2024.8.19(出社)

 木・金と休んでしまい、きょうも午前休をとった。先週末の三連休にも有給をプラスして四連休にしていたから、ほとんど盆休みのようなものだ。

 木曜は目が覚めたときに「あ、だめだ」と思った。ふさぎこんでいるというよりは単純に身体が動かなくて、「これ動かして会社行くのは無理だなあ」とどこか他人事のように考えている。数年前だったら、「こんなことで”ちゃんと”できない自分は…」とひたすら責めていて、結果「メンタルの調子が悪い」という一つに一致した「事情」が生まれたのだと思うが、今回の俺はどこかけろりともしていた。でも身体は動かない。結局休んだ。わりと、休んでしまいさえすれば元気になって、普段いかない街に足を伸ばしさえしてしまうものなんだけど、その日は無理で、食事以外の時間はほぼ寝て過ごしてしまった。

 今朝も、昨日なかなか寝付けなかったのもあるがそれにしても異様に眠くて、何回も寝なおしたけどいまいち眠りきれず、気づいたら体を起こしている間ですら思考がバグって(寝ぼけているだけだが)訳が分からなくなっていた。で、もう無理だとなった。有給の残日数的にも、連続で休みすぎという意味でも今日はぱきっと行きたかったのだが。でもどこかで「明日無理だろうなあ」と思ってもいた。まあその通りになったわけだ。

 以前と違うことがあるとすれば…さっきも書いたけど、自分をいちいち責めるということをしなくなった。微妙な言い方になるが、まあ仕事に行きたくないとして、まずそれが身体に現れる。動けないとか、腹が痛いとか。で、それを「自分は鬱状態だからそういう症状が出るのだ、だから会社に行けなくても仕方がないのだ」と一貫した「理由」にするために考えていた。これが厄介なところは、別に最初はそうでもなくても、その「理由」が一貫性を持たなくてはいけないと思っているために、ひたすら自分の気分を下げる方向に思考が動くことだ。こんなこともできないなんて、とか、何年後にどうなっているか、自分は社会にとって…そんなことをやっているとどんどん本当に落ち込んでいく。

 なんか言いたいことが上手く言えてないのだが、なんというのか…行きたくないという本心⇒身体と、自分は鬱らしい精神状態でないとおかしい、と考えているレイヤーは多分異なる。まあいつも邪念とか自我とか書いている部分。今の考え方は、身体が行きたくないと言っている以上は、休ませてやるしかないだろうというもの。今の自分はそういうサインに敏感になっているし、一種あきらめている。無理させようという気を起こしづらくなっている。

 まあしかし、身体が起こせないくらい「行きたくない」になっちゃってるってこと自体をもう少し重く見たほうがいいかも。

 メンタルって「強くなる」もんなのだろうか? たとえば知らん人に話しかけるとかということをかつては全くできなかったが、いつしかできるようにはなった。でもそれって、「やったことがないから結果がわからない」から、「なんとなくこういうことになるだろう」という予測の立つ状態に移行したから、単純に消耗度合いが減っているということだと思う。それを「強くなった」と呼ぶだろうか。ただ、知っているパターンの範囲がひろくなったというだけではないか? メンタルを「強くする」という想定がすこしちがっていて、基本的には「知っているから前ほど驚かない」が増えていくだけではないだろうか。

 頭がボヤーっとする。というか、寝起きみたいな状態が続いている。俺の場合は後ろがわの頭皮がつっぱっているような、中から膨らんでいるような感覚。そして眼球を動かすとちょっと筋肉が引っ張られるのを感じる。

 近頃話題の「地面師たち」を観たのだった。たしかに面白いんだけど、大ボスたる「ハリソン山中」のキャラ造形があまりに陳腐というか厚みがなくていささか滑稽に感じた。なにかと彼の「哲学」が描かれるのだが、その内容が視聴者の理解や予想を超えてくることは最後までない。「人間が破滅するところを見るのが好きな詐欺師であり、快楽殺人者」というわかりやすいキャラクターの説明がわかりやすく繰り返される。まあ、そのアニメ的なわかりやすさがウケている理由なんだろう。ネットミーム強度が高いっていうのか。やたらに大仰なスーツと髪型、”紳士的”な態度、「エクスタシーを感じていたのではないですか?」などというださい決め台詞…ひょっとしたら、そういうあからさまな胡散臭さが「詐欺師なんていうのはこんなもの」というリアリティなのかもしれない。本当に深い哲学と知能を持っていたら詐欺師なんていうけちな犯罪に手を染める必要もいうなればないわけで、結局こいつは自分すらだまして陶酔しているだけのサイコパスである、と。それなら納得がいくが、後半、倉持という女性刑事に、詐欺集団の主要メンバー相手に「本当にそれでいいんですか!?」と感情で訴えかける役割を与えているあたり(原作にはそのキャラクター自体いないらしい)そこまで深く考えていないような気もする。あるいは本当に視聴者をバカだと思っているか。まあ、ともかくNetflix限定といえども、俺が子供のころから敬遠していた「日本のテレビドラマ」的陳腐さからはやはり逃れられない。あれは本当にどうしてそうなるんだろう。

 まあ、そんなこんな言いつつも7話全部観たし、ハリソン山中の変な喋り方も真似したくはなっているし、掌で踊らされているだけなんかもしれない。

 きのうまた友人たちとセッションというか、結果的にブルース勉強会みたいになったが…そんな感じのことをした。これまでわざわざ自分のアンプを持ち込んでいたんだけど、使ってみたら別に置いてあるちゃちなモデリングアンプで十分だった。倍音も出るし。つくづく関係ないなー。なんか、別にこれで良いじゃん、となったときの「なんだったんだろ」って感じがすごい。でもまあ、やってみないと「別にいい」ことが確認できない。

 まあもう、もう一人ギターが入るときはテスコのモニタースピーカーにギター突っ込むのでいいかもしれない。それでだいたい事足りてしまう。アンプっていうのはその名のとおり音を増幅してくれればいいし、あるポイントから音が膨らんでさえくれれば別にいいっちゃいいのだ。

 あ~

 めっちゃつらい、というわけではないけど、じんわりとつらい。

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