2024.10.21-2(インターネット・ポルノ中毒)

 もう一本投稿してるんだけども、まあ、あんまり素じゃないというか、あんまり日記じゃないというか、ちょっと「かかった」感じになってしまっているので、もう少し気楽にもう一本書きたいなと思う。最近書いてなかったからねえ。それでいきなり7千字も書いたら体調崩す。

 いろいろあって、自分のなんというかギターやるうえでの自意識というか、自我というか、がまた浮き彫りになってしまった。なんだろうね。こうやって他人にぶつかって、「ああ間違っていた…」とやらないと俺は成長しないんだろうか。自分がダメージを食うのはもういいのだが、他人をその媒介にしてしまうたびに申し訳ない。かといって負の感情をネットに書くことをやめられていない。まあ、今回の場合、明確に負の感情があったというよりは、思い込みとか、かねてよりあった葛藤を未整理のまま書き込んだら「え、それってどういうこと?」と(優しくも)突っ込みを入れてもらったって感じなんだけど、いかに自分が「思った端から書いて発表する」ことを是としているにしても、いったん立ち止まるひますらない短文形式のSNSでやるのにはいろいろ弊害がある。自分一人で完結するならいいが大概の場合人を巻き込んでしまうのだ。

 いろいろ試行錯誤はしてきているけど、結局のところThreadsやXといったSNSは自分に「合いすぎて」いて、それゆえに問題なのかもしれない。SNSによってもたらされた情報に受動的に反応しつづける。あるいは自分の書いたことが反射して自分に向かってくる。「書きながら考える」と俺はよく言っているけど、その「ながら」の部分が、浅はかだったり、攻撃的だったり、もう少し自分で整理できるようなことだったりもする。そういうのを自分の「考え」としていいのか、ということをもう少し検討する必要がある。

 そんなこんなで、またまた(まじで100回はやってると思うが)TwitterとThreadsからログアウトした。

 「合いすぎて」いる、と書いたけれど、はたしてそうか。実のところはSNSに身体を合わせていったことが俺の習慣と、人格を形作っているにすぎないのではないだろうか。べつにそれは本当の俺じゃない、というつもりはないが、5年くらいSNSを絶ったら自分はたぶんかなり違った人間になるだろう。そしてそのデメリットがあるとも特に思えない。であれば、こだわる必要はないのだが、それでも気づいたら開いているのはやはり依存症というやつなんだろうか。まあ、煙草もそんな感じで気づいたら依存症だし。

 ん~。まあ、実験で、一か月くらいは離れたいですね。Facebookも。インスタも辞められるかなあ? なんか、全部やめてしまえとやけになってるわけじゃないんだけど、インスタを開いてたらThreadsも開きたくなりそうだし。まあ、デジタル・デトックスですか? 一気にやっちゃったほうがなんかいいような気はする。

 まーこのへんは、何度も悩んでるところなので、とりあえずいわゆる禁欲アプリみたいなのにTwitter,Facebook,Instagram,Threadsを登録しておしまい。

 しかしまあ、自分の思考を資本に奪われるな、みたいなことを思っておきながら、それをXやらMetaのサービスに書き込んでるんだから世話ない。いまだってnoteに書いてるわけですが。

 懺悔みたいなことをするのが目的ではないのでいったんこの話はやめる。

 ギターを始めるにあたってぶつかる壁、みたいなことについて書いた。具体例を挙げたり、自分の教則業界に対する疑問、なんか不文律みたいになっている物への疑問みたいなことが混ざったので、ものすごく長くなったけれど、一言でいえば「別にあんま気にしないで弾いてればなんとかなるよ」でしかない。ではあるが、たとえば「Fの壁」にぶつかっている(と思い込んでいる)人に「そんなのさ~」とだけ言っても、「そりゃあんたができたからでしょっ!」になっちゃう。それで、一個一個書いていったんだけど、逆に長すぎてとっつきづらいものになってしまったかな。

 「ギターを弾けたからえらいわけじゃない」とか、「別に少しだけ自分を救ってくれるものであればそれはギターじゃなくたっていい」とはいいつつも、俺はどうしても「やるならやったらええやん、楽しいよ」ということをやめられない。日記についてもそうで、ずっと思っている。「そんなおもろい文章書けんのになして普段かかへんの?」みたいなことを言い続けている。それは、その人のやりたいことがあって、別にそれはギターでも日記でもないからでしかないのだが、この、いったら押しつけがましいモチベーションはどこから来るのだろうか。まあ、仲間が欲しいから、だろうか。

 はあ。ええと。TwitterもThreadsもやめたんで、しいていうならこの日記の中になんてことないことからそれなりに考えることまで書く。置き換えダイエットみたいだ。だとしたら、次第に別にわざわざ書かなくてもおだやかに暮らせるというのが目標? いやいや、書きたい時は書きたいけど。しかしとにかく書き続けるというのを目標に掲げた時とはすこし心境がかわっている。まあもう何十万字と書いてきて、いちいち書かなくてもよくなったというのもあろう。いうたら、この日記だってTwitterの延長であって、ただ壁に思念をぶっつけてるにすぎない。なくてもいいっちゃいい。紙でなくてよかったかもしれない。なんかしら重たーい念がこもってしまいそうだから。

 今日はなんか書く日だ。ということはここ数日で結構よくない方向に気持ちが回ってるのかもしれない。心当たりはいくつかある。

 先日ブルース界隈の人と久しぶりに練習に入って、飲んだ。布団も敷かずに、畳にぶっ倒れて寝た。そもそもこういう飲み方をするというそのものもよくないし、そういう飲み方をしてしまう時点でその飲み会にはいないほうがいいということになる。記憶はほとんどないが彼女によると俺はおじさんたちと揉め、その後和解し、大変機嫌良く帰ってきたらしい。LINEに履歴が残ってるはずだが怖くて見返したくない。

 その人たちには勝手に恩義を感じていて、それは自分をかわいがってくれたからだ。まあ、「あの人たち俺のこと大好きだからさ」とよく言っていたのだけど、この言い方からもわかるように我が身可愛さの延長でもあった。音楽的には何も生まれていなかった。そのことにそのスタジオで気づいたのだと思う。彼ら、というのはその二人のおじさんに限らずだが、の中にいるうちは「若手のホープ」扱いされる。くだらないと言いながらもどこかでそこに依存していたのだろう。俺の自我を満足させるために彼らには付き合わせていた……まあ、向こうとても、はねっかえりの「若手」(もう29だけど)を可愛がっているというのは楽しかったかもしれないし、そこまで悪い気がしていたかは知らないけど。

 でもシラフの頭で振り返るうちそのことに思い当たってしまった。自分のやりたい音楽から逃避し、そういう安易な承認を求めていってしまう弱さ。まあ、こんなこと言うこと自体が失礼きわまりないが、この日記は見ていないと思うので書いてしまう。

 
 だからこの数日はかなり自分の調子が狂ってる感じがあった。まあ、アルコールの後遺症というのもあるかもわからない。

 とにかく自分の自我ありきで友達と付き合って、それでたまにめちゃくちゃになって、結果遠ざけてしまうみたいなことはもうやりたくねえ〜。それはブルース界隈でもそうで、みんないい人なのだ。でも現状は仲間ではない。仲間ではないけれど友達だ。友達を利用するような心の動きは排していきたい。同時に、仲間ではないことに癇癪を起こすのはやめたい。

 まあこんなふうに考えてるのが、気分が落ち込んでるということだと思う。風呂でも入って、淡々と練習して、すこしでも自分のやりたいことに向かっていくしかない。徐々にでも自分の覚悟を決めていくしかない。

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