2023.10.17(薬がなくなってしまった〜〜)

一番ひどい状態ではないけど何とも憂鬱だ。なんとなく理由はわかっていて、仕事がどうでもよくなっちゃって、先週すっかりため込んだせいだ。まあそのつけは今週以降出社することで払うこととなった。それはそれでしょうがない。

きのう少し書いたけれども、先日会った海自士官の人はまさに切れる男という感じだった。戦争指揮官になったら即断即決できないといけない、みたいな、そういうことを考えさせられた。

『ネガティブ・ケイパビリティで生きる』を読み返そうとカバンに入れた。モラトリアムとそしられようが、結局のところ即断即決みたいなのが尊ばれるのは、現実にそうしなくちゃいけない局面があるからにすぎないじゃん、と思ったりもする。戦争なんてないのがいいのに決まっていて、その才覚が必要とされないような平和な世の中であるならそれに越したことはない。現実社会ののっぴきならなさゆえに必要とされるものを持っている人をやはりおれは尊敬してうらやんでもいるけれど、自分の役割があるとしたらそういうことではないとも思う。かといって完全な夢想家や芸術家でもないけど。

まあこんなことは言っているけど、先日は素直に頭がさがる思いだった。ひるがえって考えれば、現実においてやらなきゃいけないことは厳然と存在していて、彼はそれを背負ってくれている人なのだ、というか。

「現実においてやらなくてはいけないこと」。責任は重く、大変だけれど、必要とされている。かえのきかない人間。そういうのはブルシット・ジョブとは言わないのだろうな。おれとて、仕事なんてただのお金をもらう手段だし、そこに生きる意味なんかを見出そうなんて思わない、とうそぶいてはいるけど、それを言うには、優先度とじっさいの拘束時間が釣り合っていない。ならばまだ、仕事でもそれなりにやりがいだの成長だのを感じられた方がいいかもと思ったりもする。仕事をしているとき、仕事をしてないけどしてないことにさいなまれているとき、俺の中で俺の価値が下がっていくのを感じる。かといって労働に生きがいを見出したいというわけではなく、妥協案である。正直宝くじ当てて毎日健やかに暮らすほうがいい。

なんだかんだで、買ってからというもの、ほんとに宝くじが当たればなってことばっかり考えてる。

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