2023.10.3, 5, 11

(10/3)

出社。家を出ると信じられないくらい気持ちのいい朝だった。大きな公園でピクニックでもしたいような。

Twitterをやめたけど結局Threadsをやっている。まあ人口が少ないし、Twitterほどネガティブに感情を揺さぶられることが少ないのでまだしもいい。
もっとも最初のほうはもっとパーな投稿ばかり流れてきて気楽だったんだが、最近はインボイスとか、ジャニーズ事務所が変な名前にかえたとか、いやな話が流れてくるようになった。まあ知らないままというわけにもいかない話題ではあるが…。

Xの有料化がうんたらかんたらみたいな話を受けて人口が増えてきたんでしょうかね。

どうにかこうにか、フォローしている人しか表示されないSNSはできないもんだろうか。RTも必要ない。あ、でもスペース機能はよかったんだけどな。

えー、と。

↑これをよくやる。なんか、しゃべってる時と同じで、何となく書き始められない、言い始められないときに、おりあえず出す声。千葉雅也氏は「で、」というのをよく使うと書いていた。別に脈絡が一見ない文章の間でも「で、」って書く。それをまねたんだっけかな。やってみるとたしかに文章が滑り出す。

そういえば千葉氏の『ツイッター哲学』を、また読みだしてる。

不思議なもので秋って本当に本を読んだり絵を描いたりし始めるのよね。一年中そうならいいのに。自分の意識次第ではあるが。なんだろうね。ダイエットとかもそうなんだけど、始める前に一個の段差があって、いまいちそれを乗り越えられない日が俺にはいっぱいある。というか7割がたそういう日なのではないか。仕事にしてもそうで、その段差が(まあ仕事なんかだと、始めたところでたいしてやりたくないことだらけで、さながら階段なんだけど)越えられないばかりに仕事は遅いし、そういう自分にほとほと嫌気がさしたりもする。

昼めしに出て、タバコが吸える洋食屋さんだったので、吸いながら『ツイッター哲学』を読んでいた。「別の仕方で」というキーワードが気になる。

(10/5)

は~。天気悪い。でもコンディションは悪くない。意外と早く起きられたし。

Kindleで『瓜を破る』ていう漫画が無料になってたんで読んでしまった。タイトルに、ちょっと「うっ」となっていたのだが、単純に結構いい漫画だった。いろいろな悩みを抱えている人がちゃんと話し合って解決するという話が多いのであんまりストレスがない。おれが一番苦手なのは意味不明なすれ違いでずっとダラダラ険悪みたいな展開なので。これはあんまそういうのがなかった。というか、そういうのを起点として、それを解決するという話。

「話せばわかる」というのはもはや俺の信仰かもしれない。実際には話してもわからないことや落としどころの見つからないことってきっとあるのだろうけど。おれの世界は話せばわかる人だけにしたいと思っているところが多分ある。でもそういうのが自分の幅を狭めているという可能性も一応考えるようにはしている。たとえば全く違う文化圏の人を理解できないまま受け入れるみたいなことが自分にはできなくなっていないか。

溜池山王のコマツビルのちょっとした出っ張りに、外国人ふたりが腰かけてなんかを食べていた。渋谷の夜なんかは路上飲みの若者がいっぱいいるけれども、こういうビル街みたいなところで昼間にそういう人を見かけるとちょっと意外な感じがする。海外だと当たり前の光景なのかな。たしかにインスタなんか見ててもそういう感じするかも。

座るは椅子にすわることで、坐るは床とか畳にすわるというイメージでとらえていたんだけど実際どうなんだろう。

ググってみたらそういうわけではなさそうだった。「座」は「座席」とか、すわる場所。「坐る」は動詞のすわるみたい。もともとそういう使い分けだったけど、常用漢字で「座」に統一されてしまったようだ。個人的には「坐る」は好きだ。なんかエレガントな感じじゃない?

