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2023.2.14(日記)

世間ではバレンタインだが今年は縁がない。自分の場合くれるのを待つのもあれなのでそういう時は大体自分からあげていたのだが今年はあげる相手だにすらいない。まあいいや、とも思う。バレンタインとは関係なく孤独な時は孤独であって、バレンタインなのに相手がいない、という考え方はイベントに踊らされているにすぎない。そもそも自分はただ孤独なのだ。あれ、これって解決になってるか? まあ、今の状況を孤独と呼んでしまうのも恋愛至上主義ありきの話だ。一旦乗っかってみたものの。自分にも友人はいる。

Kindle Unlimitedで無料だったので『ロイヤル・ガーデンの友人』なる漫画を読んだ。昔読んでいた少女漫画を思わせるテイストでよかった。主人公のマイルスは性自認が女性の男性なのだがなにもこれは今時の情勢に目配せしているのではなく、昔からある設定だ。

そういえば前に、話題になっていた『ボーイ・ミーツ・マリア』という、いわゆるBL作品を読んだ。俺はBLをちゃんと読むのが初めてだった(友人の女性には”腐女子”が多かったものの)のだが、予想より明るいトーンの作品だったのでおどろいた。こう言ってはなんだがもっと耽美というか、「禁じられた恋」みたいなイメージがあったのだ。これではいつぞやの文学賞で「レズビアンものなのだからもっとエロティックに」みたいなことを言い放って大顰蹙を買った審査員と同じだ。まったく不見識を反省せざるをえない。おもえば自分のBLのイメージというのは中学生くらいの時からあまり更新されていない。『日出処の天子』とか、そのくらいか? しかも当時はよくわからず読んでいたはずだ。

『ボーイ・ミーツ・マリア』が新しいなと思ったのは(というか自分の認識が古すぎるなと思ったのは)男子同士の恋愛がそもそもおかしなことではないという前提に立って描かれていることだ。もちろんいろいろな葛藤とかはあるものの、それを周囲に隠したりはしないし、周りも(「ホモ」とか言ってからかう描写はないでもないけど)そこまで拒絶したりせず受け入れる。これがけっこう新鮮だった。ご都合主義という言い方もできなくはないけど本当はそうあるべきなのだから現実が追いついてないだけというか。

『付き合ってあげてもいいかな』とかも女の子同士の恋愛を描いている。多少周囲との摩擦はあるものの普通にやっていて、そもそも自分が、同性同士の恋愛漫画であれば周囲の無理解との衝突も描かれるべき、という考えを持っていることが大きなバイアスなんだなと思った。もちろんそういったものを告発するような作品もあると思うのだけど同性同士の恋愛を普通に描いちゃいけないなんてのはない。むしろ普通に描いたものが増えるほどにそれが当たり前になっていくのだ……と、まあ現実はそう単純にはいかないかもしれないけど、いったんそう納得することにした。当事者の人がああいう漫画を読んでどう思うのかは、わからない。

近頃自分を甘やかしすぎていた感じがある。三日連続でラーメンを食べたりしていた。甘やかすというのか、軽度の自己破壊というのか。自分を甘やかす、は自分を大事にするとは違うんだろうな。そうして自分は怠惰である、とイメージを塗り重ねることは徐々に自分への愛情を毀損していく。それに太るし。

寒い。うちは古いし、窓がでかいし、和室なので、暖房をフルに稼働させても依然として寒い。そもそも古くて、窓がでかくて、和室なのが気に入って決めたので仕方ないのだが。例によって電気代が高騰しているので、もはやその分家賃プラスしたらもっと気密性の高い家に住めるんじゃないかと思うが仕方ない。引っ越し費用もないし。マジで貯金がなくなってしまったし、貯まる気配もない。今年はやばいぞ、と思っているけど普通に外食したりしている。

昼過ぎに外をみると天気が良くなっていたので買い物に出た。勢いで出たせいでアウターを忘れて寒かったが、アウターを着に戻ったらなんとなくタバコを一本吸って再び出る気力が湧かないのではないかと思えたのでそのまま向かった。うちからスーパーは決して遠くないが商店街を抜けたところにある。うちから商店街を抜けるには一度踏切を渡らねばならない。俺の行動圏は真ん中の踏切、商店街の向こうはじ、で一回ずつ区切られていて、その二つを抜けてスーパーに行くにはそれなりに勢いがついてないといけないのだ。いくらなんでも怠惰すぎる。久しぶりに行くので、納豆やら豆腐やら野菜やらレトルトのカレーやらパスタやらをまとめ買いした。これで何日持つだろうとかそういうことを考えていない。考えたほうがいいのはわかっているのだけど。



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