Threads/X抜き書き2024.4.18

最近思うけど楽器単体でトーンを良くしようと努力するだけでは片手落ちで、全体のなかでどう聞こえるか、あるいは全体がどう聞こえるかということを聴かなければならない。ベースのボディが鳴りまくっていてもタイミングが悪ければ被って聞こえなくなってしまうわけだから。もっと優先順位の高いことはあるのよね。あと音量を上げて弱く弾いたほうが結果太い音になるんじゃないのかな。

現行フジゲンはテレキャスターを前に持っていたけどまあ実際丁寧に作られたいいギターではあったな。最近弾いたのは音が不自然に固いというか組みあげたて感がすごくてあまり良くなかった。耳が良くなったからなのか質が下がったのかはわからん。

ペペロンチーノをキッコーマンのレシピで作っていたので毎回醤油を入れてたのだが、塩とオイルだけで作ったら当たり前だけど本格的っぽい味になった。醤油をちょっと入れるだけで失われるものがある。オイルとベーコンとニンニクだけでいいのだな。

長渕が歌い、時々布袋のギターを殴り、横で福山雅治が手踊りをしている最高のバンド

ソリッドで練習したあとセミアコ弾くとやっぱり倍音があとから膨らむ感じがわかりやすいな。

今の日本で手っ取り早くギタリストになるには教則本出すか機材紹介YouTuberになるか。みんなそういうふうに動いている。つまらないことだ。

ジャズにしろブルースにしろ、とかく非当事者のインタビュアーは「ジャズとはなんですか?」「ブルースとはなんですか?」って禅問答みたいな質問しがち。そんなお前、クラシックって何ですか?カントリーって何ですか?って聞かれて答えられますか?って話。

B.B.Kingは白人から金もらって食ってると自分でも思ってるだろうし、サーヴィス精神もあるから「ブルースってのはね、黒人がプランテーションで…」っていう、言ってみれば通り一辺倒の説明をしてあげるけれども、多分本質的には別の答えを持っている。

俺の性格の悪さにおいて良くも悪くも影響を受けた先輩が使ってた表現に「ボンクラ」ってのがあるんだけども、まあ「ボンクラ」って感じの人物像はありますよね。俺も然りかもしれんけど。

誰がボンクラで、誰がそうじゃないかなんていうのは何十年後の結果でしかわからない。けど、まあ今の時点で、こいつボンクラやなあっていうのはある。

DJが飛び跳ねながらプレイするのなんか意味あるん?

教科書にポピュラー音楽が載っているというのがいいのかなんなのかわかんなかったけど、まあ教科書に載る(体制に取り込まれる)ほどに古くなってしまったということなんだろう。

なんかすごーく長いバネをビヨンビヨンさせて「はじめてのチュウ」を演奏して、これでバズると言っている夢を見た。

俺が早稲田生だったらまあ間違いなく戸山キャンパスのつるりとした非人間的な構造には文句を言っただろうな。街もパッとみた感じつまんないし。でもあの郊外のニュータウンが突然現れたような箱根山周辺は面白かった。でもそれも当時に生きていたらくだらない開発だと言っていたかもしれない。

朝倉未来とあの何とかっていうめちゃくちゃタトゥー入ってる格闘家の人が、渋谷の喫煙所の外でタバコ吸ってる奴に注意して回るみたいな動画があって、そんなん刃物突きつけて従わせてるようなもんやんと思って何とも言えん気持ちになった。

会社のエレベーターの鏡にうつった自分は蛍光灯のせいで生気がなく、やたら毛穴とか無精髭とかだぶついた肉のせいでできたシワとかが目立つ。家の鏡ではそんなことはないのだが。
自己肯定感を下げて会社に従属させるためにやってるのではないかという想像さえしてしまう。

前にコンビニやスーパーの蛍光灯は、あの全く聴く喜びのない変なポップスのアレンジは居心地を悪くしてさっさと金だけ置いて追い出すためにやってるんだと言っている人がいたが、本当にそれを意図しているかはさておき結果的にはそうなっている。

国を挙げて金の払えない奴を追い出すための排除アートをやってるんで、それはネオリベや自己責任論みたいな考え方も蔓延するわけだ。あなたには価値がなく、あなたの金だけに価値がありますと毎日申し渡されるのだ。

理屈はわからないがタバコはやはりマッチで吸うのが美味いのではないのか。

ダイソーで「そこになければ無いですね」と言われた経験0

フランスがかつて拿捕した長崎の大砲を友好の証として返還した(これは軍事マナー的に大きなこと)けど日本人は外交センスなくてあんま喜ばなかったみたいな話、そんなヨーロッパの慣習なんか知らんよという気持ちと、まあでも本当にそういうセンスはないよねという気持ちと、交錯してる。

俺は大学のサークルでツイッターやってたオタクが大学の喫煙所の灰皿を蹴っ飛ばして回ったという話を楽しげにしてきたときからツイッターのオタクを一切信用していない。

オタクの遵法意識とは結局ヤンキーへのコンプレックスであって、仲間内で気が大きくなった時にはヤンキーの真似事をするのだ。

漫画とかで「ヤンキーが更生したからってなんだ、ずっと真面目にやってた奴が一番えらい」っていうシーンがちょくちょくあるのって漫画家のコンプレックスみたいなもんなんだろうか?

