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2023.1.24(パラパラチャーハンセラピー)

チャーハンを作った。

いきなり、冷やご飯を水で洗うとある。完全に半信半疑でやったがこれが本当だった。だいたい、家で作るとご飯がダマになったり、べとついてるわりにパサパサしたりでうまくいかないものだが、このレシピに倣ったら全て解消した。町中華の、濃くないタイプのチャーハンの味は完全に出たと思う。昔は大阪王将の冷食チャーハン(ラードかなんかで黄色くなってる、脂っこいやつ)が好きだったものだけど、いまはこういう割とさっぱり、しっとりした、ご飯を炒めましたって感じのチャーハンが好みだ。もっともサラダ油はけっこう使ってしまったが。

料理というのはたしかに自分のメンタルに好影響を及ぼすとおもう。うまくいったというのもあるけど、やっぱり小さなタスクを企画して実行して確認するという一連の手順を自分一人で(それも短期間に)踏めるというのがいい。美味ければその分加点、自分なりの工夫がうまくいけばそれも加点だ。自分のために手間をかけてやる、というのも、自分に優しくしてやるという意味で、いい。
まあ、こんなのは一人暮らしのそれなりに悠々とやっているアラサー男だからいえることで、子どもがいて毎日家族の分を作らねばならないとあったら全然違うのかもしれない。

『おもろい以外いらんねん』と、『ひとりずもう』を読み切った。『おもろい以外いらんねん』は、やっぱりホモソーシャルな、そして「笑うところ」というシグナルを出したらとりあえず笑うみたいな芸人社会を鋭く斬りつけながらもたしかに青春小説だった。『おもろい以外いらんねん』というこのキラーフレーズが、読む前と読んだ後で意味合いが反転するというのも上手い仕掛けで、つくづく感心した。小説を読むのは久しぶりだったし、最後に読んだのがたしかチャンドラーのフィリップマーロウシリーズだったので、こういうフレッシュな小説を今読めてほんとに良かったと思う。

これにはほんと苦笑いしてしまった。こういう子があの小説を読んで何を考えるのか。そのうち感想を聞いてみたいと思う。

翻訳の今週の課題がおわった。前回のノンフィクション があまりに内容的にも構文的にもむずかしかったので、今回のフィクションはかなりやりやすく感じた。自分は堅い文章も嫌いではないけど、やっぱりしゃべり言葉のニュアンスをうまく拾うことが楽しいなと思う。(ま、みんなそうかもしれないが)
去年、ブルックリンの黒人の少年たちがダベりながら家路につくというフィクションを訳したときも楽しかった。都会っ子独特の軽口のニュアンス。男の子同士のふざけあい。俺が十代の時だったらどういうしゃべりかたしただろう?(まあ、当時の俺は都会っ子でもないし、キャラクターたちのようにイケてるティーンでもなくて、中学から直帰してエースコンバットをやり込む根暗だったわけだが)なんてことを考えながら、ほかの生徒のおばさんとどう差をつけてやろうかなんて取り組むのは楽しかった。

その作品はまだ訳されてないのだが、同じ作者のこれも面白かった。

これも。ヤングアダルトというやつで、だいたい十代の子向けの小説なので、全体的には希望を感じさせる仕上がりだし、主人公たちの心情にフォーカスを向けているけれど、アメリカに生きる黒人のティーンがなにを感じ、考えさせられながら生きているのかという一端を想像させてくれる。
あと会話がやっぱり生き生きしていて好きだ。

これはいま読みさしで積んでしまっている。自分はかつて子供だったものとして読んでいいのか、すでに社会に慣らされて、その退屈さを子供に押し付ける大人として読んだ方がいいのか迷う。でもこの本によって救われた十代の俺もいるかもしれない。

さて昼休みが終わるから、いったん切ろう。

大寒波の中外に出しているのがかわいそうだった

時間は飛んで23時、今日の枕元。

夜も鍋作ったし、わりに元気な一日だったような気がする。最近調子がいい。昨日パサパサに炊けてしまった米がまだ残ってるから、明日はガーリックライスか、チキンライスにでもしようと思う。

しばらく観葉植物は中に入れておこうと思う。あまりに寒くて気の毒だし、心配なので。あと外に出しっぱなしだとどうしても水をやり忘れるし……

ダ・ヴィンチ・恐山の「強さ」におののく。いやはや、俺はTwitterなんてやってなかったようなもんだ。脱帽。もうTwitterやってたヅラは一切やめます。
前も書いたけど自分のインターネット力のたいしたことなさを客観視する機会が最近多くて、「あ、これやんなくていいんだな」と思うようになった。まあ望ましいことだ。うまいこと距離をとっていこう。

今日はこれ以上書くことあんまりなさそうだ。おやすみ。

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