2024.9.27(火属性のオタク)

 昨日少し書いたのだけど消えてしまった。

 小学校の頃通っていた絵画教室の先生から個展のお知らせが来た。ああ久しぶりだな、とおもって裏面を見ると「80才になります」とのコメント。父が昔「先生の字は本当にきれいだなあ」とほめていた手書きの字で書いてあった。80才。俺が通っていたのは小1から小6だったので、まあ17年ぶり(大学の頃にふらっと立ち寄ったことはあるけど)ということになるのか。2024ひく80は…1944年! 何の気なしに習っていたけど、戦中の生まれだったんだ。と思えば、俺が子供の時にはまだ戦中、戦前生まれの人がたくさんいたのだ。ざっくり60歳以上の人だったら戦争を経験していたわけだ…。俺も歳をとるわけだ、と思う。今ブルース界隈のおじさんと関わることがあるけど、年長のほうになると65歳くらいだ。そしてそんなにおじいちゃんという感覚でもなく(世代は違うなあと思うけど)、ふつうにしゃべっている。子供の時は当然60以上の人なんておじいちゃんだった。そういう人の話を聞かずに平和ボケしてきた結果がいまのインターネットかと思うと情けなくなる。ごめんなさい、こんな国にしてしまって。

 まあとにかく、その個展にはいくつもりだ。連絡帳の上から順にはがきを書いたのかもしれないけれど、あの先生のキャリアを考えればこれまでかかわってきた人は膨大なはずで、ある程度書いた人書かなかった人はいると思う。俺のことを覚えてくれていたんだなあというのがまず感激でもある。し、80歳にもなる人がわざわざ便りをくれたということの重み。もちろん作品も見たいし。

 ふと、妄想みたいなことだが、こういうお世話になった人に「せっかくだから一曲」と請われたとき、ギターいっぽんでさっとできる曲が自分にはないことに気付く。宴会の座興ならコード調べて何でもやるけれど、そういう人に「あなたはなにをしているの」と問われた時の回答になるような曲がない。ある意味では、セッションとかライブなんかよりも大切に歌える曲…。だれも知らなくても、ぼくはこれが好きなんです、といえるような曲。

 いったん24日の日記。

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 急に寒くなったからかどうか、朝から調子悪くて出社の予定だったのを午前中は在宅にしてしまった。メンタルというよりはフィジカルな感覚。シンプルに、熱あんのか? ってくらい身体が重い。とりあえず午前は全部寝て、チャットだけは返すようにして、午後からよろよろと会社に来た。とはいえようやく身体が起き始めた様子で、さっき煙草を吸いに出たら結構気持ちよかった。

 あるおじさんとFacebookで友達になって一年が経ちました! という通知が来た。その人とはもう五、六年くらいの付き合いなのにそんな通知が来るのは、去年あるセッションで腹立って一回友達から削除したからなので、まったくめでたくはない。思えば一年前はそうやっていちいちむかついたりしていた。何にそんなにいちいち怒ってたのかと思う…ということは多少なりとも俺の性格は穏やかになっているのか。いや、そうではなくて、あの界隈との付き合い方が変わったというだけだろう。仲間だと思うから期待して、裏切られた気になったりしてたわけで、ただの飲み友達と思えばいちいち怒ったりしない。

 先日また別のおじさんに急に誘われて飲みに行った。酒癖が悪いで有名なおじさんなんだけど、ブルースが好きなのはわかるし、前にセッションで一緒になったときいたく感心してほめてくれたんで、ひょっとしたらと思ったから。最初こそ敬語で紳士的だったけど、中9割のホッピーを飲みだしたあたりから雲行きが怪しくなり…差別的なこともいうし…ある店を出禁になった理由を聞いたらちゃんとダメなことやってたし…ブルースじゃなくてブルース界隈の話ばっかになってくるし…「もう○○会でしょ?」と自分の派閥(?)に勧誘してくるし…。いろいろがっかりした。結局そういうところになってまうのね。

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 タバコ吸いに出たら右翼の街宣車がいた。自民党粛正、日中国交断絶。前者はまあわかるが(どういう方向にかというと、同意しかねるものだろうが)、国交断絶して変に戦争でも仕掛けられたら困るのはこっちの方だろうと普通に思う。そのへんはどうするつもりなのかしらん?

 しかしそういうコテコテの右翼でさえ「自民党をどうにかしろ、国賊だ」と言うているのに、ネトウヨってのはどういう存在なんだろう。ネトウヨ、という呼称がもはや正確ではないのかもしれない。自民党シンパ、というのとも少し違う。そんな積極的な党派性を感じないわけで…。しかしその「呼称」を考えているうちにすごいことを言ってしまいそうなのであまり深追いはしないが。

 前に市川に先輩と飲みにいったときに(友好的な)右翼のおっさんがいて、わりと雰囲気のいいバーででかい声で軍歌を歌い出したり、「車に日章旗つけてるんだけど、これはオシャレでやってるんだ」とか言うたりしてた。オシャレのくだりはそんなわけないだろすぎてもはや面白かったが、いわゆるネトウヨ…というか、ゆるふわにネトウヨなオタク、というような人もああいうおっさんをじかに見たら結構引いてしまうと思う。そこで肩組んで「同期の桜」を歌うようなオタクがどれだけいるのか。まあ居るよりましなのか?

 しかしそういう「ネトウヨ」を煽るかたちでいつも引用RTを繰り返している「リベラル」なアカウント(これがけっこうまたいっぱいフォロワーがいたりするのだ)というのもなんだかなと思っている。そうやって冷や水を浴びせ続けたとて根本的に対話が成り立つことはほぼないわけで、じゃあ何のためにやってるんだ、ということになるからだ。たぶん彼らのモチベーションも、よりよい世界を作るということにはない。残念ながら。まあ、それは俺とておなじことだ。俯瞰して俯瞰して俯瞰するマウンティングみたいなことを繰り返して自分の位置を変えているだけで、なにか世界をよくするために動いているわけではない。いまのところ。

 自分が本質的に変わるってのはなかなかむずかしい。たとえばネトウヨだった人が、ネトウヨを憎むようになり、今度はネトウヨを揶揄して優位に立ちたいだけのような人を批判し出す。まあ俺のことだが、そういう人はほかにもいると思う。それでもすこしずつ憎しみの輪廻の外側に向かっていると願いたいが。

 そういうのの外側に立つことでしかないのかもしれない。オルタナティブというか。その内側にいるうちは自己批判も意味をなさない、というより、自己批判にこそその攻撃性を残してしまう。

 会社に明らかに風呂に入っていないオタクっぽい人がいるのだが、さっき会社の前の交差点を叫ぶように口をあけながら全力で走って行った。小雨なんだけど。ひょっとしたら「濡れる」ということを異常に恐れているから、風呂にも入らないのかもしれない。

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