2023.7.13(コンビニBGMdis)

さて、やれやれ。

前にうつ病の人が快復するまでを描いた漫画で、「治さないという決意をしている」みたいな表現があって、それはよく覚えている。

自分もなんか仕事がうまくいかなかったりとかすると「落ち込んでいる」状態を自分で作ろうとしていたようなところがあった。そうして赦してもらいたい、とか、まあいろいろあったのかもしれない。そんなことをしなければならないような精神状態になっていたわけだから、やっぱきついのはうそではないんだけど。

気分と思考を分離するのは俺にとってはとてもむずかしい。最近はようやく客観視できてきたような気もするけどたぶん今調子悪くないからそう思うだけかもしれない。

きのう友達が誘ってくれてceroのライブを観た。ceroのライブを観に来る人でも、あの指を立ててステージに向けて振るやつやるんだなあ、ハイハットでリズムをとるんだなあ、などと余計なことを考えながら観た。(自由ですよ)

全体的にいいライブだった。個人的な好みではなくても、今かっこいいはずの音楽に触れておかなければ、みたいな思いがずっとある。それはそんな立派なものでもない。ブルースに自分の可能性を収斂させていく過程に今いるのだけれど、まだ自分には結果とかがないわけで、ちょっと自信がないかもしれない、というだけで。

それで「一回作ったらいいじゃない」といわれた。たしかになあ。

おれのいわばブルース計画というのは、基本的に教えてくれてる人のビジョンをそのまま共有しているわけなので。

まあでも自分のアウトプットにつなげるにはもう少し修練の時間が必要な気もする。やっとわかってきたところなんだよなあ。

ま~しかし、今年は良質なライブをいっぱい観てるな。MonoNeonに始まって、レッチリ、坂本慎太郎、そんでcero。3月の自分の出たイベントは記憶から消している。去年はブルース界隈のライブばっかりだった。今年も観たか。カトウミロクさんのライブ。サニーボーイⅡみたいに一人でハープ吹いてる時が一番格好良かった、というかそれしか記憶がない。加藤さんは悪くないのだが。

そのとき飛び入りしたけど本当にしょうもないギターしか弾けなくて往生した。バンドもガチャガチャで、何弾いていいかわかんなかったのもあるけど。今だったらまったく違ってくると思う。

仕事してるとよく頭の中で聴いたことのある音楽がかかる。最近はなぜか「たま」が多い。「星を食べる」とか「ムーンリバー」とか。あと、丼丸に行った後は絶対に店でかかっているテーマソングが耳から離れなくなる。信じられないような曲だが異様に耳に残ってしまい、迷惑している。あれを作曲して、作詞して、プロデュースして、録音した人がいるのだと思うと、ああおれは音楽関係の仕事とかしなくてよかったと思う。

ポップソングには依存性が仕込まれているみたいな言説を最近ちらと目にした気がする。件のテーマソングのことを考えるに、それは意外にありふれたものなのだろうな。「耳に残る」という表現があるがそれもよしあしだ。毒々しい色のグミを食べたあとの人工甘味料の味のような残りかたもある。

ある権高なおじさんが、日本のコンビニで流れているMIDI音源みたいな洋楽カバーは聞くに堪えない、アメリカみたいに昔の洋楽を流せと言っていたのだけど、それについてはほぼ同意している。

最近セブンイレブンに入ったらスモーク・オン・ザ・ウォーターのオーケストラアレンジみたいなのが流れていて苦笑いしてしまった。そうまでするなら原曲を流せばいいのに。あの安っぽいインストのほうが耳なじみがいいと本気で思っているのだろうか? 例のおっさんに言わせれば、そんなのをかけているのは店内照明の蛍光灯と同じことで、居心地を悪くして客の回転を早くしているのだという。事実かどうかは知らないけどまあコンビニに長くいようとは思わない。コンビニならまだしも、飲食店でも近いことをやっている店なんていくらもあるだろう。よく考えると不気味なことだ。商品を食わしたら用済みだからさっさと流して、なんて、工場じゃあないんだから。

前にもコンビニの店内BGMの悪口を書いたな。よりにもよってライブの翌日に書くことでもないような気がする。

なんだっけ。「たま」について、ちょっと触れたね。そんな大好きというわけでもないんだけど結構聴いてしまう。前は知久寿焼の曲が好きだったけど最近は柳原とか滝本の曲が気になっている。滝本のたたずまいとか歌い方が、なんかさくらももこの感じを思い出すんだよなあ、と思っていたら、まさに「わたしの好きな歌(映画)」で「星を食べる」が使われていたらしいことを知って、我が意を得たりだった。なんて歌を使うんだ、と思うけど。

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