Threads/X抜き書き2024.4.8

しかしこないだのなんとか映画祭を踏まえて改めて「グリーンブック」が賞とった茶番に思いを馳せることだなあ。

「JKブランド」などという気持ち悪い言葉を女子高校生自身が好んで使うのなあ。

寝不足、二日酔い?みたいなときの体調って強めのストレスにさらされている時と自分の場合似てて、擬似的にストレスめちゃくちゃかかってるみたいな気になってしんどい。まあそうなってる時点で本当にストレスはかかっているのだが。

俺はものを知らないのでショーンKも全く知らなくて「全部嘘だった」ってバレた時に初めて顔を見た。誰かもわからない人がその素性についてずっとウソをついていましたと涙ながらに謝るさまはシュールだった。

意外とモモセってそんなに弾いた記憶が無い。横浜でテレモデル弾いてすごく良く感じたのは覚えてる。あとは友達のストラト。自分のアリアプロのストラトと比べて、レスポンスにしろ音にしろ全然違うのでびっくりした。

カラッとして鳴りがいい、ちゃんと良質なギターという感じやったな。めちゃくちゃ音を作り込んだりするわけではなく。

フリー素材のBGMどれも良くないから自分で作ろうと思ってアコギ2本で軽くやってたけど、まあ自分で作ったせいもあるけどとにかく耳について邪魔になってしまう。あの「良くなさ」も計算の上作られているのか、そもそもそういうのに慣れすぎたせいか。

留学行ってた時、パーティにコロンビア人のおっさんとそのロシア人の彼女がきていた。
おっさんが「こいつギター弾けるんだよ」と振ってきたので「カチューシャ」と「コロペイニキ」を弾いたのだけど、その彼女がけっこうのって歌い出してしまい、おじさんが面白くなさそうな顔をしていた。

前にこーじゅんっていうギター講師にギター習ってた先輩と一緒にスタジオ入ったらまさにあのこーじゅん氏の一人完結スタイルで、そんな隙間なく弾かれたらどこにもソロ入れようがないですよってなったことを思い出した。

中年くらいの人が描いてるであろうちいかわのファンアートの何とも言えない味。

電動キックボードでコインランドリーに乗り入れてくるおばさんいて困惑した

常連が心底うっとうしいと低評価がついていた銭湯に行ってみたら全然普通というか、なんなら若い人がめちゃ多かった。番台さんも丁寧だし。サウナはちがうのかも知らんがあんまりサウナに興味なく、入らないので関係なし。ただ「俺のバスタオル間違って使ったやつがいるんだよ!」ってだいぶ若い人にずっと言ってたおじいさんとかいて、かなりローカル感は強かった。それがいいのかな。

歌い手志望の子供が「音を入れないために夏場でもエアコンつけないし、近隣住民の苦情とも戦ってる。」ってどっかに書いてめっちゃ叩かれたことあったな。

ジェイコブ・コリアーの能力が俺なんかの一億倍すごいのは当然そうなんだが、かといってああした説明しやすい能力というのをありがたがりすぎるのもどうかとは思う。まあ結局のとこミュージシャンズミュージシャンの域は出ないわけで、それまでの話ではあるけども。

俺自身はビヨンセのことそこまで知らないし曲も聴いてきてないが、会社の予定すべてぶっちぎってでも会いたい人がいて、その人に会って喋れた人たちはうらやましいというほかない。

コロラドに行ってタバコ吸いながら日記書くっていうのは去年の暮れに新しく作ったルーティンなんだけど、暖かくなってきたことだし今は必要じゃないかも。

ストリートピアノとかでわざと下手に弾き始めて失笑が起きたタイミングで突然バカテクになるみたいな動画上げてる人すごいよな、何がすごいって、そうまでしてでも褒められたいという欲求を隠しもしないところが…。

