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2023.2.12(密かに水面下でブレイクしかけ)

さあて。

昨日は立川で練習だった。やはり、いるだけで何か消耗してくる。失礼だけど、あそこに住んでいる人はすごいと思う。相性がいいのか、そもそもタフなのかは知らないけど。友人と二人で「なんか疲れるね…」と言いながら蒙古タンメン中本を食べ、電車に乗って帰ってきた。まあそもそも往復二時間は疲れる。

何年も前に先輩と秋葉原に行った時もそうだったんだけど、なんか気分が落ち込んでくるような磁場を有する土地はある。その時は、歩いているうちは三人ともテンションが高かったのに、秋葉原についたとたん「ああ…」という感じになって、その後HUBに入ってもあんまり話が弾まなかった。近所だと下北沢がわりとそれにあたる。散歩がてら行っていたのだが、二時間も滞在するとテンションが下がってくる。繁華街が全てそうだというわけではなくて、渋谷なんかは好きじゃないけどあまり似たようなことを思ったことはない。川崎はあったかな。

一ヶ月しか書いてないのに何回もこういうオカルトなことを書いているあたりやはり自分はそういうタイプなんだなあ。メンタルの浮き沈みが激しいことへの対処として、環境に原因を逃すという術を身につけたというのもあるかもしれない。天候とかね。落ち込んでいることについて自分を責めても余計落ち込むだけなので、「天気悪いからしょうがない」とする。そのほうが結果的に行動しやすくなるということもある。でもこういうの続けてるとどんどん「自分のパフォーマンスを発揮できる」状況が減っていくことになるのかな。でも発揮できたなー!という経験があんまりない。自分のパフォーマンスってなんだろう。基本的に低空飛行で生きているのだけど、半分以上それならそれが実力ということになりはしないか。ああでも潜在能力という言葉があるのか。しかし潜在能力は潜在しているかぎりはパラメータには表れない。

昔「SKET DANCE」かなんかで、「今マニアの間では密かに水面下でブレイクしかけだ」「全然ウケてへんやんけ!」というやりとりがあって、おもしろいなと思っていまだに覚えている。ジャンプ本誌で読んでいたはずだから、多分中学くらいの時になるのか? こういう「水面下で」とか「マニアの間では」みたいな、「わかっている人の間では」とその専門性や先見性をアピールする枕詞も、過剰に使われると「要はウケてない」ということになる。俺もそうかもしれない。ブルース業界では密かに水面下で評価されかけ。

ここ数日ウロマガの文体の影響をかなり受けているなと自覚している。読んだものの影響をすぐ受けるたちだ。結果的にたいして似てないかもしれないけど自分の中の流し方において真似ている。自分の書くスピードをブーストするような文体で書けばいい、それは編集で切ってもいいし、あえて残してもいい、ということを前に千葉雅也さん(おれの日記に出てくる人名…千葉雅也、坂口恭平、ダ・ヴィンチ・恐山)がツイートしていて、なるほどなと思ったのだけど、今はこの文体がすんなりいくということなのかもしれない。ブーストできているのかはわからないけど。すんなりとはいっている。

話は戻って立川。年末に立川で知らん人たちと忘年会をやった時、事前に牛繁の飲み放題に行って無理やりテンションを上げてから行ったのだけど、その時以来に会う人に「おいテンション低いな!どうした」みたいなことを言われて後悔した。負荷をかけてまで楽しい人と思われる必要はないのに癖でやってしまう。あーあ。これも今年のテーマかもしれない。人の目を気にしすぎない。酒飲んでコミュニケーションの障壁を乗り越えるみたいなことは昔からやっているけど、いい加減卒業したいものだ。

note。もしあと四年とか、この日記を続けるのなら、そのくらいにはサービスがなくなっていてもおかしくはない。そう思うとテキストはどっか別のところに都度避難しておいたほうがいいかもしれない(noteには現状、バックアップを取得するようなサービスがない)。恐山も自分でドメインを取得して別サイトでも公開している。そこまではしないにしろevernoteあたりに残しておいたほうがいいかもしれない。それをやるなら早めに習慣づける必要もある。今三十本だからまだいいが六十本とかになったら相当めんどくさい。

俺の日記は「かもしれない」と「思う」と「なんだけど」が本当に多い。なんだろうかね。自分で留保をつける癖があるからかな。

さて。

ここで一度切って公開したのだが今日はあまりやることがない。なので久しぶりに書き足すことにした。

日記らしくいけば、昨日友人宅でやや飲み過ごし、床で寝てしまったため(最近これを週三でやっている)だらだらと質の悪い睡眠をむさぼり、起きたのは正午すこし前だった。特に予定のない一日。昨日流しながら寝たニュース!オモコロウォッチ!をもう一回聞いて、本を読み出した。

上野千鶴子『ひとりの午後に』半分くらい読んで何ヶ月か積んでいたのだがようやく読み終えた。もともとは鈴木涼美さんとの共著『限界から始まる』を読んで、内容もさることながらその卓抜した(そして優しさもある)文章に心打たれたからなのだが、本書でもそれは健在だった。

時系列順に追おうとすると書きづらいことがわかったので思い出したことから書こう。

あんまり気持ちの良いとは言えないことが一つあって憂鬱だった。夕方、鍋を作ろうと思っていたけどもう一つ自分に優しくできない感じがあった。で、飲みに行くかラーメンを食べるか迷って、後者にした。それも二郎系。一駅歩いて食べた。学生時代通っていた日吉の店と同じくらい好きかもなと思った。加齢もあるかもしれない、あんがいすっきりともしていたから。馬鹿なので毒くらわば皿までの理屈でファミマでシャトレーゼのクッキー&クリームバーを買って食べた。シャトレーゼのアイスはだいたいうまい。

帰りながらnoteのフォローを増やした。毎日日記を書いている人というのはべつにめずらしくない。日記を書き続けることで何者かになろうとしているわけでもないがなんとなく良くなっていくんではないかという期待はないでもないので、「ああ、普通にいるよなあ」といったような気持ちになる。まあいい。なんとか続けて行こう。


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