2023.8.8(いやなこと)

なんか、ずっと言ってるんだけど、ライブでみんなして同じ動きするみたいなのなんなんだろう。まあこれも一つの思想でしかないのだが、せめて音楽が鳴っている場では各々自分のしたいようにしていて欲しいと思うし、ことに「ロック」の人なんかのライブでそういう全体主義的な雰囲気を感じ取ると、怖〜と思う。つくづく「ロックは反体制の音楽」みたいなのって形骸化している。
ま、各々自分が「したくて」そういう動きをしているという意見もあるでしょう。俺はそういうのを内面化するのはごめんだが。

昔どっかで「あれは音楽を聴きに行っているというより、応援しに行っている」みたいなことを書いていた人がいて、まことに得心がいったことがある。皆で暗黙の了解を守りながら、お互い一方通行のようなコールを演者と観客の間で交換する。それがライブでのコミュニケーションである、といったような。なんか、まあ、こういう、「皆で同じことをやる」というのがそもそも俺は極度に苦手なのだ。それこそ運動会の応援とかもいやだったわけだし。

同様に、アンコールの手拍子も苦手だ。前にこういうことを書いたら予定調和だから嫌なの? ときかれたことがあるのだけど、たぶんそうじゃなくて、あの演者を急かすようなリズムでいっぱいになった会場に居続けるのが、本当に、肉体的につらいだけだ。かりに自分が大きな会場でライブをやるような人間であったとしたら、あれが鳴り始める前に楽屋も会場も抜け出して早足でどっかに飲みに行くだろう。それか、先手を打って「アンコールです」と3曲くらいやってしまうか。

留年して、就活で行き詰まった頃、先輩に「こんなに自分が何をすべきかわからないくらいだったら、お国のために奉公するのが一番みたいに答えがある時代の方が良かったかもしれない」みたいなことを真面目に言ったことがあるけど、まったく当時の自分に同意できない。

俺はナチスや大本営発表に騙されない、かどうかはわからんが、少なくともみんなが同じノリで同じ方向をむいていることには絶対に耐えられないと思う。その時の居住まいの悪さは、ライブの比じゃないだろうな。

嫌なものは嫌だ、と言えるようにしようみたいな意識がなんか今月はある。嫌いなものは嫌いだ。でも俺が嫌いだからといって、べつにその対象の価値が下がるわけじゃない。ただ単に、俺に嫌われてるだけだ。まあ、これまでは自信がなかったから、「俺は」の部分が弱くて、なんか一般論の皮をかぶせようとしてしまい、それゆえ反感を買ってきたかもしれないけど。

ただまあバカにするとかは控えよう。嫌なものを嫌というのと、バカにするのとは違う。

しかしまあ、自分が嫌いなものを嫌いだということに、なんだかすごい反感が寄せられる時代であることだなあ。「嫌なら見るな」とか。こっちだって見たくねえんだよ。「いちいち気になるなんて生きづらそう」とか。ほっといてくれよ。なんで心配してる感出してきてんだよ。言われなくても生き辛えよ。「自分が興味ないジャンルを下げる奴は死ね」とか。うるせえよ。お前も十分排他的だろ。自分の興味ないジャンルはお前の中に存在すらさせてないくせに。代表ヅラすんな。一生お仲間とニコニコ仲良くやってろ。

いや、なんでキレた?

えーと。

なんか、しかし、自分が嫌いなジャンルの悪口を俺はずっと言ってきて、それはあんまり良くないことだったと思うけど、でもなんかJPOPをやってるかつての友人が、「お前は聴くジャンルが狭い」と言ってきていたことにはほんとにずっと腹に据えかねていた。いや、日本のロックと多少のメタルをつまみ食いしてるだけのやつになんでそんなこと言われなきゃいけないんだ? こちとら世界の音楽にそれなりに興味持ってやってるのに、と思った、のもあるが、そもそもこいつの中では、自分の興味ない(つまり、ブルースとかがそうだ)ジャンルについては、存在すらしてないことになっているのだと、あるいは、「福地がなんか好きなジャンル」みたいに適当にまとめて、矮小化しているんだな、というのが、なんか悲しかったのだと思う。こいつは結局俺の音楽に実際には興味がない。まあそれはいいが、そういう自分への疑いのなさ。彼が、自分が思っている以外の世界の見え方を想像もしないことに、ずっと小さく絶望しつづけてきた。おれはこいつと本当に話すことはできない、と。けっきょくそいつは、大学のときとおんなじようなコピーバンドをおんなじようなノリでやり、自分の快適なエリアを維持するためにコマネズミのように働いている。そんな中で俺のような外の意見を言ってくる奴は、もはや邪魔だったのだろう。

彼と離れることにしたのは怒りもないでもないが、むしろこれ以上関わったら自分のストレスになる、おかしくなる、という、リスク回避の意味合いが大きい。周りの人はそこまで見えてないので、まあまあ、という感じだけれど。かつての「親友」がみるみるへんてこな界隈の王様になって、こっちを顧みてもくれなくなるときの気持ちははたからはわかるまい。こうやって書くのだって楽しかった日々への未練があるからだ。が、わざわざ縁を切らなくてはいけなかった。

はあやれやれ。ずいぶん書いちまった。

まあとにかく、あるコミュニティに属しつつもどっかでなじめないのが自分なのだと思う。だから同調圧力的なものを感じるとさっと身構えてしまう。

最近混沌というのが自分の中でキーワードだ。祭りは混沌としていなければならない、とか、平成はもっと混沌としていた気がする、とか、文化が生まれるのは混沌からであって、再開発的なものの真逆だ、とか、そういうことを最近よく言う。なんか、多様性というならもっと混沌を日常のものとして受け容れないといけないんじゃないかと、それらしいことを言うならそう思う。すべての人に属性名をつけて整理するようなやり方もそれはそれで救われる人もいるかもしれないけれど、本来的にはいろいろな人がごちゃごちゃといて、混ざり合っているような状態でいいじゃないのかという意識もある。これは理想論であって、すべての人が認められていることを前提とするので、今行われている活動に異議を唱えるようなものではないよ。

このへんライブの話に戻ることができる。音楽が流れる場所で、皆が整然と同じ動きをしているという状況はいやだ。もっと混沌としてくれ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?