ビートルズを語る資格がどうとかなんとか言ってる話、ちゃんと読むと「良いバージョンはもう出てんだからリミックスのたびに踊らされんな」みたいな話なんだけど、まあその上でも、別にいいじゃねえかという感想にしかならない。同じアルバムの中で最良のバージョンはどれかなんてことをやってる間にできることはあるし。まあでもそんなに良いなら一回くらいいいオーディオで全部聴いてみたいけど。

「もうこんなんでも上げちゃえ、ないよりあった方が楽しいから」という意識のもとラジオとか日記とか絵をやることにしてるわけだけど、思えば高校の時にゲームのMODを作ってた時も「ないよりある方が嬉しい」ってマインドで作ってたな。自分に質を求めすぎるとやらなくなっちゃうので、とりあえず簡単なことから始めて楽しさを得やすくするみたいな。思えばギターだってそうだったのではないか。

ベースは指弾き捨ててピックでやることに割り切ってから上手くそれに乗せられそう。次はピアノかなあ。それかハープ。

「せっかくの天気、なんかしなくては…」という妄執を振り切って昼寝した。気持ちよかった。

さすがに楽器屋きて他の人が試奏してても下手だなあとしか思わなくなったな。

わかりやすく書こうとした文章がかえってまわりくどく、わかりにくくなる、ということはある。

去年くらいに「ちいかわはもう古い これからは100ワニが来る」ってネタツイをしたのだが、ちいかわをぼちぼち読んだ今となっては作品としての強度が違いすぎてネタでもあんま言う気にならない。

舐められるの嫌いすぎて今日もちょっとしたことで「ハ!舐められてるなあ」つってしまった。演奏する前に舐められるというのはひとえに見た目とか振る舞いでしかないわけだが、この時間にポテチ食ってるからなあ。まあでもそういう話したら師匠にまあ第一線立ってるって自覚してる人は自然と舐められないオーラ出るよみたいなこと言われたし、やっぱ自分のやるべきことをキンキンに高めるしかないのだな。

布団から魂を無理矢理引き剥がしたかのようだ。

鳥肌実も元々はパロディだったのにやってるうちに本当にやばい右翼になってしまったと聞くし、なり切るってけっこう怖いことなのかもしらん。
まあ、右翼にしろ昭和にしろ、そういうジャンルだと本当に寄ってくる人がヤバいというのもあるだろうが。

まあおじさんと仲良くしたい若者がいていいのだけど、同時に批判精神を持って接したほうがいいというか。何でもおじさんに同調するようになってしまうとしばしばよからぬことが起きる。もっと根本的には、おじさんに限らずサークルというものはえてして有害なのだが、とくに「若いのにおじさんと絡む」という一つのハードルを超えてしまう人にはそういうのに絡め取られる資質があるということなんだろう。非対称なコミュニケーションしかできないとか。何かの物珍しいなりきりをしないと自分のアイデンティティを構築できないとか。そういう要素がからんで同世代からは浮いているのを、「周りが分かってない」と思い込んでしまっているとか…。

とにかく男オタクの有害性について考えてきたけど、女オタクもかなりのものがあるな。

オモコロの騒ぎを見ていて思ったがとにかくなんでも「推しのやることは肯定」っていう文化、普通にめちゃくちゃ不健全じゃないか? それで本人は何がよくて何がよくないのかわかんなくなって、どっかでラインを超えたら今度は気が狂ったように叩いたりするわけで、なんというのかさすがにもう少し自分で考える習慣をつけないと双方に悪すぎる。あと、たとえば音楽をやってる人を「存在が尊い」みたいな全肯定するって、音楽を真剣にやってる人からしたら失礼な話なんじゃ…。アイドルとかがそういう偶像そのものを商品として売るつもりでやってるならいいのかもしれないけど(それはそれでどうかと思うが)。「推し文化」そのものを否定するわけではなくて、そういうのに寄りかからないと日々を生き抜けない人というのは確かにいるのだろう。でもこういうトキシックな側面はなんか言葉を与えておかないといけないと思う。

