2024.10.21(長すぎるギター初心者のてびき)

 最近全然書いてないな。特に家で書くことが本当に久しぶり。なんやかや、いろいろあったけど割と順調に暮らしているのであんまり書かなくてもよかったのかもしれない。年々楽になっていて、それは新しい友人たちとであっていろいろ話すようになったこと、坂口恭平はじめ、自分との付き合い方への理解を深められる本をいくつか読んだこと、もあるし、単に継続して飲んでいるレクサプロの効果が徐々に増しているからかもしれない。ともあれ、日記を書きはじめたのはもともとそれこそコーピングとして、だったり、「一日を無為に過ごした」というのを回避するためだったりしたんだけれど、つまり最近あまり書かなくなったのは比較的メンタルが安定している証左かもしれない。

 坂口恭平『自己否定をやめるための100日間ドリル』の前半を読み終わったところなんだけれど、言うたらさっき書いた「一日を無為に過ごすことを回避しなければ」という思いこそが自己否定であって(「もっとできるはず」というのも自己否定の一つであると坂口は説く)、そういう強迫観念じみたことをあまり考えなくなったのは少し楽になったのかもしれないとか思う。たとえばギターの練習にしたって「今日はできなかった」「昨日もできなかった」というのが重圧になって、どんどん気が重くなったりする。マイナスをゼロにするためのような思いでやるもんだからきつい。まあブルースに関していうと、ある基準に達するまではマイナス、なんにもなってない、というのはあるけれど、それでも自分の歩みという単位でいえば日々がプラスになっているという意識で生きてゆきたいものだ。自分は後退しているのではないかとか、停滞しているんじゃないか、ということ自体(傍点)にとらわれるのは無駄というか本質的ではない。ブルースをやりたいならブルースのことを考えてればいいわけで、自分の進捗状況については別にブルースそのものではないのである。まあ、管理上は気にしなくてはいけないかもしれないけど、進捗そのものが目的になるのはおかしい。

 ここ数か月は師匠から練習の誘いとかがなくて、それは後から「福ちゃんが精神的に成長しなきゃいけない時期だったから」と明かされた。まあこの辺がこう、微妙な問題なので(表だって書けないようなことではないけど、内面的すぎてうまく書けない)書かないのだが、じっさいこの数か月である程度成長というか落ち着きが出たように思う。地に足ついてきたというか。「周りに認められるためにやる」というのでは、一人で歩いてゆけないのと同じである。周りの承認が欲しくてやるのであればブルースなんかやらずに”ネオソウル”でもやればいいわけだが、自分にはそれができない。興味がないから。正直言って、誰もわかんないような領域に一人で歩いていくしかない。それは周りからしたら求道なのか、ただの自閉なのか区別がつかないだろう。自分は少なくともいったんはそういう風になる。それは当然認められるとか売れるとかとは全く関係のない世界である。

 というと、ちょっと武道家すぎますかね。まあ、極端に書いたけどほどほどにバランスとりながらやっていくとは思う。別に山籠もりするわけじゃないし。

 いくつか書きたいトピックがあるんだよねえ。『自己否定をやめるための~』についても書きたいし、ギターを始めて、それなりに楽しく続けること、についても書きたい。反面で、それなりに続けてそこそこ弾けるやつが間違った「ブルース教則本」「ネオソウル教則本」的な音楽解釈にハマって自分で考えないこと、ギターの音なんかわからないけど見た目で買ってる、と公言するような開き直ったコレクターに落ちぶれることについても書きたい。結局のところ「認められたい」あるいは「認められなければならない」という思い込みからそういう開き直りに陥っているに過ぎない気がするし、アマチュアのくせに「売れ」を内面化しているからそういうことになるのだという気もするから。と書いて、ほとんど言いたいことは書いてしまったようだけれど。

 手始めに「初心者としてギターを始めたい、音楽を楽しんでみたい」という人に向けて書いてみたい。でもまずは思いついた端からメモしていくので(いつか熟成されてきたらまとめたいけど)いささか乱暴な言い方になるかもしれない。そのへんは割引いて読んでほしい。

 まず俺は、とはいっても、割とギターに選ばれたほうの人間だと思う。何をもって選ばれたというのかといえば、まあそれはまずハマったものについては情報を集めまくって弾きまくってができる(あるいはそうなってしまう)パラノイアであって、そういう人間であるおれがハマったのがギターであった。なおかつ、まあこれは最近分かってきたことだが、ギターの音そのものが、それなりの解像度で聴こえる体質だった。なおかつ(学校とか、受験的な)勉強が苦手だったから、たとえば「Fの壁」に阻まれずに済んだというのもあるかもしれない。とはいえそれは結果論であり生存者バイアスにすぎないかもしれない。

