2023.6.21(歯の米)

たま(バンド)の「ヤバさ」って、すごく平成的だなと何となく思う。あの、表現の湿った感じはあまり今ない気がする。世界がまだまだ薄暗かった時代の感性。
おれが4年前くらいからずっと言っている、「方向音痴」の「誰も知らない玄関の腐った軒下で泣いてよう」という歌詞。おれが子供の時は、「誰も知らない玄関」がある世界だった。むろん当時の自分の幼さゆえではあるが、自分にとって世界というのはもっと未知だった、未知というのもしっくりこないな。やはり、うす暗かったと思う。ちょうどゲームを始めたばかりのときの、マップがグレーアウトされているような状態。

九〇年代の漫画にはそういう空気感があって、たまに読むと心地よい。ここからは飛躍するけれど、相対的に、いまはなんだか人が常に監視しあっているような社会になっているような気がする。ありきたりだけどSNSなんかそうだと思う。どこにも、つねに光が当たっているというか。そうなることでよくなったことのほうが多いと思うけど(例えばパワハラやセクハラが可視化されて問題にされるようになったのは絶対にいいことだ)。まあ、でも俺が知らないだけで、光の当たっていない場所というのは今もいくらでもあるのだろう。

自分のいた美術サークルと、音楽サークルには、そういう薄暗さが残っていた。まあ部室でタバコ吸ったり酒飲んだりできたということでしかないけど、あそこは自分にとって最後の平成的(混沌)空間だった。

ちょっと無理して書いている気がしてきたのでこの辺にする。

きのう友人と話していて、「(福地は)思ったことをそのまま書くということを自分に"課してる"じゃない」といわれて、たしかにと思って笑ってしまった。自分では自由に書くために、ただ楽に続けるために見つけたテクニックではあるのだが、それを自分に課しているといわれれば完全にそうだ。「枷を作らない」というルール。人間なかなか、何らかの制約がないとなにかをものするのは難しい。というか、それはそういうもんなんだろうけど。

今朝、やたらかちかちに固まったご飯が奥歯とかに詰まる夢を見て気持ち悪かった。取っても取っても出てくる。指を突っ込んで取ろうとしていたら、しまいには親不知が抜けてしまう。無痛だが神経がぶちぶち切れる感触はあってかなり不快だった。夢判断で調べたけど、親不知が抜けるのはトラブルをうまく回避するということの暗示、らしい。その割にはかなりネガティヴなイメージだったけど。

書いたら気持ち悪くなってきた。あああーあ。

じゃがりこの新味を見かけたら買うようにしている。タコス味が食いたくてしょうがないのだが九州だか西日本限定らしい。なんでだよ。今回は塩レモン味を買った。5年くらいずっと流行ってるね、塩レモンって。

やっぱり自分の根底に、小学生のときとかに父に読まされた自己啓発本みたいなものはうっすら影響があって、それによって自分はある方面の変化に対しては割と柔軟に育ったということもできなくはない。

例のZINEの話で、自分の日記の抜粋をちょっとやっていた。思うのは、変に長く書き連ねているものより、ツイートくらいのサイズの文のほうがぱっと入ってくるというか、何やら含蓄がありそうな気がしてくる。うーん。まあ、これこそが推敲すべきタイミングなんだろう。

しかし自信がないなあ。よっぽど絞り込んだらまあまあ読めるもんにもなるかもしれんが。

こないだ見た夢の、「新たな才能の開花」ってメタファーはこのことだったのだろうか。だとしたらうれしい。

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