絵とかっていうのは続けてくとたとえば線をうまく引けるようになるとか、そういうからだの上達があるけどたとえばパソコンで文章を書くのを続けた場合その「上達」はどこにあるのか? 壮麗な修飾をするとか、全体の構成を「読みやすく」するとかって目的があれば日々そのための練習はできるだろうが、そうした結果「上達した」文章がその前より良いのか悪いのかは誰もなんとも言えない。もちろん絵だって微細な描き込みがあれば良いわけじゃないしデッサンが取れてればすなわち良いとも限らないけど。でも身体を正確に使えるようになるというのはそれ自体の喜びがある。ひるがえってPCで文章を書くことにおいて直接そういう要素を探すとしたらタイピングが速くなることしかないのか?

日本人にできてないリズムとかフレージング、トーン、ニュアンス(歌いまわし)を言語の差異に理由づけるのはおもしろい発想ではあるけれども、それはそれを考えること自体が面白いのであって、深入りしすぎてもいけない。演奏がやりたいのであれば。

昔よく音楽に「ぶっ飛ばされた」とか「人生が変わった」みたいな言い回しを見ては「おれはぶっ飛ばされたことないかも……」って全く意味のない不安を感じていたのだが、振り返ってみればホワイト・ストライプスの「Elephant」を聴いた時から明らかに人生は変わっているんだよな。そこから10年以上ギターやってるわけで。それはものの考え方にも影響してるし。

センスのいい音楽を消費してようがお前がセンスが良くなってるわけじゃないの人、プロフィール見たら西村賢太が好きな22歳だった。高校生みたいなもんだ。ほっとけばいいと思うが、SNSだとそれをなんか説得力のある言説だと思ってRTする人がいるので、違うよと言ってあげた方がいいのかもしれない。

坂口恭平や千葉雅也が昔の世代の人と付き合っておくのはむしろ希少価値みたいなことを言っててなんとなく勇気が湧く。

ローソンで買った200枚100円未満のメモパッドがあったおかげで気楽に絵を描いてるが、使い切るくらいで描くのに慣れてたら普通にスケッチブックとかに描くようにしてもいいかもしらん。余ってるしな。

まああの藁半紙みたいなメモの小さな空間に描くから気楽にやれてるのはある。子どもの頃絵を描くのも多くは親の仕事のプリントの裏紙だった。こういうのは最近の試みではあるが元を辿れば子どもの時にやってたことで、いまそれに向き直っているだけかもしれない。

John Lee HookerのBoom Boomを練習してたのだが、こういうメロディと同時にガチャっと他の弦も鳴らすみたいなスタイルは、陳腐な言い方だが譜面的に「音程を拾う」ような思い込みがある限りできない。

友人が、おれの敬愛するJohn Tremendousの曲を「エッセイとか日記みたい」と評したのがかなりヒントになった。俺も思いついたフレーズとかコードで30秒くらいの曲を作るのを習慣にしようか。

瞑想最近あんまやってないのだが、ギターのリズム練習をひたすらやるとかでも近い感じにならないか考えてる。

俺だって何かのファンには違いないのだが、オモコロにしろミッシェルにしろ知らない「ファン」のツイートがおすすめに流れてくると多くは狼狽える。なんか、そんなふうに見てるんだ、と思ってしまう。人柄とか。まあ俺も当然そういうのは感じたりするけど、基本的に音楽は好きなものはコピーするみたいな感じでやってきたから、単純にファンっていうのと見方が違うのよな。いちいち分析してしまう。それがいいことなのか悪いことなのかは長いことわからないが、最近はわりとそのまま聴く感覚を取り戻してきたかもしれない。というか、これまでの分析もその実正しい分析ではなかったのだと思う。

