2024.1.20(ジョンいいよね いい…。)

シーツと枕カバーとブランケットと布団カバーと毛布をコインランドリーに突っ込んでコロラド。年明けてから洗ってなかったからね。去年の大掃除の時、あの、洗ったその日のシーツのすべすべした感触とか、乾燥機にかけたばかりのふわふわの毛布とか、あの「快」をあらためて知った。

前に『僕が僕であるためのパラダイムシフト』て漫画を読んだ時に(完全に鬱になってしまった人がだんだんそれと向き合って克服していくまでを描いた作品)、「手汗べたべたでうざい」「足さむい」「なんでこんなくそなんだろう」ってなっているところ、ふと、「ん?」となるシーンが印象に残った。「手汗うざいなら手を洗ってみよう」「足が寒いなら靴下はこう」と気づくシーン。無意識に自分のそういう本心を抑圧していたことに気づいて、それを聴いてやればいいじゃないかと考え直す、小さな場面だ。

周りを見てると俺の鬱なんて大したことないと思ってしまうけど。しかし大学にいた頃は特にそういう気がおれにもあって、ただ自分を不快な環境に置き続けることで自分に罰を与えるような、そんなことをけっこうつづけていた。そういう不快をひとつひとつ処理して快に転じさせてやることで自分の状態が良くなるということをおれはだんだん知ってきたと思う。

昨日は会社の飲み会だった。自分のズレを意識的に運用して笑いを取る自分。まあ、それもどうかと思うけれど、けっこう楽しんでいる自分もいて…どっちだろうね。会社っていうしょうもない社会の中でそういうポジションを獲得しようとするのも、自分を虐げているような気もするけれど。逆にある程度シラフに見ながら周りの自分のイメージをコントロールしてる快感もあり…。でもこう書くあたり、そんなに完全にいい感じでもないんだろうな。しかし飲み会をすべて断るのも、飲み会で友達と話すときのように話すことも、逆に完全にだんまりを決め込んでプライドを守ろうとすることも、自分にはできないことなので。この辺が消耗しきらない塩梅なんだろうな。

飲み会で、マッチで煙草に火をつけていたらなんかイジられた。たまたま質の悪いマッチをつかっていたので、花火みたいな匂いがして気になるみたいなことをいわれたのだが、まあなんとなくこの時代に紙煙草にマッチで火をつけてるということそのものに、当人も気づかない程度の反感があったのかなと思わなくもない。その場にいた喫煙者はみな電子タバコだった。そうやって社会に自分を適応させてきた人たちにとって、あえてそういうことをする俺というのはうっすら反動的にうつるのだろう。

ブルース界隈でおじさんとワーワーやってきたことで、おれはおじさんを内心なめることを覚えた。当初こそへいこらしていたけど…。今はお前らちゃんとやってねえのわかってるからな、と思ってて、生意気なことを言ったりもして、しかしそれがおじさんに喜ばれるのも知っている。そういう反動的な部分に「若さ」のラベルを貼らせて、うまいことポジションを確保してきた。同時にそれが一つの媚びであることも知っている。そういう小器用さ。滑稽だ、とも思うし、まあでも適応できている自分に多少の気持ちよさをおぼえたりもする。まあでも、しょうもないな。本質的ではない。

先日友達とビートルズの話をして、結局「尊い」みたいな結論にいたることがわかった。なんだろうね。おれは音楽を「やってる」側の論理の組み立てとか、分析のしかたを大学以来育ててきたわけだけど。ビートルズに関しては、結局細かい技術的なことや、文脈では語りきれない部分があって、それを「よさ」として聴いてて、感動している。
ブルースに関してはある継承されてきたリズムの捉え方とか感情表現があって、それによって「よさ」を出しているという分析ができるようになってきたのだが、ビートルズってそういう意味で「うまい」わけじゃない。文脈からしても、R&Bとかモータウンの要素を見て取ることはできるし、その後に与えた影響ということも考えられるんだけど、しかしだから「よい」と感じているのかというとそういうわけじゃない。細野晴臣が(俺は別に好きじゃないのだが)「ビートルズはコピーしたことがない、なぜならコピーっていうのは対象を分解してしまうことだから」みたいなことを言っていて、まあたしかになとか思う。でも結局コピーは散々してきたわけだけど、ビートルズを聴いてて感じる「よさ」を再現することは叶わず、そのコアにあるものが何かはわかんなかったけど。

大学の時にやったコピーバンドなんだけど、最後の4曲とかはちょっと近いものが出ているかなとか思う。でも明らかに当時より歌もギターも音楽もうまくなった今、これをもう一度できるかといえばできない。ワーっていう勢いが出てて、それが「っぽい」のだけど、それってもう、若さだよなあ、とか、気持ちだよなあ、という、ありきたりなことしかいえない。ビートルズそのものや、大学の時の先輩の完コピバンドへのあこがれとか。そういう気持ちがこの録音には保存されていて。だから下手だなあとは思いつつたまに聴きかえしてしまう。先輩の、The Boysてバンドを初めてみたとき。そのあと、ビートルズ衣装のままの彼らとHUBに飲みに行ったときの、あのイギリス風空間にあの衣装の先輩たちがいたときの思い出。ビートルズみたいに見えたんだよな。みんなルックス良かったし…。

だからまあ、やっぱり、若さを失っていくいま、若さ、つっても本当に「20代前半」の若さを失っているいま、できないなとか思う。ビートルズの完コピなんていうのは。イギリスの高精度な完コピバンドにしても、おじさんが付け鼻をつけてジョン・レノンに、二重まぶたを描いてポール・マッカートニーに扮しているのを見るのは特有の気味悪さがあって、やっぱり、なんか、いい歳こいてすることじゃねえよな…とか思う。これからできるとしたら、単純に彼らのメロディを味わうとか、そういうことになるんだろうなと思う。

さて、そろそろ洗濯も終わった頃だろうから、店を出ましょう。

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