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2023.1.30(赤いカビの夢)

昨日の分は軽く済ませてしまおうと思ったのに結局普段より長文になった。まあ充実した日はそうなる。いいことだ。

でもそういう日曜の過ごし方をした代償か、滅茶苦茶眠い。

あくびしまくってたら「顔洗ってきたら」と言われ恥ずかしかった。急いでレッドブルと硬いグミを買ってきて眠気を覚ます。


今朝、変な寝方をしていたせいか悪夢を見た。なんかの理由で部屋の畳に水を撒いてたら、「赤カビ」という夢オリジナルのカビが生えてしまい、布団から絨毯、畳、服、みんな滅茶苦茶になるという夢だ。赤カビはカビというより、なんか砂みたいな感じで、拭くとポロポロ取れるのだが繁殖力がすごくて、徹底的に根絶やしにしないとすぐまた生えてしまう。それを、なぜだかブルース界隈のおじさんたちが作業してくれていて、俺はオロオロしてあっち行ったりこっち行ったりしていた。なんか、俺の悪夢っていうのは、あんまり心霊とか恐怖系みたいなのはなくて、こういうよくわからんけどすごいイヤみたいなものが多い気がする。夢判断したらどうなるんだろう。赤いカビが生えまくる夢。


ちょっとググったところ、カビ自体は凶兆で、不安やストレス、あるいは悪運を意味するという。ただ、それを掃除するというのは不安が取り除かれることを暗示しているらしい。じゃあ吉夢と言っていいのかな。俺はあんまり作業してなかったけど。まあ都合のいいふうに解釈しておこう。知り合いが掃除していたというのは彼らが不安を取り除いてくれるという意味なんだろうか?でも嫌々やってる感じだったしいまいち釈然としない。彼らが助けてくれることより、やってくれてる中で自分がやることを見つけられなくてうろうろしてる感じの方が手触りとしてはリアルだった。


前から時々書いているけど占い自体は俺はけっこう好きだ。信じるとか信じないということではなくてなんとなくのヒントにするだけ。占いを信じるやつはバカだ、みたいなことを言うやつは人間の意思というものを過信していると思う。別にそんな奴に会ったことはないが。人間は自分の意志とか思考によって行動を決定しているとするのは単純な見方で、実際のところは環境とか気候とか体調とかさっき言われたこととか目に入った広告とかを反映してその日どう生きるかを行き当たりばったりに反応している。人間とは気分である。いくら何でもいいすぎか。でも、その日どう生きようかとかは抽象的な問題だし、どう生きられるかは日によって違う。そのヒントにするにあたっては、占星術とか手相みたいな「非科学的な」根拠の情報であっても別に問題がない。占いの文言は抽象的であって、それをどう解釈するかというのも自分に委ねられているのだから、結局自分がそこで介在しているのは変わりないし。まあ、ひょっとしたらこれとは違うハマり方をして、ヤバいところまで行ってしまう人もいるのかもわかんないけど。


いま、noteじゃなくて普通のテキストエディタで書いてるんだけど、わりに問題なくいつものトーンで書けている。最初は助走としてnoteのインタフェースが必要だったけど、続けているうちになくても大丈夫になったのかもしれない。日記ももうすぐ二十本目になる。どうよ、この継続力。今やめても三日坊主のそしりは受けない。俺は最低二十日坊主である。なんか変態僧侶の通称みたいだ。次は筋トレ、英語の勉強…などと広げていきたい。欲かきすぎるとしんどくなるので適当にタイミングは見るけど。


十九本目。この日記シリーズのクオリティが上がっているかはわからないが、少なくともスムーズにはなってきている。内容にはあまり悩まない。それに、会社で.txtファイルにだらだら書いていたものよりはずっとよくはなった。それは去年一年、月三くらいのペースで書いていたけど、一回全部ひとファイルにまとめてみたらつまらないのでびっくりした。自分の中のことしか書いていないからだろう。この日記は、少数ながらも読んでくれる人がいるのと、飯とかあったこととか身体の外のことを書くようにしているのとで、多少良くなっているのだと思う。文章とは、とでかい主語でくくろうとは思わないものの、言葉というのはなんだかんだでコミュニケーションツールというか、他者(人間に限らない)と接続することで本領を発揮する媒体なのかもしれない。『人間失格』だって、発表されて、当時から読む人がいたわけで。ま、これは妄言だ。でもこういうことを抵抗なくスイスイ書けるようになった。無責任かもしれないが誰も傷つけはすまい。

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