タバコ吸いに出たらレッドブル持ったサラリーマンが交差点の真ん中でめちゃくちゃゲロ吐いて何事もなかったように歩き去るのを見てしまった。

俺がネトウヨを一応脱したのは俺が賢くなったというより世間のネトウヨのあり方が変わったというのが大きいかもしれない。小学生の時、ネトウヨ的な思想というのは実態はどうだったかはさておき、学校で教えられること(彼らのいうところの“自虐史観")や大多数の考え方に対するアンチかのように感じられた。今はぼんやりネトウヨっていうのが一番凡庸でつまらない態度だ。自分は倫理観からネトウヨを忌避しているのか、ネトウヨのダサさからそうしているのか、というのは結構きちんと点検したほうがいいのかもわからん。当時のネトウヨがダサくなかったわけではないけどね。ヤンキーと仲良くできない小学生の自分の前に現れた社会への反抗的な態度がいわゆるネトウヨだったという話で。それはオタクの被害者意識ともリンクしやすかったのかもしれない。
わかんねえけど小林よしのりが煽動したことって、今は公の意識がなさすぎる、国のために死んだ人たちには公があったっていう(まあそれもめちゃくちゃだが)ところで、それが美学かのように当時は見えたものだけど。今のネトウヨってそういうことを考えてるわけじゃないよな。俺の感覚ではネトウヨって右翼ですらない。

「戦争に行きますか?それとも日本人やめますか?」みたいな煽りを覚えている。無茶苦茶なんだけどね。当時は何かそれが新鮮に映ったのはあるかもしれん。サンクチュアリ(漫画)じゃないけど、妙にストイックなものを求めてくる感じ。当時は、日本という国は平和ボケしすぎておかしくなった、という発言がそれなりに共感された時代だったのだろう。今はもうずっとおかしいから麻痺してるし、まともなことを言うほうがかえって反動的になる。

おたがい知り合いの知り合いであることを知らずにSNSでフォローして、後からそれが発覚するということが去年二度あったのは結構面白いことだなと思う。

ピック(phat tone)でもスラップっぽい音出せるようだ。サムピングのように低音弦にピックの側面をぶつけ、プルのように高音弦に引っ掛ける。もちろんFleaみたいなことはできないがスラップなんてアクセントでしか使わないのだからいいのだ。

この間友達が久しぶりにベースを弾いて手をマメだらけにしていた。しっかり鳴らすことを意識してアンプは音量小さくしているとのことだったけど、それで弾けなくなったのでは世話ない…。最近思うけど楽器単体でトーンを良くしようと努力するだけでは片手落ちで、全体のなかでどう聞こえるか、あるいは全体がどう聞こえるかということを聴かなければならない。ベースのボディが鳴りまくっていてもタイミングが悪ければ被って聞こえなくなってしまうわけだから。もっと優先順位の高いことはあるのよね。

初めて会った時から一緒にやると(俺が)ずっと恐縮してしまうドラマー(めちゃくちゃうまい)、この間叩いてる時はいつも俺の方を見ていることに気づいた。思えば初めて会った時もそうだったけど、彼の中では別に上とか下とかなくて、演奏の展開の仕方とかずっと探ってるんだろうな。で、あの場において演奏を動かすのは彼か俺であって、それは彼もそう分かっているのだよな。

ギターのトーンをこもらせてしまうとあまりに抜けないので、そんなにしなくてもメロウに聴こえる右手のタッチで弾いた方がいいのだが、それはそれとして俺のセッティングもパキパキすぎるのかもしれん。

久しぶりにやったけど、俺普通にソロ弾くの苦手だな。言いたいことが出てくる時はいいけどそうでない時の方が多い。ソロの中でリズムにアプローチしようとしてるときは面白いが。

テレキャスターのキャパシタをハム用の0.022のセラコンに替えたら中域は減ったがたとえばこれまで出しづらかった1弦の高い倍音が出しやすくなった。ただやっぱペラいというか、3・4弦のダブルストップとか弾くとどうもしょぼい。オレンジドロップでどうなるか?…ということを考えていたが、アンプ全開にして4人でやってたらそんなこと一回も気にならなかった。

