2024.2.19(壁)

出社。昨日の日記はいい感じに書けたと思って、何回か読み返している。すると表現が重複してたり、変な構文になっていたりするのに気づくので、それをつどつど直していく。高校くらいの頃はそういうのにむしろ人一倍敏感だったのにどうしてこうなったのかといえば、Twitterやりすぎて文章が荒れたということでしかない。でも今の俺には文章の厳密さより、好きに書くときの勢いを殺さないことのほうが重要だ。こんなことを日記を書き始めたころにはよく言っていたね。このところ慣れすぎて、めちゃくちゃな文を平気で載せている。まあ、校正や添削は後ですればいいのさ。

眠たい。昨日は一万歩あるいたらしい。まあそんなもんか。なぜか左腕が疲れている、何をしたわけでもないのに。

きのう筆を結んだ時点から、結局独りで飲みに行っていた。バイトのお兄さんがいるんだけど、前に飲んだ時に「日本語ラップ好きなんですか?」とかふつうに訊いてたら、だいぶ有名なラップやってる人だった。で、わざわざ「いや~、なめた口きいてすいません!知らないって怖いっすわ~」みたいなことを言いに行ったのだった。卑屈すぎるが、昨日の時点でそれはどうでもよくなっていたので、それもただの方便かもしれない。彼の人柄がいいなと思ったからもう一回話してみたかったのだ。

結局開店時に行ったらマスターしかいなくて、音楽の話なんかをしていた。「いや~ラップの人はすごいですね、みんな苦労してんですかね~。いやあ俺なんて、苦労コンプレックスみたいなところがあって」おれはこういうとき、どうしてわざわざこんなことを言ってしまうのだろう?

まあこの店は好きだ。酒は安いし、タバコは吸えるし、リクエストでかけてもらえるから。

件のお兄さんは9時からくるというので、え~2時間はいないかもなあ、といいつつ結局そこまで粘ってしまった。「いや~前は知らないでなめた口利いちゃって」だから、おれはどうしてこういう言い方をしちゃうかね。知らなかっただけで、丁寧には話していたのに。

あ~ねむい。ねむいし、やる気でないし…でもまあ、出社なんで、最低限のことはやれそうだし、やるつもりではいる。

5時間以下の睡眠だったか、が何日も続くと判断能力が酩酊時なみにおちるらしい。今そういう感じ。であれば、もう酒飲んでても同じなんじゃないかな。別に飲みたくないが。

出社して日記書いてると、とにかく時間をつぶすために何かを書いているのでとかく長くなりがちだし、文字数を埋めるようなどうでもいいことも書いてしまうところがある。外的な刺激が少ないゆえにとっかかりもあまりない。

1998年に書かれた、フライトシミュレータの攻略…というか、PvP戦闘をいかに有利に進めるかというホームページを読み返していた。飛行機同士で格闘戦をするにあたっては位置エネルギーを運動エネルギーに変換したり、またその逆をやったりという管理が必須であるということ、またそれを前提にした具体的な戦術はどんなものかというような内容。中高のころYSFLIGHTという無料のフライトシムにドハマりし、毎日練習と戦法の研究に明け暮れていたのだけど(あとMOD作ったり)、そのときに大いに参考にしたのがこのページだった。こういう飛行機のゲームで日本で最初に「エネルギー管理」ということを言いだしたのはこの人ではないのかな。

改めて読むと、きちんと章立てしてあったり、「敵を知り己を知れば百戦危うからず」みたいな、きょうびそんなに聞かない格言が入っていたりで、なんというのか、「読み物」として成立させるためにがんばっている感じがちょっと新鮮だった。まあ、今でも探せば誠実な文章に出会うこともできるけれど、「ネットの書きもの」というものが広く受け入れられるようになった今の書き方と、当時のとだと何かテイストが違う。そもそもHTML覚えないとホームページは作れなかったわけで、そのぶん気合が入ってるっていうか。この時代の人は、まだアマチュアが好き勝手に書く文章がこれほどまでにあふれかえっている世界を生きてきてないから、顔文字とか(^^;)使ってても、どっか「まとも」に書こうとしてる節がある。

ま~人によるよね。

でも25年前と今じゃ文体もずいぶん変わっただろう。

眠い!眠いしか言えない。昼飯はサバ味噌煮の定食を食べた。いつもご飯が山盛りだ。当然よけいに眠くなるのでレッドブルを飲む。よくないループ。

帰ったら『動物のお医者さん』を読み返そう。なんとなくそんな気分だ。

結局東大生はどこかで自分が東大生である/あったことをどこかに匂わせてプライドを形成するようなところがあるなと思う。かくいう俺だって「慶応出身である」というのは(言っても自慢になんないようにした結果卑屈になったりして、面倒が増えるだけにもかかわらず)しばしば表明してしまう。なんなんだろうあれ。恥ずかしいな~と思いつつ。でも、尊敬されたいというのが100%かというとどうだろう? たんに、初対面の人には自分の属性を一つ知らせて、そのキャラを軸に会話を進めるほうが楽だからかもしれない。あるいは、多少むずかしい話を振ってもらったほうがおもしろいというのもあるかも…なんか不遜な言い方だな。「尊敬されたいです」と素直に言ったほうがましかもしれない。