 ん~。自分の話から進めようか、最初から結論書こうか迷う。

 なに書いていいのかわかんなくなったから自分の話。おれは高校の友達に弾いてないエレキギターを借りてギターを始めている。そのまえからギターをやってみたいという思いはあった。The White Stripesという二人組のバンドに死ぬほどはまっており、どうにかこうにか自分でも弾いてみたいと思っていたのである。で、借りてきた安エレキのしょぼい生音で一生懸命弾いていた。当時「Broken Bricks」という、The White StripesのTAB譜をひたすらアップロードしている個人サイトがあり、なおかつ彼らの曲は多くがパワーコードか「カウボーイ・コード(いわゆるGとかAとか、オープンコードのことだ)」か、簡単な単音リフで構成されていたから、初心者でもなんとか弾ける曲ばかりだったのだ。
 でもどうにもそれらしくならないし、リズムも気づいたらバラバラになっているしで、うーんと思っていた。

 ある日のこと、母がやっている英語教室の部屋に入ると、そこにアンプがあった。バイトの先生がなんか知らんけど持ってきたVOXのPathfinder 10だった。そこで初めて、アンプに通してエレキギターを弾いた…。

 BOOM!である。アメリカ人ならそういうと思う。当時弾けたのはSeven Nation Armyの単音部分だけで、かろうじてルートと5度のパワーコードで同じリフを繰り返せたくらいだっただろうか。それでもなお、「俺がギターを弾いている!!!」という興奮は半端ではなかった。鼓動が早くなり、身体中が熱くなるのを感じた。さながらオリバンダーの店で自分のための魔法の杖に出会ったようなもんである。それは強烈な原体験としてある。

 何が書きたいねん? 自慢話みたいになってしまった。このままでは「オメーは選ばれたんだね、よかったね」で終わってしまう。
 いやいや、まあ、そうでなくても、余暇時間にギターなりなんなりの楽器をぽろぽろ弾けるっていうのはいいもんだよと言いたい。


 楽器を始めるにあたって必要なのはとにかく楽器というものの音色の美しさ、カッコよさ、を感じることだと思う。アベフトシが初めて覚えたコードはEmだったという。でもあれは響きが悲しすぎるので、薬指(人によっては中指か)を一個ずらして、CM7をポロンと弾いてみたらどうだろう。押さえるのは弦二本だけだ。それでも初心者のうちには結構指が痛いものだけど。チューニングがあっていて、それなりに押さえられていれば、きれいな響きが出るはずである。ちゃらんと一気に鳴らしてもいいし、一本ずつぽんぽんぽんぽんと弾いていってもいい。アコギなら特に、いろんな音が聞こえると思う。弦が震える音。それがギターの胴の中で反響する音。押さえているところの弦が、フレットにあたってびりびりいう音。音程より高かったり低かったりする音がふわっとまとわりついて聴こえるならすごい。あなたは才能があるといえるだろう。

 小2の先生か、ジジイが言うようなことを改めて言うようだけれど、まずは音を楽しむのが肝要である。よく響く静かな部屋で一つのコード、いやコードでなくてもいい、一本の弦を、ぽーんぽーんと鳴らすだけでも、めくるめくようなことが起きているのだ。そこに、Fの壁も何もない。

 Fの壁という言葉が出た。まあこれは有名というか、これが「あるある」として定着しすぎていることがかえってギター人口を広げる妨げになっているように思うが(べつにギター人口が増えてほしいということもないんだが)、まあともかく、Fの壁って何かっていうと、いわゆるFのフォーム、つまり人差し指で全部の弦を「セーハ」して、さらにほかの指で追加で押さえるというようなことをやることがあるんだけど、これが初心者には結構難しく、指にも負担が大きい構えなので、そこで挫折してしまう人が多い、というあるあるである。

 まあ、いろいろいいたいことはあるが、これへの答えは、「Fがきついなら省略してしまえ」である。「Fの壁を超える」こと自体に大した意味はない。そうでしょう? あなたはギターで楽しく曲を弾いたり、それに合わせて歌ってみたりしたいのであって、「Fが押さえられるようになりたい」から始めたわけではないはずだ。まあ具体的に言うと、上の4本だけ、とか、下の3本だけ、とか、そんな感じで省略しちゃえばいい。それでも十分「ギターを弾いている!」と実感できるはずだし、実際俺は2年くらいはFをパワーコードで弾いていた。今だって弾きづらい場合は適当に省略している。

