2024.5.3(暇だと愚痴っぽくなる)


 三軒茶屋で髪を切って、近くにあった岩手じゃじゃ麺専門店とかで飯を食って喫茶店に来た。半分はトイレに行くため。半分は日記を書くため。このところ会社でしか書いてなかったし、会社で日記書くとどうにも暇つぶしすぎて自分で読んでもつまらないのだ。まあ日記なんてそんなんでいいかもしれない。そもそも暇すぎて鬱っぽくなった時に「それでも何かしなきゃ」みたいな気持ちで始めたわけだし。でもまあせっかく続いてるものを途中で終わらせる必要もない。いわば惰性だが、惰性でやっててもそれなりにおもしろくなることがたまにはあるからいいのだ。

 2階の喫煙部屋で書いてる。もともと2階も普通の席で、充分な広さがあるのだが例の条例で喫煙専門になってしまった。いっそ喫煙席にしてしまえば繁盛しそうなものだが申請がめんどくさいのだろうか?

 戻ってきた。とくにうまくもまずくもないコーヒーフロートをチューチュー吸ってる。昼飯のとこ、まあふつうだったな。本場の味にこだわるというふれこみでレビューには色々うるさそうなことが書いてあり、事実若いわりにちょっとうるさそうな店主だったが対応自体は丁寧だった。でもうるさそうだなと思ったのはどういう要因だろう。目つきかな。あと髪型とか。ふるまいとか、トータルで神経質そうに見えるわけだ。清潔感はあるけどなんかしゃべったらめんどくさそうだなという感じ。なかなか名状しがたい。

 前に赤坂の方で博多ラーメンを食べた時を思い出す。店じゅうになんやら「美味しい食べ方」みたいな貼り紙がされていた。あんまりそれが多いと「客をコントロールしようとしている」と感じるのかずっと警戒しながら食べることになる。今日のとこも多かったがあれほどではなかった。あそこはやばかったな。わりとチェーン展開してるみたいなんだけど。店全体がやたら「陽」の感じを出そうとしていて(まあブラック企業的な、わかるだろうか)努めて明るく振る舞っている狂人と接している時っぽい危機感をおぼえる。なんやら私塾のようなものも経営していて、むしろそっちが母体らしいようなことも書いてあった。まあそれに比べれば今日の店はまだかわいいものだ。相手は個人だから。

 今日どうしよう。渋谷でも行ってレコード見てこようかな。天気いいから。でも早めに帰りたい。無理して飲んだりして帰るとなんかなあという日になってしまう。本屋とか寄ってみようかな。どこの?渋谷のジュンク堂ってなくなったんだっけ。

 帰ってきた。ディスクユニオンとギター屋二件回って。ジャズマスターを2本弾いて具合がよかったので欲しくなる。しかし金がないので借りているジャガーに太めの弦を張ってみることとした。結果的にはまあ良さそう。レコードは安いのを中心に4,5枚。Leroy Carrの1937年の録音と、Homesick Jamesを一枚。Eddie Taylorのソロ作、Jimmy Dawkinsの見たことのないアルバムを一枚。前者2枚は良かったが後者はいいかげんなプロデューサーの無理解からあんまりいいアルバムとは言えない。特にJimmy Dawkinsのは彼の良さがほぼ出ていないもの。70年代のFreddie Kingみたいにしたがっているのだろうが、いかにも白人のよく分かってないプロデューサーがブルースマンに"ファンク"やらせてみました的な仕上がり。調べてみたらイギリス人だった。やはりね。こういうのに当たるとげんなりする。単にお金が無駄になったというだけではなくて、センスのない人が「白人だから」プロデュースを任されて好き勝手を許されていたということにいささか思うところがある。Jimmy Dawkinsはたしかにクラブでファンクっぽいことをやってもいるし、適性もあるが、こういうのではない。このアルバムはそれこそFreddie Kingとか、Otis Rushの「Mourning In The Morning」とか、Howlin' WolfやMuddy Watersをロンドンに呼んでファンクやらサイケをやらせたアルバムのような…ようは分かってない奴の「ファンク」だ。この感じを説明するのはちょっとむずかしい。他のアルバムの「Tribute To The Orange」なんてのもあるが、これは全然畑違いのGatemouth Brownを呼んできて一緒にやらせている。合うわけがない。先のEddie Taylorのアルバムもそうだ。なぜシカゴのEddie Taylorのアルバムに西海岸のPhillip Walkerを呼んできて、あまつさえリードを弾かせるのか。まあ当時は色々情報もなかったことだろうが…。ブルースマンを呼んできて、俺のアレンジで今にも通用するアルバム作ったろwという姿勢に、今の「ブルースを取り入れた」とか、「ジャズとロックを融合した」とか軽はずみに言い出すアーティストと共通する軽薄さを感じる。ブルースもジャズもロックもできない奴がつまみ食いして、これが自分の「オリジナル」です、というのだ。まあそれを言い出したらビートルズだってモータウンのグルーヴなんか絶対できないのに換骨奪胎して自分の音楽を作ってしまったわけで、滅多なことは言えないが。それにしても「組み合わせ」て新しいものを作る前にそもそも土台はあるのかという話になりはしないか。

 全然レコードと関係ない話まで来てしまった。

 前は50年代の録音の良さって(もちろんElmore Jamesとか、好きなものも多かれど)あんまわかってなかったけど、なんかここ数日そっちの方が気持ち良くなってきてる。

 一旦今日はここで切りますか。なんかまた愚痴っぽくなったな。

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