2023.8.15(厳しすぎる唐揚げ)

あ~。

眠い。遅刻ぎりぎりまで粘って、まあ何とかたどり着いた。会社前の信号のタイミングが違ったら間に合ってなかったろう。運が良かった。しかし、まあ本当にしんどくて、それが家に長めにいることで少しでも和らぐならば遅刻してしまえと思っている。今の仕事からいって、たかだか10分遅刻したところで誰に迷惑がかかるわけでもないのだから。まあ間に合うに越したことはないのだけれど、俺の心のほうが大事である。2か月に1回くらいの遅刻で棄損されるような「信用」よりも。

ZINEの話。うー。やっぱり製本みたいなところで業務的な調整が発生するのが、うおお! という感じだ。まあまず、日記から少しでもましな箇所を拾ってくるということをやらなくてはならない。うおー! まあ、ひとつひとつタスクを洗い出して手を付けていくしかない。印刷所に依頼かけるリミットはいつか、とかそういうのをまず確認すること…。そういうのは仕事と同じだね。

日記について。最近ギター弾くのが楽しくて、家にいるときはほとんど書いてない。空き時間は練習に費やしている。おもえば書き始めた1月という時期は何をやっても楽しくなくて、ギターは行き詰まっていて、どうしようもなかった。毎日何もせずに過ごしているという事実に耐えられなくて、それで日記を始めたのだった。日記を書いていればとりあえずその日のしたことリストに一項目を加えられるし、昨日と今日の日記が違うことを見れば、同じ日の繰り返しかのような錯覚から逃れることもできる。

当時の自分には、何かをやっているという事実が必要だった。ギターにしたって、自分が本当に何をやりたいのかわかってなかったし、このまま漠然と弾いててもしょうがないという焦りがずっとあった。近しかった人がアメリカに飛んで、自分のやりたいことをいかにもな形でやっていたのもその一因だろう。とにかく自分には実績らしい実績がないし、自分がやっている練習のレベルというのも他人からはわからない。目に見えて「この人はこれをやっている」というのが、なんか必要だった。

うーん上手く書けないな。でも最近は、順調にレベルアップしているおかげだと思うんだけど、なんかそういう対外的な実績、というものを、そんな意識しなくてもいいじゃんと思うようになってきている。これをやったらだんだん自分の演奏は良くなるから、コツコツやっていこう、みたいな。そういうのって周りにはウケないし、ウケようとすると、セッションホストやったり、なんか日本では有名な人と一緒にライブやったり、っていう「実績」を集めていくことに終始してしまう。
実績。日本で音楽、というか、ブルースみたいな音楽をやると、「実績」と本当の意味での実力は比例していかない。なにしろシーン全体が間違っているので、そこで実績を積むということは間違いを深めていくということにほぼ等しい。逆に、本当の意味で実力がついてきたとしても、間違った人と一緒にやった時点でちゃんとした演奏はできないわけで、つまり評価はされない。されたとしても悩むことになる。

そういう状況に対して前はもっと憤りがあったんだけど、最近はもういいや、となってきている。会社を変えるより転職したほうが早いみたいな話と同じだ。やろうとしてる人同士でコツコツやっていって、世に出せるレベルになったら何らかの形で発表する。それしかねえんだろうな、というあきらめがついた。

この間、誰かの「地味にコツコツやっていくということがもっと評価されてほしい」という旨のツイートを見て、自分もすぐに目に見えやすい実績にとらわれていたなということに気づかされた。なんか、作品っぽいものを出さないといけないみたいな思いがあった。

まあもうちょっと、あと一年くらいやって、コピーの精度が上がってきたら動画にしてどっかに上げてもいいだろうね。

あ~。書くことがあるような、ないような。なんか、書き始めた時は、自分の文章に啓発される、というようなテーマがあったし、事実そういうことも起きなくもなかったと思うけど。今はほんと、普段の思考とあんまりギャップがない。でもそれはそれなりに喜ばしいことかもしれない。そもそも自分の精神状態が安定していない、というか落ち込んでいる時期だからこそ、自分のための、いわば自己啓発が必要だったわけだから。

そのうち秋が来て、冬とかが来て、そうするとまた落ち込みだすと思う。そしたらもっと書くようになるだろうが、まあ本当いうとあんまり落ち込みたいわけじゃないし。

しかしまあ継続継続と言ってきて、事実そこそこ続けてはきたものの、文章は一向にうまくならないし、とくにおもしろくなるわけでもない。継続することで、何かが向上する、とぼんやり信じてやってきたけど。自分の気分の観察日記みたいなもので、うまくなるとかそういう感じではない。

正直今は、ギターの練習のほうが、継続の効果がわかりやすい。インプットとアウトプットの質が明確によくなってきている感じがある。以前は「なんか違う」としかわからなくて辛かったものが今はまあ50%くらいはわかるし、日々練習することでだんだんその比率を上げてゆける。うれし~。しかし文章との違いは何だろう。うーん。日記は、練習ではないからだな。インプットはあまりしないし、自分で読み返すことはよくあるけどとくに推敲とかはしてない。

ううん。まあそれでいいのか。自分の観察日記というだけでも、十年後に読み返したらまた違って読めるだろうし。そのときにnoteが残っているかは謎だが…。一度テキストを落として印刷とかしといた方がいいんだけど。いま130本くらいは書いてると思うから、それを紙という物質に出力して、その重みを感じるだけでもずいぶん楽しそうな気がする。どうせZINEにしなくてはいけないし、一回その作業やるか。面倒くさいけど。

今日はやたら女将さんが厳しい焼き鳥屋のランチを食べて面白かった。まず入って声をかけても振り向いてもくれない。そのうち「真ん中のテーブル座って」と命令してくれるのだが、これを知らずに勝手に座ると結構な口調で怒られる。(俺の後に入ったおっさんがそうなって、しょんぼりしていた)注文は、「なに!?」で取られる。自然と「ア・唐揚げで」の声が上ずる。古そうな店内は静かで、へんなBGMもかかっていない。おれはずっと高倉健が出所後に「ビール、それにラーメンとカツ丼」という場面を思い出していた。旧い内装のお店は数あれど、こういう空気まで昔っぽい店ってあんまり来たことがない。居心地がいいとはいえないがワクワクもした。それにじっさい唐揚げはかなりのものだった。いい鶏に軽めの衣。その辺の居酒屋とは明らかに一線を画している。きれいに食べ終えて会計するときにはおかみさんの態度もだいぶやわらかくなっていたが、別にそれは俺が合格したということではなく、会計の時はみんなに対してそうらしい。

ふと学生の時に飲み会をよくやったお好み焼き屋のおばちゃんを思い出した。元気でいるかな。あそこの唐揚げもおいしかったなあ。あのおばちゃんも愛想がなかった。でも会計をおまけしてくれるときの笑顔はチャーミングだった。

なんか、常連に甘く新規に厳しい、みたいな店のありようって、こんにち本当にウケが良くないな。でもそういう店がまるで存在しないような世の中は嫌だと思う。「サービス」という言葉になんかいやな感じを持っているから、こういう店に出会うとちょっとうれしくなる。人間だと思う。でもおじさんだったら結構本気で嫌だっただろうな。

まあ今日はこんなところで、帰ろう。

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