある程度音楽でそれをやるつもりではあるのだろうが、結局表現ということがどういうことかわかってないんで、たとえばフレーズとか、わかりやすいピッキングのクセとかで「俺の音」みたいなのをやってる。俺もずっと、トリッキーなことをやって自分の"スタイル"を作ろうとしていた時期があるので、わかんなくはない。でもそういう表面的なことではないんだよな。それでは結局なんか、メタルゾーンフルテンにして「俺の音」みたいなこと言ってる中学生と本質的には変わらない。表現ってことは、まず伝わってなきゃいけないわけで、伝わってないのにフレーズが個性的なんでこれが私のスタイルです、といったところで、それは説明にすぎない。まああんまり具体的にはいえないけど、いまおれはその表現をするためにやり方を練習してるわけだ。ブルースで表現するために、まずブルースをやれていなければならないというか。

つまんないこと書いてるな。しばらくギター弾いてたらどうでもよくなった。結局やりたい人同士でやるしかないのだ。

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