渋谷の路上飲みでゴミをそのまま捨てていく若者に対して厳しい言説をよく見る。まあ、散らかした後を片付ける人はいるわけで、そういう人に迷惑をかけるのはよくないことだとは俺も思うけども。でも「日本人として」みたいな言い方を見るとちょっとゲーとなる。

おれはわりとそういうときごみを持って帰る側なんだけど。なんだろうねえ。じっさいよくないのよ。散らかして帰るっていうのは。でも、グレタ・トゥーンベリぎらいのオタクも「渋谷を散らかしっぱなしのリア充」を叩くのは好きそうだな、っていうか…。ようは、大きなモラルじゃなくて、遵法意識的な、小さいモラルで言ってるというか。うまくいえない。保守的なところが通底していると感じるのかな。環境活動家を叩くのと、ゴミ拾いを奨励するのは。

もちろんこれを掃除する人がいるからきれいにして帰ろうという、地に足がついた想像力はいいものだと思うけど。そうではなく、なんか「お国」が見えてくる意見は、直感的にちょっとやだなと思う。

道徳の授業って嫌いだったな。

エレベータに乗り込むとラベンダーかなんかの香りのミストが自動で出るやつがあるんだけど、壁に寄りかかってたらもろに頭に食らってしまった。かんべんしてくれ。

師匠(もうこの方が通りがいいから、これでいいや)が先日ギターを買った。なんと35万。そういうのにお金をあんまり使わない人だと思ってたから結構おどろいた。もともと俺がこんなんありますよ、と紹介したんだけど、翌日くらいに弾きに行って、「ほかのでこの音が出るなら買わんけど、無理そうだから泣く泣くで」買うことをきめたそうだ。その確信の精度がやっぱり俺と違うなと思う。必要なものには払う。必要ないものには払わない。その取捨選択の正確さ。でもその確かさは、はたからはなかなか見えないものだと思う。「このニュルっと音が出る感じ」がいい、と言われても、普通の人にはわかんない。

おれも聞いて何となく「なるほど?」と思ったものの、じっさい一緒にギター屋に行って、10分くらい弾かないとわかんなかった。「あ、これですね!」ってかんじ。なんだろうね。あの、音を出した一瞬後に膨らむ感じ、なのかな。アタックからおおむねまっすぐ減衰するのがまあ普通っちゃ普通だけど、なんかそのギターはそうじゃない。あれはヴィンテージのギブソンSGでも出なかった。怪しいトーン。妖しいというよりは、怪しい。

きもいことかもしれないけどおれはギターに勝手に感情移入するところがあって、「へんなバンドマンとかコレクターのおっさんに買われるくらいなら俺が弾いたほうがいい」みたいなことを勝手に思ってギターを買ったりとかする。(結局売ったりもする)そのギターに関していえばその怪しさに気づける彼が買ってくれてよかったなと真面目に思う。歪ませてぎゃんぎゃん弾くような人にはもったいないギターだ。おれにももったいないだろう。

10年前くらいに、どっかの公式LINEが、地獄のミサワの「あ~恋愛してぇ~」ってスタンプを間違って送っちゃったっていうことがあったけど、あのスクショいまだに好きだな

あ~帰りてぇ~

(10/11)

あ~なんか、昨日すごいねちゃった。20時から23時、23時半から3時、3時半から7時半てな具合で。週末あれこれあったから疲れてたんだろう。しかしまだ水曜日か。あとは在宅だから気楽ではあるけど。

先日のじいさんとの邂逅についていろいろ書きたいことはあるけれど、どっからとっかかっていいかわからない。

昔の人ってすぐ「ばか!」って言うよなあ。「ちがうよばか!」「そんなんじゃないよ、ばかだなあ!」こういうときどうしたらいいのかなって思うけど、同じ世代同士で言ってるんだったらまあいいか……と思って、あえては何も言わなかった。

タバコはね、あんまり吸わない方がいいよお……。とも言われたっけね。おじいさんが言う「タバコは吸わない方がいい」には何となく重みがある。
次の土曜も来るだろ!? って言われちゃったので、なんか行くことになっちゃった。カレンダーに登録した。「三茶 ジジイ」。

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