 というか、そもそもだが、シンプルなコード…たとえば、C,D,E,F,G,A,B、あるいは、それにmをつけたマイナーコード、は、3つ音が鳴っていれば成立する。Cだったらドミソです。かえって、ある種の省略をしたほうがいい場合もある。あまり難しい話はしないけど、別に「6本の弦全部を押さえるのがF」というわけではない。

 ちょっといろいろ書きすぎましたが、まあ、初心者の時に教則本とか読んで「こうしなきゃいけない」と思いこむことなんていうのはほとんどが重要ではないので、あまり縛られないことだ。ピックの持ち方は何が正解とか、左手はロック・フォームがいいのか、クラシック・フォームがいいのか、とか、練習曲とされているあの曲を弾けなきゃいけないのかとか、全部どうでもいい。それらは「初心者」の最大公約数に向けて仮想的に設定されたものにすぎない。俺はいまだに「スモーク・オン・ザーウォーター」のソロも弾けない。でもだから俺は下手だ、と思わないし、それでお前は下手だって言ってくるやつもいない。

 いま、YouTubeから、Web記事から、あらゆるところに懇切丁寧に教えてくれるコンテンツがあふれかえっている。俺がギターを始めたころにはまだYouTuberって概念もなかったし、初心者がYahoo!知恵袋で質問すればマジで嘲笑うような回答が来る、みたいな終わってる時代で、それに比べたら今のほうが覚えるにはいい環境だ。でもその中で、自分がやりたいことと、「みんなができてるらしいから覚えなきゃうまくなれない」ことというのがごっちゃになっていくことがある。そこには注意しなくてはいけない。

 口を酸っぱくして言いたいのは、自分が楽しい、気持ちいい、音を出せればいいということ。あなたの演奏が世間的に下手だとされるかとか、人と比べてどうかとかは関係ない。そういうことを気にして意味がかろうじて出るとしても10年くらい続けてからの話。そして、できないことは後回しにしていい。いつかできるようになるから。だらだら弾いてるだけでも筋肉がついてきて、あるいは神経がつながってきて、いつのまにかできなかったことができた、というのはよくあることだ。はじめ、「これができないなんて才能がないんだ」みたいに落ち込んでしまうようなことって、さっきも言ったけど5年後に振り返ったら全然どうでもいいようなことだったりする。初心者の視程でみえるものって良くも悪くもその範囲のものだから、わざわざ先取りしたような気持ちでピックの持ち方がどうとか考える必要はない。あとからいくらでも直せる。最初からその工夫を楽しんでできるなら、あるいはいいかもしれないけど。

 …ここまで「楽器を始めるのはいいことだよ」という前提で書いてきたけれど、別に合わないのに無理してやる必要はないし、楽しくないなら離れてしまえばいいと思う。無理してやる必要はない。無理にやって楽器嫌いになるのが一番よくない。いやだなーと思うくらいなら他のこと(ゲームでも書き物でも絵でも)やればいいし、やりたいなあと思うならまたギターを手に取ればよい。それが一週間後でも半年後でも十年後でもいい。とにかく「自分はギターができない」と決め込まないことだ。たまたま「その時はできなかった」のだし、その後やらなかったとしてもそれは「やらなかった」だけであり、「べつにやるこたなかった」のである。ギターが弾けなくても何も困らない。ただ、何かしらの誤った思い込みが楽器業界によって与えられて、それがあなたを楽器から遠ざけられているなら、それはもったいないことだし、そんなのはどうだっていいんだ、といいたかったわけ。

 と、まあ自分的にエッセンシャルだと思うことを書いてみた。やりたきゃやればいいし、やれなくても自分を責める必要はない。なにをできなきゃいけないということはない。ただ音を楽しむべき、そういうこと。こうして書くと日記と全く同じやり方なんだけれど…

