2023.7.4(夏は夜)

Twitterが終わった終わったとさわがれている。非常時とか、告知に使う人が困るというのもわかるが、自分の身勝手な希望としてはじっさい本当に終わってくれても構わないとも思ったりもする。正直、そうなったらそうなったで、というか。

この間、ここからは体力は無くなっていく一方なんだろうな、みたいな話をした。たしかにそうなんだよな。わざと鍛えないかぎり。

暑い。猛烈に暑いというわけではないがなんだかんだで体力の削られているような、そんな暑さだ。冷房をつければ乗り切れるけれど、5月のように快適というわけではない。冷房のもたらす快適さというのは5月の快適さと同じではない。

レコードプレイヤーにつないでいるスピーカーをよく考えたらスマホにも繋げるということにふと気づいていまプレイリストを流している。さすがにBluetoothスピーカーよりは音がいいね。でもレコードほどは当然よくない。

逆のことを言うようだが、Bluetoothスピーカーを介してさえ、レコードの音というのはよかった記憶がある。

最近Magic SamのWest Side Soulをターンテーブルに置きっぱなしにして、とりあえずそれを流すというのが続いていたから、これもやはりいつも聴いているアルバムだがWillie WilliamsのRaw Unpolluted Soulに替えた。アルバム名似てるね。

暑いせいか長文を書く気力がないというか、書くことが思い浮かばない。

ほっといても汗をかいてくる。それは不快だけど、最近汗ばむくらいの暑さですぐ冷房をつけていたので、過剰だったなと思って今日は扇風機だけで過ごしている。自分にどのくらいの不快を許容させるかという問題。微妙なところだ。窓を開けて、扇風機をかければ、耐えられるくらいの不快には落ち着く(今のところは。)生産性とかは知らない。まあしかし、人間は冷房が開発される(まだ確実に百年も経ってないはずだ)までは、いろいろ工夫はしつつこの不快を受け入れて生きてきたんだよなあ。

今電気もつけず、夕方が暗くなるにまかせ、気温が下がってきたのを感じながら日記を書いているのだけど、まあまずこういうもんだよな、という気が湧いてくる。夏でも冬でも、ある程度の不快も受け入れて初めて季節感というのは立ち上がるもののような気がするね。蒸し暑い中夏ののびた日を感じながら、蚊取線香の香りをかぎながら作業をするのは、快適ではないが、何かしらの快もある。

夏は夜。夏は夜ですね。たしかに。


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