2024.4.19(Univscape)

 わお。四月も後半に入ってしまった。しかも、日記にも十日?とかそのくらいあいだをあけてしまった。先月は本読んだり絵を描いたり日記書いたりラジオ録ったりとやってたのだが。まあでも今月は音楽にフォーカスする月だったようだ。事実、三月にほとんど音楽を練習はおろかちゃんと聴きすらしなかったのに、四月頭にふと、師匠のこれまでの話が急にストンと腑に落ちた瞬間があった。それから結構な量の気づきが日々もたらされるようになった。頭の中の知識とか、考え方……conceptは、どうも一回寝かせておくのも大事だということになった。なったっていうのは俺の中で。

 一回切り替えて違うことやっちゃうのが大事らしい。かの偉大なドラマー、Fred Belowも言っていた。毎日音楽のことだけ考えてると息が詰まってしまうから、絵でも写真でも他のことをやるんだと。たぶんなんかのハウツー本でも言われてるだろう。脳っていうのは一日インターバルを置いたほうが学習効率がいいとか、なんとか。坂口恭平は毎日すごい量の創作をしているが、文章、絵画、音楽、料理、その他もろもろと一日のうちにあらゆることをサイクルで回しているから詰まることがないのだろうか。それとも、彼の鬱というのは本当は脳を休ませるために身体が連れてくるものなのか。

 練習っていうのは単純に毎日体を動かしていれば筋肉がついて毎日うまく弾けるようになるとかそういう話だけではない。俺の中で大事にしているのは、次のステップの景色が見えるようになることだ。一度次の段階へ登ってしまうと、それまで大事に考え込んでいたアイデアや思い込みというのが多く意味のないものに感じられたりとかする。あるいは前に得た知識の見え方が全く変わったりとか。そういう「あれ?」っていう感覚。
 去年それで五、六本のギターを売り買いしたうえ、そのとき買ったギターも全部売りに出している。今の自分には別に必要なくなってしまったからだ。それはいかにも無駄な感じ(というか無駄そのもの)だが、自分の中での正解に近づいていったら少なくとも試行回数は減っていくだろう。

 真面目な話になったね。

 今月はべつにさんざんというほどでもないけれど熱は出すし、カードは使えなくなるしでまあ面倒ごとはしばしばあったな。あまり外に出なかったような気がする。下高井戸を散歩したのも先月。銭湯やコロラドに足繁く通ってたのも先月。それに比べて四月は活力がない、というより活力があるからこそ家の中でも元気、みたいな感じがする。コロラドに通いはじめたのは何より家にいること自体がきついなと感じたからで、今は別に家にいても楽しい。まああったかくなったのもある。

 先月は千葉雅也の本を一気に四冊読んで、「センスの哲学」も絶対読むぞと思って発売日に買いに行ったのに結局今月全く読んでない。まあそれもタイミングというか、気が向く瞬間があるんだよね。そのために積読しておくということ。

 日記は書いてなかったけどその間TwitterとThreadsはかなり更新していた。

 先日自分がサントラで一曲、というかジャムをしてそれを録ってもらった、で参加した映画の試写会に行った。大学の一会議室でパイプ椅子を並べて雑然とした中で観るというものだったがなかなかいい経験になったし、自分の音もよく録れてて「これが俺?」となった。たいしたもんだね、録音の勉強してる人っていうのは。
 映画の内容を批評できるような知識はないのでまあそれは思いついたときに書くかもしれないが、なにしろ大学生の--というより、留年してたり院生だったりいい歳でガムをくちゃくちゃ噛みながらスケボー持参で来る俳優のおっさんだったり、が混ざり合ってなんかよくわからない集団に入り込んでしゃべったりなんだりするのが新鮮だった。別に俺は就職して「社会」とやらに参画せよという立場ではないし、俺自身「社会人」としては出来損ないに近いぐうたらではあるが。
 今の俺の友人たちも基本的に「社会人」規範を内面化したいなんて思ってない人たちだが、それでもみんなある程度、まあ悪い言い方だがそれなりに「ピシッと」している。それは喋り方とか、気の回し方とか。
 やる気か否かは置いておいても会社で働くということは人を変質させるんだなと思うし、自分もいつしか変質していたのだ。

 普段しないような下世話な例えを用いるなら、童貞と非童貞みたいな感じだ。べつに童貞だからダサいってんじゃなくて、その変化は不可逆であるということが似ている。非童貞は童貞を捨てたその先の現実を知ることで何かの可能性を捨てているが、逆に童貞には可能性しかない。脱童貞というのは無限に広がるはずだった可能性をある程度収束させるということでもある。だから、早く捨てたいと嘯きながらも無意識下ではその時が来るのを恐れている。
 社会はとにかくその儀式を通過してない人間は未熟だとでもいうかのようにそれを急かすところも似ている。まあこんな喩えをされていい気分のする人はいないでしょうが。

 なんでこんな話になった?

 今日は「ガーデンスケイプ」とかいうしょうもないスマホゲームをやった。ピンを抜いて親子を助けたり、果物を入れ替えてぷよぷよみたいに消していったりするあれ。
 しょうもないのにぶっ通しでやらせる力というのがあって、あれは正直脅威だ。18時くらいから始めて、まあ19時すぎくらいには一旦正気に返ってアプリを消したのだけど、その間に真っ暗になっていたのに電気もつけずやりつづけていた。面白いとか面白くないとかじゃなくて、何か汁を出させる。それはパチンコとかもそうなんだろう。
 どうでもいいけど、「Garden-scape」は「garden」と「escape」を合わせた造語だろうと思っていたが、「landscape」という線もあるか。まじでどうでもいい。みんなも一時間だけやったら消しましょう。

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