2024.3.20(無の日)

午前中いっぱい寝ていた。目を覚まして冷凍の宅配食を食べ、近所の腕利きのマッサージ師に電話をしたら15時からなら空いていると言われた。かけたのは12時半くらいだったが、なんとなく2,3時間後の予定を決めるという気分になれなくて「じゃあまた考えます」と応えて電話を切った。ひょっとしたらまたふらりと散歩に出掛けて、思いがけずいい一日になっちゃうかもしれないじゃない? そう思った、というよりは、クセでそういう選択をして、結局また寝ていた。目を覚ますと16時前だった。だったら行っておけばよかったのだ。

きのうは彼女の簿記合格祝い、にかこつけて彼女が再訪したがっていた香港料理の店に行った。いかにもその店らしい、と俺が考えているメニューをひととおり堪能したあと、最後の方で「祝いだから」と大きめのエビが丸ごと4匹……4尾か。匹だとナマすぎる。けど大人になるまでエビそのものが得意ではなかったおれの感覚としてはあの見た目は「匹」の方がしっくりくる……まあとにかく、エビかける4がカラッと揚がって、香味野菜がかけられたのを彼女は頼んだ。「お祝いにエビ」という発想があることはなんとなく理解してたけど、自分で選択するほどそれは俺の中で強度を持つことがこれまでなかったんだなと気づいた。なんにせよ、「お、いいじゃん」と応えて、あとで出てきたそれを食べた。青島ビールによく合う味でかなり美味しかった。同時に自分があえては選ばなかったのは、殻や脚、ミソ、といった…つまり「生き物の形そのもの」をバリバリ食べることへの心理的なハードルゆえであることがわかった。「匹」。思えば骨付きのチキンとかも自分はあまり選ばない。あったらちゃんときれいに食べるけど。

会社をずる休みした日だったか、なんだったか、渋谷の喫茶店で友人が「サーディントースト」というのを注文したのを憶えている。おれもおもしろいじゃん、それにしようよ、と言ったけど、出てきたのを見てちょっとビビってしまった。首無しのイワシが、ちょうど彼らにとってのシングルベッドくらいの大きさのパンの上で寝ている。それが6台みたいな。内心ヤベッと思っている俺に友人は「最近生き物のかたちをそのまま食べるようにしてて」と言った。確かに。ああ、おれはヴィーガンに理解を示すようなそぶりはしつつも、肝心の「自分は他者の生命を食べている」ということに関しては意識するのを避けて生きてきたのだ……。

昨日に話を戻す。エビ4匹を二人で平らげるとお互いにかなりお腹がいっぱいになった。実をいうと昼飯が遅れすぎて、16時くらいにでかいブリトーを食っていた。言ってよそれは、と言われた。そりゃそう。しかし注文してしまったので、それからさらに焼きそばを食べた。お互いはち切れんばかりのお腹を抱えて三軒茶屋まで歩いた。

まあそんなこんなで彼女は泊まって行ったのだけど、一枚の布団で寝るせいかだいたい翌日はこんな感じで寝通しになってしまう。まあいいか。休みだし。

夜になった。

テルマエ・ロマエが99円セールやってたんで読んだ。こんなにおもしろかったっけ。映画化したせいか、あれを読んだ両親が「アイデアはいいけど、そんなに才能ないよね」と話していたのを当時聞いたせいか、なんかちょっと侮っていたところがあったけど、すみませんという気持ち。なんかうちの親、特に母か、って、昔よく「才能ないよね」って言っていた気がする。「ダーリンは外国人」とかについても。今にしてみればその「才能」って一体何のことやねんと思うのだが、どうも親の顔色というか価値観をけっこう伺うところがあった俺は、「そうなのか…」と思ったようだ。11年前。18歳か。俺って10年前は未成年だったんだ。嘘みたいだ。会社に入ったのも5,6年前なのに、そのさらに5年前はそんなに若かったのか。いやはや。

せっかく風呂の漫画読んだし銭湯に行こうかなとか思っていたけど雨がポツポツ降っていたし、雷が鳴り出したので結局家からは一歩も出なかった。とりあえず家の湯船につかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?