2024.9.29(家族づく週末)

 またも喫茶店に来ている。コインランドリーに洗濯物を突っ込んでいる間することといえばスーパーに寄るか、喫茶店で時間潰すか、一回帰るかしかないので(まあコインランドリーの硬い椅子で暇を潰すという手もあるが、そこでいちいち「せっかくだから」と考えるのが俺なのだ)だいたい週一くらいは来ていることになるのか。でもその間こうやって日記を書いたりとかしているのでまあ無駄ではないと思っている。家にいるときの3,40分と、喫茶店にいるときのそれは質が異なるように感じる。時間の過ぎ方にしてもゆっくりだし、くつろいではいるが「わざわざここにいる」ということなのか、他の客がいるからなのか、微量に「ちゃんとする」ための脳内成分が出ていて、それがかえって完全にだらだらしているよりは心地よい、心地よいかはわからないが、ただその成分を味わっている。二つ隣にはまあまあな歳の夫婦。失礼だけど一見してオタクっぽいというか、オタクではないのかもしれないけどセララバアドで隣になったオモコロファンのカップルを思い出した。男の方が、なんというか、内気な高校生が大人になったみたいな話し方で、何となく独特な会話の感じだけど意外と仲悪くはなさそう。

 もう一本煙草吸いにでようかな。

 外は小雨。晴れ間はなくてずっと重そうな雲がつづいている。17時という時間帯のせいもあって街全体が青黒いフィルターをかけたような色をしている。今年ここで煙草を吸ったのが何回目かわからないくらいだが、こういう景色を見たのははじめてのような気がする。

 きょうは12時くらいに目を覚まして、ウーバーイーツでモスバーガーを食べて、YouTubeでサニー・ボーイ・ウィリアムソン二世の動画を観て感動して、スマホのスピーカーで観てたのをもう一回イヤホンで聴き直して、そのあとブルースのフッテージを自分で集めまくってるプレイリストをシャッフル再生で流した。そのうち寝てしまって、起きたのが15時すぎ。

 きのうは横浜の実家に帰って両親と話した。いつのまにか妹は彼氏と5年つきあっていて、来年には入籍するという話になっていたのを(メールでも先日知らされたのだが)改めて聞く。そのせいなのかなんなのか二人とも妙に優しいというか、自分も親に対して感じがちなとげとげしい感情が少なくて、なんかこれまでと違う感じだった。そうしていると22時くらいに妹が帰ってきた。オーストラリア帰りらしいんだけど行っていたことすら知らなかった。昔先輩が、クリスマスに家に帰ったら兄の夫婦と両親でパーティをやっていて、自分は完全にそれを知らされもしていなかった、その疎外感に耐えかねて部室に来た、という話をしていたが、そこまでではないけれど自分はどこか家族のできごとの圏外にいるのだという感じがどうもしてしまった。もっともその立ち位置は自分が選んできたのだろうし、だからこそ今まで快適に過ごせてきたのだ。べつに家族愛が薄れているとも思っていないし。たぶん妹がいわゆる「ステップ」を進めてることで親も安心したのか、それとも妹も出て行くことに寂しさを感じているのか、両方なのか、なんだかかんだか妙に「お前はもう、好きなように生きなさい」というような感じがただよっていた。もちろん、というかはっきりいってそう言ってもらえるのが一番ありがたいんだけど。

 その空気で思い出したのは前の彼女と同棲をといって急に荷物をまとめはじめたときの父だった。「なんか嫁入りみたいだなあ…」そのポツリとした言い方。

 とはいえ母はあんま変わらなかったかもしれない。「いやねえ、昨日はおばあちゃんに電話したし、今日の昼は従兄弟と会ったし。」と言ったら、「まあ家族づくことってあるよね」との返答。そんなドライな言い方するんだと思って面白かった。母の方がむしろ色々見えてるのかもしらん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?