2023.1.4(誕生日、なんです…)

さあて。誕生日ですが。出社です。残念ながら…。

大晦日の深夜に除夜の鐘を聴きに行ったとき、念頭にあったのは煩悩を捨てるということだった。別に仏教に目覚めたわけじゃなくて、ただいちいちイライラしたり動揺したり嫉妬したりすることなく過ごせたらどんなにかいいだろうなとか思ったからだ。べつに除夜の鐘をきいたからどうなるということではないけど…おまじないですよ。

昨年末、12月はとにかく「煩悩!!」と思わざるを得ないことが多かった。酔っぱらって喧嘩になりかけたりとか。仕事サボりすぎてあとでめちゃくちゃきつくなったりとか。なんか、これまでつけにしていた自己矛盾とか、負の感情とか、コンプレックスとか…そういうのが年の瀬にかけて押し寄せたなあ、という実感があった。だから、まあそういうのを総称するとしたら何かっていうと、「煩悩」だろうなあ、と思ったわけ。ググると、「心身を悩まし煩わせる心のはたらき」。

で、うーん、去年まではあんま思わなかったことなのだが、たとえばさっきコンビニに行ったら広瀬香美の「ロマンスの神様」が流れていて、率直にうっとうしかった。それをまた日記に書こうと思えばまあふた段落くらいは書けるけど。わざわざ書かないでいいんじゃないか、なんてことを考える。正直、「ロマンスの神様」がうっとうしいなんて話は何の栄養にもなんないというか…筆は進むけど、誰も面白くはないというか…。無駄だから書かないというわけではないのだけど、まあ、あえて書かないようにするという考え方もあるか、と…。

いちおう年末に書いた日記も載せておこうか。

12/28

年末!早いもんだ。坂本慎太郎のライブに行った初夏が二年くらい前のようにも思える。今朝はふと聴きたくなり、「好きっていう気持ち」を聴いていた。やっぱりいいね。

今年の総括、したいけれど、長くなるもんなあ。とにかく6月ごろから半年かけてブルースをどんどんできるようになったのは間違いない。8月ごろにやった演奏と今の演奏じゃ全然違うし。少ない音を弾いてもちゃんと音楽になるようなやり方にだんだん慣れてきた。たくさん音を弾いて音楽的にすることはなかなか難しいと気付いたというのもあるし。ただアクロバットにがーっと弾きまくるのでは、見た目には派手だけれどたぶん上手くすら聴こえない。今のほうが、ちょっと5秒くらい弾いただけでも「ん?」と思われるようなギターになってきてる。

必要な音、適切な音で表現しなくてはいけなくて、今はそれを一個見つけるのがやっと、みたいな感じ。ここから饒舌になるにせよ、音を少なく少なく入れるにせよ、まず必要な音を弾かなくてはいけないのは変わらない。音数少なく魅せる演奏、みたいなうつろな言葉が世間では使われているが、別に音数を少なくするのが目的じゃない。弾いていいところで弾いて、そこに何を込めるかということでしかなくて、音数の多さはその人のスタイルという結果にすぎない。

来年はもっと良くなる。来年にはもっと見えてきて、アドリブなんかにも自由がきくようになるし、根本的な表現とかグルーヴについても改善する見通しだ。今年は半年かけて、やっとそこへの足がかり、というか基礎を作ったことになる。まだぐらついているけどね。正解をつねに100%出せるわけではなくて、気を抜くとまた変なグルーヴに戻ってしまう。年末年始の目標はまずは正しいリズム、弾き方を維持すること。

来年なあ。音楽以外でいうと、まず友達とビートルズの弾き語りユニットをやる。あと、ラジオとかも録ってみる。ビートルズは音楽だけれどこれは趣味というか遊びなので、ゆるくやる所存。なんとなく仕上がったらオープンマイクでちょっと人前でやれればOK。ラジオは、まあ友達に聞いてもらえればいい。3回くらいやれればいいかな。

とにかく、仕事とか音楽以外にも楽しいことをやったほうがいいなと今月くらいに思うようになった。ZINEはいまどうなっているかわからないけど、なんとなく友達と一つのプロジェクトを進行させるってのはいいなというのが学びだった。

全然話変わるけど。小林よしのりって今何してんだろう?前は右翼といえば小林よしのりだったけど。今は百田?それもちょっと古い気がする。恥ずかしながら俺は小学校の頃家にあった「ゴー宣」を熟読してしまい、あの扇動的な内容にすっかり影響され、その後大学生になるまでネト...ヨ的思想を持ち続けてしまっていた人間である。