この間3万円で真空管アンプを買ったのだが、一昨日から耳が良くなってるので3000円で買ったボロアンプでもおおむね欲しい音が出てしまった。

去年変なライブハウスに出入りしてやたら張り切っている幼馴染と一回距離を置くことにしたのだが、こないだの「格付けチェック」に出てきた「プロのバンド」のドラムの感じが彼にそっくりだった。小学生バンドの方が良いというあれ。日本でわけもわからないまま、目的も見えないまま「上手い」とか「キレ」とかをやろうとするとああいうおかしな演奏になるのだとよくわかった。

ジョン・レノンの歌が最も上手いのはplease please me〜with the beatlesあたりだが、いかにも「レノンっぽい」歌いかたを自分でやってるのではと思うのはhelp!あたりだな。You're gonna lose that girlが、俺の中では一番「レノンっぽい」と思う。後期、ソロ期になってまあ、よく言ってるように、喉が弱くなって細い声になっていくのだが、それだけでなく、あれはあれで自分の「素の声」でそのまま歌おうという心境の変化があったのだろうとも思う。たとえばJealous Guy。
 彼は自分の声が嫌いで、中期ごろから声に色々エフェクトをかけるのを試し始めたというのは有名だけれど。ということは「あの」歌いかたにしても彼の素のやりかたではなかったと想像できるわけだ。
 というのは、ジュリアン・カサブランカスがルー・リードの真似で(the modern ageのrough trade版を聴けば明らかにそうとわかる)歌うこと、1stでオーバードライブ、2ndでオートチューンをボーカルにかけるようになること、から想像した。ジュリアンが自分の声を「嫌い」だったかは知らないが、彼らは声を楽器として扱って出したい音に近づけるということをやっている。

で、プレイヤーとして自分に還元して考えると、あれを表面的に真似すると本当にしらじらしくて聞いてらんないものになってしまう。本人がわざとやっていることをわざと真似したら当然ひどくわざとらしくなるということ。

母語の違いもあるし。真似するにしても、パッと聞いた印象より細かいことをやる必要がある。たとえば声を全部歪ませようと喉を締めて歌えば窮屈なキンキンした音になる。もっとふわっと低域を出しつつ、上の方の音域、というか倍音に歪みを乗せるとかそういうレベルで聴けて歌えないとあれはできない。

BB Kingのシグネチャー弦はメタラーか?ってくらいライトトップ・ヘヴィボトムだ。彼はそもそもそんなに低音弦を使わないのにもかかわらず。これは彼がジャズとスクィーズを両立したいからというより、元々ミシシッピではこういうゲージが多かったからではないかという推測。

真空管アンプに慣れたせいもあるけど急にレスポールがもたついて聴こえるようになってしまった。ジャガーのローカットってやっぱ意味あるんだなってくらい。アンプのキャラクターによるところもあるが、うちのローランドだとパリッとしてよかったのが、真空管だとモタモタして弾いてられない。弦変えたら改善した。でも弦が死んでからも使えないとあんま意味ないんだよなあ。弦替えるの入手して以来だから、2ヶ月くらいか。そんくらいならいいのかな。

久しぶりに、新入社員のころに仲良かった会社の先輩に会うことにして連絡取ってたら思い出したけど、俺はあの頃、(当時付き合う前だった元彼女に「素直なのがいいところ」と言われた影響もあり)やたらめったら他人を褒めたりしていたし、なんかピースピース人間LOVE貴重な出会いに感謝みたいなノリで生きようとしていた。その時期を通らないよりは通ってよかったが、あれはあれでシラフじゃなかった。そういうノリは長らく続いていたが、去年はそれをちょっと閉じ直すことを意識したかもしれない。変に「いい人」「素直な人」「話すと意外と楽しい人」みたいなものを目指さない。

フルサイズ・デプスではないが330みたいなシンラインでもないくらいのフルアコ欲しい。

昨日母とクラプトンもビートルズもストーンズもみんな黒人から盗んでるんだよ、という話をしたけど、なんかいまいち伝わってなかった。

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