ストロークスのIs This Itが出たときのジュリアン・カサブランカスはおおよそ23歳。でもちょっとまだ年上のお兄さん感を持ってる(現在の彼はもちろん俺より年上だが)。対して、ザ・ストライプスとか、マンドゥ・ディアオとか、ロックスリー…さらにはアークティック・モンキーズの動画とか観ると、さすがに「子供~~~!!!」と思う。この差はなんだろう。まあ、つーかデビュー時にも十代だったりするわけだから当たり前か。彼らは演奏にしろアレンジにしろ子供のアイデアや手癖という感じをどうしても受けてしまう(それがいいともいえる)。対してストロークスは長年やってそうな落ち着きがある…でも結成してから二年でIs This Itを出しているのか。デビュー前の映像とか観ると結構荒っぽかったり、雑なアレンジの曲もあるけど、しかしあの完成度はなんなんだろう。早熟すぎる。早熟すぎたがゆえに後半からよくわかんない方向に行ってしまったのか。

最近ストロークスの話ばかりしてる。20代前半に聴いていたバンドの話ばっかりするおじさんになってしまう。しかしブルースについてあんまり書くことないのよな。もやもやっとしたものがあるばかり。書くことでそれに形を持たせることもできなくはないが、それによってかえって遠回りをすることがある。まあ、だいいちここでブルースについて書いたところで、誰もわからないことすぎる。

う~ん。

昨日の飲み屋でマスターに「ブルースやってて」と言ったらマディの「Hard Again」に入ってる曲をかけてくれた。それはいいんだけど、やっぱりロック聴いてる人がつまみ食いする「ブルース」ってその辺になるんだなあ、と思わないでもなかった。ジョニーウィンターがプロデュースしてるからだろうか。それか戦前のやつ(ほぼイコールでロバートジョンソンになる)を「ロマン」として聴いてるか。俺個人は60年代後半のライブとかが好きだ。そういうのを紹介して取り込めないのはこっちの落ち度かな?

まあ、ブルースっつったらジョンメイヤーとかデレクトラックスにSRV、妙にマニアックな奴はジミーヴォーンとか、ガイ・キングとかいうこぎれいな白人ギタリストに行くという最近の人の感じよりは、その辺のロックおじさんの世代の感覚はまだわかる感じがする。
しかしガイ・キングまで調べていくなら、普通に本物のブルース聴きなよと思うんだけど、どうにもそれはやりたくないらしい。そんなに白人じゃないとダメか? 不思議だけど、まあでもそんなもんか。俺も「自分のギタースタイルに取り入れたい」と思っていた時はやはりKid AndersenとかJ.B. Simoとか、その手のを聴いていた。「ブルースマニアの白人が弾くギター」の型というか感じがある。フレーズとか音はよく研究しているが、どこまでも精度の高い「それっぽさ」であり、「そのもの」ではないということ。師匠が「ブルースミュージックとブルースは違う」という言い方をしているのはたぶんそういうことだ。

どこかでみんな、「そのもの」をやることをあきらめている。だから、そういう「それっぽさ」から学ぼうとする。なぜならそちらは今の自分たちと同じルール、感覚でやっているから。つまり理解するにたやすいのだ。「ブルース」そのものにはまっていくというのは同時に、そういう「それっぽい」ものは聴けなくなっていく、そういう選択をするということをも意味する。

日本でブルースやってるベテランがそのうちジャズっぽくなっていくのは本当によく見る光景だ。無理もない。あきらかに教えてもらえないと越えられない壁がある。大体の人は登って行こうとする前に、あきらめて横道にそれてみたり、砂の城をつくってあそんでみたりする。ジャズに行ったり、変なオリジナルを作ったりするのはそういうことだ。まあ、ピッケルも、先に進んだ人が作った足がかりもないのに、ひたすら壁に爪を立てても楽しくないからね。おれは壁の上からロープをつないでもらっている特例にすぎない。でもそもそもその壁を登りたいと思う人がいないし、壁がどうもあるらしいな、と感じる人間さえ多くない。そういう意味では自分は珍しい資質をもっているということになる。単に、素直に壁に上りたいですって言ってるだけなんだけど。

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