今、そういう人のコンテンツといえばYouTubeなんだろうと思う。「ゴー宣」ってマジで分厚くて、結構文字も多かったけど。今のネト...ヨの人はあれを読めるのかな?…別に当時のネト...ヨはよかったみたいな話をしたいわけじゃないが、すくなくともあれを読むくらいの読解力はあったわけでしょう(リテラシーは無いのかもしれないが…)。ネットの議論が幼稚なのは今も昔も同じだし、相手の話を聞かないのも同じだけど。なんか、おっかないよ。話ができない人がどんどん増えていかないかと。自分だってインスタのリール動画めっちゃ見てるから人のこた言えんけど。

いま、リールとか、YouTubeとか、まあもちろんコンテンツにはよるけれども、「気分」しか作らないようなものがたくさんあるんじゃないか。難しいことが分かったような気分。怒りという気分。「で、ソースは?」って決まり文句が(まあそれも良いとは言えないけど)2chにはあったけれど、ただの煽り文句だとしても一応ディベートの体をなそうみたいな意識がそこからは感じられなくもないわけで。まあかたくなさで言うと当時も相当なので、別に良くも悪くもなってないのかもしれん。ずっと悪い。

初期ビートルズの名状しがたい「良さ」、構成要素は様々だが、細かいとこだとあのボーカルやギターを2重に録るところがあるな。最初は二回歌ってたけど、ジョンが嫌がったから機械的に処理して再現するようになった、というあれ。

年末関係なくなってきた。どうせだから来年の展望について書きたいわなあ。まあ今年は基礎固めで、来年もそれは変わらないけれど、たぶん途中ぐらいで録音を出したりとかできるレベルにはなるはず。

去年の年末もさびしかったな。友達みんな帰省しちゃうし、店はやってないし。一人でうろうろ歩いてちゃんぽんを食べに行ったのを憶えてる。

年末。なんか、ほんと自分のカルマを意識することになったなあ。つくづく。二日三日とかでいろいろありすぎた。今年はいい年になったけれど、締めにそういうことがあったのは若干暗澹としないでもない。逆に、駆け込みで向き合うことができたのか?とも。



うーん。だいぶ気分違いますね。正月を経て俺は能天気になったというか。まあ、ほんとに、自分のその「煩悩」で結構落ち込んでた時期だからなあ。

正月、いろいろあった。もちろん、能登のこと、羽田空港のことについても調べるほどに落ち込んだが、ここではあえて書かない。少しでも被害が少ないことを祈りつつ、募金に協力とかするしかない。Yahoo!から寄付してしまったけど、赤十字のほうがよかったかな。

ああ…。やっぱり、それで、3.11のときは役に立ったといわれ、爆発的に日本でユーザ数を増やしたSNS(特にTwitter)も、デマが飛び交うようになってかえってないほうがいいのではというくらいになってしまったね。むろん13年前にもデマはあったけれど。インプレッションで金を稼げるようになんてなってしまったおかげで、収益のために救援要請を装ったデマツイートをする奴が現れるなんて(まあ、そうも言われてるだけで、実際どうなのかはわからないけれど。本当に困っている人がいるのかもしれないし)もはや想像を絶していた。

いったん止めよう。

『ダブル』5巻が出ていたのでちょっと読んだ。やっぱりものすごく面白い。つうか、表情の描き方がすごすぎる。Amazonのアカウントが死んだ影響で1~4巻も消えてしまったのだけど、買いなおそうかしら。

出社してると、ギター弾いたり歌ったりしたいなあという気持ちでいっぱいになる。はやくビートルズとかも練習したい。「If I Fell」をまださらえてないので…。

年末年始は「年末年始」を一生懸命やってて、ぜんぜんギター触らなかった。めずらしいことだが、そうやってひとつリセットすることも大事かもしれない。上にコピペした内容と、今日のテンションがかなり違うが、まあこれはこれでいいと思う。

もうちょいそういえば書いて放置してたのがあったな。

12/19の日記。


今日は長文書いてる余裕なさそうだぞ~!!