今思ったが、ピースやセブンスターの「変な甘さ」ってのはプレミアムモルツのそれに感覚が近いな。

戸山のルノアール入ったらトイレの個室がやけにデカくてそういう監獄みたいだ。

ルノアールには必ずあのフカフカのソファがあるものと思っていたがそうではなくて悲しんでいる。

思春期に萌えアニメに真っ直ぐハマってたら余計に自意識グチャグチャになってただろうから、逆張りであっても観ないという態度を取り続けたのはよかったのかもしれないな。

昨日大阪王将で完全に嬉しくなっちゃってる状態で「あー豚肉ときくらげの卵炒めも、俺の好きなmelodyで…」と言い間違えてしまい、自分でめちゃくちゃウケてしまった。

「左利きのエレン」前になんかの折に読んだんだけど、天才天才ってずっと言われてる当のエレンが全然絵描かないし、クライマックスで満を辞して描くグラフィティアートが黒く塗りつぶすだけっていうめっちゃ凡庸なやつでわろてしまった。作者は自分より頭のいいキャラクターは作ることができないというが、自分より絵の上手いキャラクターももちろん描けない。ブルージャイアントと同じで、主人公の能力に説得力持たすためにとにかく演出でやるしかないから、必然的にキャラクターが名言製造機になる。

「結構儲かってんのかな」とかって俺はちょっと露悪的になりたいときに言うんだけど、親世代って普通に言うよな あれはどっちなんだ。

「そうまでしてこの人は生活感を消したいのか」と思われることのおしゃれでなさもあると思う。

よく言われる「バンドマンとは付き合うな」は、バンドマン自身は「女癖悪いからかな?笑」とか思ってるんだろうけど、俺からすれば、いつまでも大学生みたいな態度でいたいだけの未熟な人間が多いからだ。音楽がやりたいんじゃなくて、それがやりたいだけ。

「女殴りそう」とか面白いと思って言い合ってんのが終わり、絶滅でいいと思います。

職場の同僚のおじさんに残業付き合わせたいおばさんが「じゃあなぞなぞに答えたら帰っていいですよ^_^」とか言い出してスフィンクスかと思った。

こういう言い方をするのは良くないけれど、単語ひとつでそこまで自分のことだと思って傷ついてしまう人はあまりSNSをやるべきではないのではと思ってしまうな。出てくるなってことじゃなくて。外傷してるのにドブ川に入るようなものじゃない? 破傷風になってしまうよ。

丁寧っぽい部屋に住んでいるが、プリングルスの空箱を灰皿にし、飲みかけのサントリー天然水をぶちまけて消火している。

たまにアンビエントっぽいというか、ギターを響かせるだけでずっと弾いてられるようなモード(フレーズとかは適当)に入る時があるんだけど、なんか自分の中でジャンルがよくわかってないからパッケージして出せない。

あー。先日noteに立ち食い蕎麦屋には立ち食い蕎麦屋のコードがあって、それを外から食い方が汚いとか言うのは無粋だとか書いたんだけど、同時に俺はホモソーシャル的な内輪ノリとかが死ぬほど嫌いなわけで、よくわかんなくなってきたな。

SNSにおける「公人」の扱いみたいなものがすごい曖昧で、「立場ある人間がこんなことを言うなんて」というのが結構誰に対しても適用されてるな。

大東亜戦争云々もそうだし、坂口恭平の炎上の件もそうなのだが、とにかくSNSの「人の話を最後まで聞かないで、対話ではなく自分のサークルに向けた発信をやる」という悪さが結構見えてしまって、これはネトウヨやオタクではなくとも、つまり左翼や人権派であってもやることなんだなという、一つの気づきになった。

「生活保護は、介助されるのは、当然の権利であって世話になってるわけじゃない」というのは正論だけれど、障害者の人とかは世の中の人間に「お前らを世話してやっているのだ」という態度によって罪悪感を叩き込まれているのだろうな。

引用ツイート(での批判)っていうのはリプライと違って相手に向いてないのだな。あくまで自分のフォロワーに向いていて、「こんなことこいつ言ってますけどどうですか皆さん!」とやっている。それでは対話にもならないし、フォロワーなんてエコーチェンバーみたいなもんなんだから増幅するだけ。

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