2023.8.22(放言おじさん)

仕事をしている。現在深夜2時前。まあきのうは思いっきりサボって部屋の掃除とかをしていたし(そういうことをして生活をいい感じにしないと仕事もできない、みたいな理由をつけてはいるが、単に仕事やりたくないだけだ)今日もなんだかんだ言ってうまく進められなかったからどうにかこうにか辻褄を合わせようというだけのことだ。辻褄の合うめどはまだあまり立っていないが。

昔からタスクというものが極度に苦手で、テスト勉強やらレポートというのも、直前までやらず、なんならやらず、それで二回留年したり、なんだりした。いつもやらないうちのタスクというものが入道雲みてえな不安になって、それが期日が近づくにつれデカくなって、とうとう手をつけられないまま終わったり。それをどうにかするというトリガはいつも人に引いてもらわないといけなかった。例えば親とか。どうしようもなくなってからあきれはてた他人に強制的にやらせてもらう、そんな感じで、それは会社員になって何種類かの薬を服用するようになった今も尾を引いている。

こういうときに、過去の自分だと「能力がないから」とか、「そういう”病気”だから」と理由をつけてきた。同時に、それがいささか不誠実な言い分のような気もしていて、最近は「自分がやりたくないことをやりたくないから」という側面に気がいくようになっている。なんか、周りを見渡すと自分よりヘビーな状況や体質を抱えている人というのはたくさんいるように見えて気がひけるから。それに比べたら俺の「苦しみ」なんて、というのも思っている。でもまあ、やりたくないことは極力やら(れ)ないとかも、前述の自分の性質があって、とりいそぎ苦しまないようにするために学習してきた結果かもしれないしなあ。まあいずれにせよやれるひとはやれるわけで、やれない自分というのはなんかしらむずかしさを抱えているということ自体は変わらない。

例によってTwitterのアカウントを消した。イーロンの仕様変更が気に食わないためにやめるときには「Xをやめる」というつもりだったが、そういうわけではなくて自分の習慣として良くないなと思ったからだ。なんか気に食わないものを見つけてきては雑にガチャガチャ書いて、そのあさはかさに気づいた時に毎度アカウントを消す、というのをこの十年繰り返している。消したとこで、あきらかに根本的な解決にはなっていないんだけど……。その時々の恥ずかしさをごまかす手段でしかない。

昨日も雑なnoteを書いた。人は客観的にはなりきれないんだからもっと主観的なことを言っちゃえみたいなことを書いているわけだけど、むしろ客観的になりきれないんだからできるだけそこは努力するしかないわけで、詭弁だったなと思う。人を無用に傷つけたり、自分の想像の及ばない世界を(たとえばマイノリティの人たちとか)平気で愚弄するようなことをしないためには勉強して慎重にやっていくしかない。

なんか、自分のノリというものが一つ固まったような気がこの数ヶ月していて、それで、もうこれで大丈夫なのかもという期待を一瞬抱いたような気がする。自分の主観でガンガンものを言おうみたいなのも、自分のノリに過大な信頼を寄せてみるみたいなことで、でもそれをやっていると微妙な物事をズバズバ雑に斬っていく反ポリコレ、反コンプラ、みたいなおっさんになっていく…。おもえば主観でガンガンものを言おうなんてのは「放言」というやつで、きわめてありきたりな態度だし、なんの相対化にもなっていない。

ノリというのは『勉強の哲学』から拾ったキーワードで、結構自分はあの本に影響を受けているつもりなんだけれど(正しく理解しているかはわからないが)、あそこで言われているのは自分の今いる居心地のいいノリを一度自己破壊して、新しいノリに移行するのが勉強であるみたいなことで、最近の自分はその逆を行っていたわけだ。あ〜。やれやれ。

んー。まあこんな感じで自分の話ばかりするのが自分なんだなとほとほと思う。もうこれはしょうがないんだろうか。あー。仕事戻るか。

なんか、しかしまあ。自分が満ち足りているなら、変な難癖をつける相手をネットで探すようなまねをする必要なんてないのだよな。このところ調子いいぞ!みたいなことをよく書いていたけど(今はめっきりよくない)。どうしたらやめられるんだ。まあとりあえずTwitterはやめた。

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