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2023.1.31(継続について)

記念すべき?二十本目。特別書くこともないっちゃない。日記そのものについてはもう十分すぎるほど書いてるし。

最近また煙草を吸い出してしまった。やっぱり、なんか代わりに甘いものを欲したりしてしまうのが怖かったというのもある。それを本来乗り越えなきゃいけないんだけど。まあ、減らそう。かつて知人が句読点と句読点の間を空けるだけ、みたいなことを書いていて、それはなかなか秀逸な表現だなと思った。

句読点といえばおれは読点がかなり多い方だなと自覚している。なんだろうね。「まあ」とか、「やっぱり」とかも多い。たぶんそうやって思考のリズムを作っているのだろう。読む側のリズムはあんまり考えていないんだけど……。

昨日は一昨日の分も含めて多分四〇〇〇字くらい書いてしまったのだけど、そうするとなんだかプレッシャーになるというか、今日書き出すのにはちょっと一歩踏み出さねばならない感じがあった。やっぱりリズムなんだと思う。毎日ちょっとずつでいいから書くっていう。それを、急に一万字書いたり、急に書かなくなったりしてるとなんかスムーズに始められなくなる。まあドカ食いしたと思ったら絶食したり、急に運動したと思ったらゴロゴロしたりとかしてると体の調子が悪くなるのと同じなんだと思う。習慣づけるにはあんまり無理しないことが肝要だ。まあ筆が乗ったらその限りでもないかもしれないけど。それを、思考を全部出さないと、みたいに捉えると書きづらくなってくる。自分が乗ってるのか、乗ってないのか、はわりとライトに判断して、微妙だなと思ったらいったんそこでやめる。それでまたなんか書きたくなったらパソコンを開く。そういう感じでいいはず。とにかく自分が勝手にやってることで、へんに責任を感じる必要はない。

このへんは今年のテーマなので、もう何度でも書く。去年一年で、千葉雅也さんとか坂口恭平さんの、創作する上での思想が自分の中に入ってきたので、それまでとはかなり考え方が変わったと思う。というか完全に染まっている感じだけど。笑 まずは出してしまうこと。創作とは苦労して絞り出すもの、「詰めて」いくものというイメージを一旦脇に置く。人による話ではあるのかもしれないが、自分の場合「詰めて」いくと、続かなくなるし自分でも面白いのかよくわかんなくなる。ストレスを与えたほうがいいものになるみたいなのは自分の場合多分当てはまらない。できるだけ楽しい範疇にとどめておく。でも毎日やる。それにはなんだかんだで微妙なバランス感覚が必要とされるので、別に楽をするということでもないし、そこで不誠実じゃないかとか自分を疑う必要もない。まあこんなふうに言葉を重ねるのは自分に言い聞かせている面もある。うまくやらないとまた戻っちゃう気がするから。

こんなふうに書いてたらすでに一〇〇〇字を超えている。どうにか最初の引っ掛かりは脱したのかもしれない。

こういう効能を期待することもなんだったらノイズになるのであんまり言わないほうがいいのかもだけど、最近会話していても言葉のアウトプットが早くなってきた気がする。気の利いた冗談とかも多少出やすくなって、なんか自分が面白い人間になったような感じ。まあ、なったような、というか、事実面白くなってきているんだと思いたいけど。




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