2024.3.4(地球の歩き方)

洗濯物突っ込んで、コロラドに来た。道すがら、本屋の軒先に「地球の歩き方」シリーズの「世田谷」が並んでいるのを見かけた。きのう「観光客の人も世田谷来るんだな、ガイドブックに載ってるのかな」などと書いたばかりで、タイムリーだ!と思ったが、外国の人は「地球の歩き方」を読まない。

昨日はあのあとヴェルヴェッツ(これ日本特有の呼び方なのかな、やっぱ)の宅録をやったり、練習したりでいい一日だったのだけど、夜にオモコロがやっているニュース風(とはいえ大半はくだらないニュースにくだらないコメントをするだけのもの)番組について考えていたら一気に疲弊してしまった。記事を含めたらもう5年くらいオモコロは見ていて、自分のユーモアとかモノの考え方まで影響…というと恥ずかしいけど、まあそういうしかない、を受けてきたのだが、YouTubeを始めて以来の数年でファン層が拡大し、事業的にも拡大し…ここへきて、元々の身上であるアングラっぽいインターネットユーモアの芸風が時代に合わなくなってきているのを感じざるを得ない瞬間が増えてきたのだ。ファン層にしても、意地の悪いオタクと、声優ファンみたいになんでもアイドル的に消費する人と、まあわりと良識的に引いて見ている人がはっきり分かれてきた。先述のニュース風番組にしても、彼らがたまに生兵法的に政治的なテーマを扱うこともあって、Twitterで見られるような不毛な論争がコメントで起こるようになってきた。誤読する人、そもそも読む気がない人、なんでも好意的に解釈しようとする「ファン」、フェミニスト的言説、それに対するアンチフェミの反発。

書いてたら疲れてきた。やめよう。

食べたもので身体が形成されるように見たもの聴いたもので心の一部が形成されるとしたら、そういう情報の食生活みたいなのも改める時かもしれない。

昼を食べてなかったので、コロラドでアイスココアを頼んだら思ったよりクリームがたっぷり入った、パフェみたいなグラスが出てきた。俺としてはありがたいところ。でも俺は自分にとって好ましい味のものはすぐ飲んだり食べたりしてしまうのであっという間になくなってしまった。ということはコーヒーのことはあんまり好きじゃないのかな。粘るにはコーヒーの方が良かったりする。いつも洗濯の待ち時間に来るから、1時間以上いたことはないけど。

今日のコロラドは盛況だ。今日はずっと家にいたので書くことがない。

昨日の日記が良かったと友人がコメントをくれてうれしかった。なんか、自分には部屋で根詰めて(これ、親父がよく言う表現なので俺も使うのだが、一般的な言葉なのかな)ものを考えるよりは、外とかふらふらした日にぼんやりと連想したことを書くくらいが向いてるのかもしらん。自分でも、散歩した日の日記はいい感じだって実感がある。肩の力が抜けたまま場面が変わってくれるから。

まあ収入とかいろいろあるが、アラサーなりのいい暮らしだなと思う。気に入った家に住んで、在宅勤務で、こうやってたまに喫茶店で日記書いたり、近くの友達と飲んだり、銭湯行ったり。音楽も続けてて……。いつか振り返った時、これもまたモラトリアムだったとか考えるのだろうか。それとも一生こういう感じでやり過ごすのか?

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