2024.4.5(レースの終わった馬は)

今日中にやんなきゃいけないことがあるので嫌々出社した。コンサータを36mgとレッドブルを入れて気合で終わらせる。今観てるドラマに、戦争でPTSDになってしまった兄に「トーキョー」という薬物を(鼻から)吸うように仕向けるシーンがある。「トーキョーを使うのは勝負時だけにしろ。レースの馬と同じだ。レースが終わった後の馬は…」。気分としてはそんな感じである。これは『ピーキー・ブラインダーズ』というドラマだが、『クイーンズ・ギャンビット』にも薬物を使って集中力を維持する癖が主人公にはあった。『ブレイキング・バッド』は観てないが、欧米のドラマってそういうのがある。日本より身近なんだろうなと思う。

このあいだ師匠とギターを弾いていて、師匠がかなり強烈に倍音を出しまくるのでかなり耳が鋭敏になってしまって奥さんの声がキンキン聞こえてたいへんだった。もちろん何かの薬物をやっていたわけではないが一度聴こえるとそのあとも聞こえてしまうものらしい。帰って翌日ギターを弾いていてもはっきり聞こえるようになり、意図的にコントロールも少しずつできるようになってきた。大麻をやりながらギターを弾いたという経験はないが、これに近いことが起きるのかもしれない。一度聞こえた音はその後も聞こえる。自転車に一度乗れるようになったら何年も乗らなくても体が覚えているというような。そのあとトニー・アレンのライブを聴いていた。ドラムセットのそれぞれのパーツの音が柔らかく、なおかつそれが巧みに混ぜ合わされていて聴いていてフワーッとしてくる。そのあとに「これもいいんじゃないか」とキング・タビーの曲を流してもらったがこれはけっこうアッパーな感じでちょっとちがった。まあ、薬物をやんなくても、トリガーになるような経験があればなんでもいいっちゃいいのかもしれない。ていうか、やりたくてもできないし、やりたいなんて書けない。

ギターにしても声にしても鋭い高域を出したかったら同時にふくよかな低域を持たせることが大事である。そうでないとただキンキンして聴きづらい音になってしまう。これは思えば大学の頃先輩がジョン・レノンの(ビートルズ初期の)声について語っていたことの自分バージョンだ。しかし当時レノンの声をまねる練習を散々したおかげで、そういう声の出し方についての経験が積めたのはかなり良かったと思う。初めはただがなっていたがそれではだめだった。普通に太く出しつつ、鼻腔をつかって上のほうに少し歪みをのせるというイメージでないとできない。これをこのくらい意識してできるようになったのは最近のこと。ギターにしても、クリーンなんだけど上のほうに鋭い高音が乗っているというのが俺は好みだ。歪ませるとそれが難しい。まあ、メタルの人とかなら別のやり方でできるのかもしれないが。

むかしストロークスのコピーバンドをやったとき、普段アイバニーズのとんがりギターを歪ませてピロピロ弾いてるようなやつにエピフォン・カジノを貸して弾かせたのだが、どうあがいても俺の耳で聞いたより歪ませてくるので笑ってしまった。「オーバードライブ」といったときの前提が違うのだ。

忙しいはずなのにやたら書いてる。でも気持ちは落ち着いてきた。会社に来るまでは心臓がバクバクしていたのに。千葉雅也が『オーバーヒート』で、移住したばかりの大阪で自分の領域を作るために行きつけの喫茶店やバーを作るみたいなことを確か書いていたのだけど(『アメリカ紀行』だったかも)、俺にとって日記を会社で書くってことはそういう意味もあるかもしれない。会社という場を自分の領域に転換してしまうこと。これでタバコが席で吸えたらもっと楽だろう。今日日ありえないことではあるが。よくきく、家に居場所がないおじさんがずっと会社にいるっていうのは、長くいすぎて会社のほうが自分の領域になってしまったってことかもしれない。

先月は千葉雅也の『デッドライン』『オーバーヒート』『エレクトリック』『アメリカ紀行』をぶっ通し、というとあれだが本当に一週間くらいで読んでしまった。もっともいずれもそんなに長い本ではないが。ここ数年、坂口恭平、千葉雅也、ひょっとしたらこれから國分功一郎が、会ったことのない人の中では一番俺に影響を与えている。それこそ人生が変わったとでもいうべきかもしれない。

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