2024.1.9(日記はじめてたぶん一年)

9日たったというのに2023、と一度書いて、あ、と修正するのをくりかえしている。

洗濯物突っ込んだらコロラドで日記書きながら終わるのを待つ、という習慣ももう1ヶ月くらい続いてるんだろうか。

年末年始はオンオフでいえばオフで…あたりまえだが。でもギターに関してもオフですごしたのはめずらしいことかもしれない。年末年始のイベントを積極的にこなす(大掃除とか、初詣とか)ことで、年末のさびしさを乗り切るということを今回覚えたのだが、今後どうなっていくやら。

ハウンドドッグテイラー用のギターのフラットワウンド弦を一個ゲージ上げてみたが、あんまり変わらんかった。013くらいは張らないと変わんなそう。

しかし弦ってやつは、張りたてはいやーな音するね。3年前は毎月替えてたのが嘘みたいだ。

あんまし書くことがない。三連休だったが、人と会ってる以外は寝てばかりいた。年末年始に一人でやるタスクを一気にやりすぎて、その回復に時間を使っちゃったかな。しかし体力にしろ、なんにしろ、身体の衰えを明確に感じる。こないだなんかちょっと15cmくらいジャンプしただけで身体のへんなところが攣ってしまった。まずストレッチを継続的にしないと、運動しても変にしてしまいそうだ。

書くことないなあ。Threadsを毎日見てるだけで消耗しちゃうっていうか。やんない方がいいのだろうなあ。

というわけでThreadsを利用解除してアプリも消してみた。もはやたいして呟いてもなくて(と自分では思ってるが、周りからしたらタイムラインが全部俺で埋まっているらしいが)あの質の悪いおすすめをだらだら見るのが続いてしまっていたし。その分日記に書いてしまった方がいいしな。

SNSを恒久的にやめることはいまいち今の俺にはできない。こうやって一旦やめたり、また始めたりして、断続というか波を作ることしかできないっぽいのだ。いつかタイミングが来たらいっさいやる気なくなるのかもしれんが。

俺が生涯でいちばんものを書いているのはまあ間違いなくTwitterで、おれの「書く」ということはほぼ「ツイートする」ということと同義だ。日記にしたって連ツイがひと段落になっているにすぎない。そうやって断続的にアイデアを出力するのが性に合っている。かりにながく考えるとしても、頭の片隅にそのテーマを何日も置いておいて、たまに気づいたことをツイートする、ということになるだろうし。でもそれはどんな形式をとっていても同じことになるような気がする。一日に3時間くらいかけて何かを書くとしてもそれはそれで短距離走になってしまうというか。まあ論文とか書く人は毎日何時間も書くのかも知らんが、それはいずれにせよ俺には無理なことだ…。

ひとりで自主的に外に出るとやはり気分を変えることができるね。家にいても日記なんか書けなかったと思う。今日は。去年はじめの俺に教えてやりたい。あの喫茶店で楽に書けるよって。そういえば去年日記を書き出したのも一月のこと。ちょうど一年経ったことになる。そのころの日記を読み返して所感を書くのもいいがスマホだとそれがやりにくい。

文章、っていうか文字っていうのはそのまま、記号であって、すべてをあらわすことはできないというのは音楽をやっているからこそよくわかるようになってきたけれど、たとえば自分の表現手段……というか、やりたいことが文章一本だったら、それはけっこうきつかっただろうな。こうやってへらへらいい加減なことを書き連ねて恥ずかしげもなく公開できているのは、自分はそもそも文章が本分の人間ではないと思っているからでもある。でもないか。これでも一年前はけっこう苦心して、そういうマインドセットに持っていったわけで。

おれがこの人の文章おもしろいなあ、と思う人ほど、公開しなくなっていく。なぜかおれだけが書いてはへらへら公開しつづけてる。

去年のいまごろは、とにかく毎日、同じような日をくりかえし生きてるだけという感じで。日記を書くことで、今日はとりあえずこれをした、という「実績」を作ることにしたのだった。それに昨日の日記を読み返せば、昨日と今日はちがう日だったと再認識することもできる。忘れてたけど、いまも理由をつけるとしたらそんな感じ。

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