 さらにいろいろあって、そもそも音楽を(自分で)やる、っていうことがそんなに尊いことなのか? というのもあらためて考えている。リスナーとして音楽を愛することだって尊いことだし、それで感想を書いたりどこかでかけたりすることも同じくらい尊いことだ。ギターが弾けたから自分はそういう人たちよりえらい、わけじゃない。まあ、エリック・クラプトンも「最初はモテるために始める」とか言うてるから、べつにそういう自意識が最初はあっていいのだけれど、結局のとこギターが弾けたところで本質的には「なんにもならない」のだ。これは自分によく言い聞かせたいところではあるけれど。

 まあ、でも、たとえばギターを弾くことで、ヒマで憂鬱な時間が少しでも潤うなら、自分がギターを弾いてる横で友達が歌ったりして、それが思い出になるなら、尊いことだと思う。ないよりゃあったほうがいい。それはギターに限った話じゃない。ただ、たまたまギターを手に取って、それがなにかの慰めになる可能性があるなら、やってみたらいいじゃないか。そのくらいのことしかいえない。だって「ギターを弾くからには何ができなきゃいけないなんてことはない」と上で言っちゃったから。

 それはそれとしてギター修羅になるような道もあるけど…たとえば俺はギターについて考えてない日なんて本当にないくらいだけど…別にそれ自体はいいものじゃないしなあ。むしろ、そういうのがノイズなんじゃないかって思ったりもするし。

 ながーくなりました。

 まあギターにしろ、手芸にしろ、絵にしろ、陶芸でも写経でもなんでもいいんだけど、一ついいところがあるとしたらそれは身体にフォーカスできるところですな。ただただ指先の運動や、それによって出てくる音に集中できる。そうしている間は不安から逃れられる、わけじゃないが、少し焦点をそらすことができる。それは段落頭で書いたように楽器でなくてもいいけど、楽器はポピュラーだし、弾けたら周りが喜んでくれたり、一緒に歌ってくれたり、一緒に演奏できたりするから、コミュニケーションの可能性もはらんでいる。そこはいいかもしれん。

 あとなんだろ。

 卑近、というか、現実的なことについて書くと、まず「ネックが反ったりするから弦は毎回ゆるめなさい」とかはいったん忘れていい(正直それで反るような楽器は買い換えたほうがいいし)。一番大事なのはちょっと手に取ったらすぐ弾けるということだから。俺でさえ、ならんだギターの弦を毎回緩めて、手に取るたびにチューニングして、なんてやってたら弾くのがめんどくさくなる。怖いなら細い弦を張ってしまえばよい。アコギにエレキの細い弦を張っても特に問題はない(音は多少しょぼくなるけど、010くらいなら普通に弾けますよ)。細いと弾きやすくなるし、音色がどうとかはもっとうまくなってから気にすればよい。指を固めるとかいうけど、そんなのより手の感覚自体がギターに慣れることのほうが重要だから。

 あと、狂ったまま弾くと耳が悪くなるから必ずチューニングしてから弾きなさいとかいうけど、まあ、これもそんなに、いいです。なんかおかしいな?と思ったら合わせればよい。むしろどういう響きが狂った状態なのか、っていうのを認識するのも勉強になる。
 弦じたいもそんな一生懸命何週間に一回とか替えなくていい。ざらざらして弾きづらいなとか、なんか変な音だなあと思ったら替えたらいい。俺は大学2年の時一番弾いてたと思うけど、そのころは3セット600円とかの弦を真っ黒になるまで張りっぱなしだった。まあそのせいでフレットはガタガタになってしまったけれど、初心者のころ使うギターなんて(まあそれはぼちぼちいいのだったけど)使いつぶすくらいのつもりでよい。最悪、フレットすり合わせとか、交換とか、直す方法はある。そんなに弾いてもらえたならもううまくなってるだろうし、ギターも本望でしょうから、そのころには買い換えていいと思うけど。
 わざわざは勧めないけど、コーティング弦って選択肢もある。これは錆びづらいので、何か月かは替えないで済む。だいたい、はじめのうちは少し弾いて指が痛くなってまた一週間あいて、みたいなペースで進むので、気づいたときには弦がさびてて、嫌~ってなってまた弾かんくなる、みたいなことがよくある。それを防げる。あるいは、まあ、金属磨きを100均で買ってきて、弦だけ磨いちゃったりしてもいい。ピッチは悪くなるかもしれないけどとりあえずは最初は弾くのが重要だ。

 まあそんなとこかな。なるべく手に取るハードルを下げましょうということでしかなくて、細かく書いてくとどんどんどうでもいいしかえってやること多く感じられそうなのでやめとく。

 けっこうくどい内容になった。もう少しシンプルにいつかまとめたい。

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