2024.3.21(「○○さんですか?」)

買い物してコロラド。なんか久しぶりな感じする。ホームに帰ってきたというか。今日はべらぼうに天気良くて、昨日何もできなかったの天気悪かったからじゃん、と思える。雷まで鳴っていたんだから。

今日は二本電話を入れる。一本は仕事の、もう一本は病院の予約。それでも結構ドキドキしている。おれは電話が苦手だ。中学のとき、おばあちゃんにお年玉のお礼しろといわれ、「ああ、僕電話苦手なんだよねえ」と言ったら「お前なあ、電話苦手とかそういう問題じゃないんだよ」と父に怒られた記憶がある。まあ、そりゃそうだ。いま思えば礼を言えない人間になることで人が離れていくことを父は心配してくれていたのだが、それにしても電話は怖かったし、今も怖い。まあそういう礼儀みたいなことは前の彼女の実家に頻繁に出入りするようになってずいぶん覚えたと思う。そういう場合、根はいい人だから、ではすまない。元彼女の実家には感謝している。

最近スパゲティが好きだ。パスタというよりスパゲティだ、というと何だか月並みだけど。調べてみるとパスタはペンネとかも含めた小麦のあれの総称、スパゲティは細長いあれのこと、らしい。一度は調べてそうだけど、忘れてたのか、一応知らなかった。まあ、ペンネもマカロニも好きだが、その意味でもスパゲティの方が好きかな。

コロラドはどうもニューフェイスらしいおばさんがかいがいしく働いている。いつものおばさんにあるいい意味でのなれなれしさがなくて緊張している様子だ。

とか書いてたら昔聴いてたバンドのボーカルが隣に座ったのでマジでたまげてしまった。思わず声をかけてしまったが、人といたし、あんま素性知ってる人間が隣で聞いてるかもしれないというのも気をつかうかなと思って早々に出た。たくさんタトゥー入って、筋肉質だけど目元が涼しくて、声が低くて格好良かったな。チョウ・ユンファみたいな。

ちゃんと「聴いてました!」って彼の昔のバンドを挙げて腰を低く接してしまった。それはべつにいいのだが、おれはもう無意識に「一般人」として自分を規定していて、そうやって自分を一段下に置いて接するのが当たり前にしてしまっているのだと思った。三茶で会ったラッパーにしても。

もちろん初対面でいきなりイキがって「あんたのバンド、良いよネ」みたいなことを言うべきだったというわけではない。ただ、自分はそこで「かっこいい側」に普通に立っている人ではないのだった。それはまあ色々あるけど、たとえば俺が今日、いつものだらしない部屋着ではなく、高くはなくてもかっこいいと自分で思える装いをしていたらどうだっただろう? たとえば100kgまで近づいたぶよぶよの身体ではなく、寝癖もついていなくて、筋肉質なかっこいいスタイルだったら? 向こうが見た目で判断すると思ってるわけではないが、自然俺の態度も向こうの対応も変わってきただろう。「なんか、音楽とかやってんすか?」くらいは訊いてきたかもしれない。俺は身長もあるし、顔ももともとは悪くない。自己管理ができなくなるくらいの鬱でもない。俺が自信を持って接することができなかったのは結局怠慢……というより、自分の作り上げたライフスタイルの結果なのだ。

まあ、それでも、「○○さんですか」と普通に声をかけられたのはよかったかもしれない。そこまで卑屈ではなかったはずだし。あったかくなってきたし、さすがにもう少し頑張ってダイエットとか服とか始めるかー。

しかしそういう意味で考えると、最近友達になったラッパー(/ギタリスト/映画)はえらい。ちゃんと服もかっこいいの着てるし、ちゃんと人をなめたような口調でしゃべって、しかも内容は虚ろではない。前に彼が、「クラブミュージックをやりながらキモオタであることは不可能」と書いていたが、まあそういうことだろう。見られるということに無頓着でい続けることはできない。ブルースであっても。70年代くらいになるとめちゃくちゃ太ってくる人もいるが、50,60年代くらいはみんなシュッとしててかっこいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?