ツイート日記だきょうは。

やっぱり文章の読みやすさってリズムが重要だし、学校教育の作文ってのはリズムをほぼ殺しにかかってるんではないかね。

おじさんの持論的だが、そういうのは音楽教育も同様だと思う。音を楽しむから音楽とか言いながら、リズムの楽しさを教えられない。国語に戻れば、読書感想文やらなんやらで子供心にも退屈な定型文を教え込む。小学校の頃、先生が「やったあ!」で始めると新鮮かもね、みたいなことを言ったので、みんな一様に「やったあ!」で始まる文章を書いたときはぎょっとした。俺が勉強が好きになれなかったのは教育のためだけではないけど、なかないと思う。

長いな。

俺もおじさんになって、GHQは日本を骨抜きにするために教育を変えたのだという陰謀論じみたことも「そうかも~」なんてちょっと思うようになってきた。あぶない傾向である。もちろん戦前の修身教育に戻そうってことではない(絶対やだ)。でもこれだけ政治に無関心だったり、お上の言うことは絶対みたいなやつがインターネットにあふれているのを目の当たりにすると、少なくとも教育はおかしいのではと考えてしまう。性教育しかり。まあそれはGHQ以前からそうか。戦争中の悲惨な出来事を考えるにつけ。あるいは、『シグルイ』で描かれているような…。

『シグルイ』は武家階級という"男の世界"の話で、しかしそれを批判的にも描いているようにも感じられる。最後に三重が自刃するのは、男の、階級社会での盲目的な追従を見せつけられた絶望であり、抵抗であっただろうし。

時代は違えど、白土三平の漫画も階級社会、格差社会へのアンチの立場を明確にとっているなと今ならば思う。後半に行くほどそうで、『サスケ』とか、『カムイ伝(外伝)』なんて、もう絵柄から変わっちゃってる。まったく同じ漫画とは思えないくらいだ。『サスケ』は最初こそ子供向けの忍者マンガだが、確か記憶ではヒロインの女の子が為政者に磔にされ火をかけられて死んでいるのを見つけて終わる。「人間の焼けるにおいだ!」そんなセリフがあってかなりショッキングだったことを憶えている。「におい」はひらがななの。小学生の頃読んだけど、怖かった。

ジョージ秋山の『ザ・ムーン』もそんな感じの終わり方をする。「子供のヒーロー」は大きなもの…大人の政治、陰謀にはまるで太刀打ちできず、無残に死を迎えるという。当時の漫画って(後世に残るものは、だろうけど)ものすごいパワーがこもってるな、と思う。こんな強烈な、そして力強く政治的な漫画、今なら出版できない気がする。『はだしのゲン』にしても。

長くねえか!?

全然短く書いてません。でもまあ仕事はしてる。自分でもびっくりするくらいしてる。一年分くらいしてるような勢いだ。

難しい難しいといわれて実際頭を悩まし続けてた処理が書けた! 労働に対してシニカルなおれもさすがにうれしい。

会社の近くのローソンで流れていた「フェイスアップで商品訴求~♪」という曲に関して、以前一千字くらい悪口を書いたのだが、今行ったら「Don't you wanna face up♪ Don't you wanna face up♪Don't you wanna face up♪ GoGo♪」という曲に代わっていた。マジで、人間ナメるのも大概にせえよ。企業ふぜいが。

オモコロの原宿さんに対して勝手なシンパシーというか、話したら合うんじゃないかという印象を持っており、そのうち出くわすんじゃないか、と根拠のないことを思っている。



物申してるねえ。なんかそういう年だったなと思う。今年どうなるかはわからんけど。

大きなものに個人とかの人生や生活がからめとられていいようにされる、ということをいやでも感じた年だったなあ。岸田内閣になって税とかさんざんいいようにされてるなとか。前からそうだけど、もはや隠そうともしないというか、ずさんすぎるというか。上で書いてる、ローソンのふざけた「啓発」BGMについてもそうだ。店員や客を数字としてしか見ていない奴にしかあんな曲は作れない…作家に罪はないかもしれないが…そういう指示を出せない。市場原理みたいなでかいもののために、生きた人間の感情を、モチベーションを操作しようという思惑。そうはさせねえぞと思う。TwitterからXになったのも大きかった。どんなにたくさんの人間がいようと、一人の資本家のいい加減な判断で居場所が奪われる。今回はネット上の「サービス」だったけれど、それが住む場所とか、水道とかにすり替わるのはすぐだし、ていうかそもそもこれまでも散々起きてきたはずだ。

などと書いていたら問い合わせが来て、二時間ばかり対応に追われていた。あ~。ほんとに疲れたが、時間をつぶすだけでもそれはそれで消耗するんで、うわーっと仕事したのはよかったかもしれない。今日は19時に帰ります。そんでなんか食べて帰ろうかな。

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